序章 青天の霹靂 それは、まだ記憶に新しい出来事。 五年という歳月は、過ぎてしまえば非常に短い物である。突然の変異は、その五年を過ぎたとて未だ慣れる事は無いに等しい。人々の未来を暗雲へと歪曲させるかの様に、それは唐突であった。 全ての始まりは晴天。気候は暖かく、穏やかに時間が過ぎていた。その一瞬、までは。 突如、太陽と紛う程の眩しい光が空を覆い、渦を巻いて天上を支配していった。そしてその光の渦から一筋の光が伸びて地上の一点を指し示すと、忽然と光は消失した。その光が示した地を捜索した結果、謎の水晶体が発見されたのである。その出現理由も意義も分からぬままに、国は特別組織を編成し、その調査に出来得る限りの金と人員を投入した。 しかし五年という歳月を経た現在でも未だ謎は明かされず、研究は続けられている。 それはグレム大陸コスティマル国、ジバウォークでの事である。 ジバウォークは、森に囲まれた土地である。其処は、村でも町でもない、何も無いただの土地。森の中に出来た更地の事をそう呼んでいる。もとは森だった場所に例の水晶体が出現し、どういう訳か更地になったのである。今まであった木々は水晶体の周辺のみがごっそりと消滅し、新たに出来た土地にその名を与えられて現在に至ると言う訳だ。その現象から現在までは、まだ五年しか経っていない。 ジバウォークへは、限られた者――――国が作った研究機関の人間のみが、この土地に入る事を許されていた。魔石保護監視団と、現在はそういった名で呼ばれている。それ以外の者が進入する事は、法に反する事になるという訳だ。 それは魔石と称されたその水晶体に魅入られた者は、不思議な力を得るという現象が起こる為だ。全ての者に起こる訳でもなく、またその力の種類もそれぞれ違う。何が起こるか分からないその現象ゆえに、国は人の出入りに制限をかけたのである。 そこへ続く道を、三人の若者が歩いていた。因みに男女比は二対一だ。 「お弁当を持って森の中だなんて、まるでピクニックの様ね」 弾んだ声で、少女が言った。彼女の名はリィア・ヴァレンフィールド。魔石保護監視団長を父に持つ、れっきとした魔石保護監視団員だ。 「いいかもな、ピクニック」 のほほんとした口調で、彼女の後ろを歩く長身の青年が呟いた。同じ団員の彼は名を紅瑛と言う。彼の出身はこの国から遠く離れた島国である為、名前の構造が周囲と違う事が特徴である。 「でしょ? 緑に囲まれてランチタイムなんて最高じゃない!」 嬉しそうに、リィアは言う。紅瑛は頷いて、空を仰いだ。 「天気も良好。まさにピクニック日和って訳だな」 「何和んでるんですかぁ――――ッ!!」 ほんのり漂う和やかムードを両断して、ひとりの少年が叫んだ。彼はハクロ・ナナミア。彼もふたりと同じく、魔石保護監視団員のひとりである。 「僕達は仕事に行くんですよ!? ピクニックじゃありませんッ!」 三人の中で最も真面目かつ頭の固いハクロは、他のふたりの緊張感の無さに地団駄を踏んだ。どうしてそこまでのほほんとしていられるのか、ハクロには理解出来ない。 「今から行く所は魔石の近くなんですよ? 危険なんですからね!」 「そんなの今更じゃない?」 リィアはあっさり言って、ふたりを交互に見やる。嬉しそうに輝く緋色の瞳が、ふたりを捉えた。 「……確かに、僕達は例外ですけど」 不服そうにそう言って、ハクロはリィアに視線を向ける。 「リィアさんはその例外から外れてますし、油断してなんていられませんよ。リィアさんに何かあったら問題なんですよ? もしもの事があったら、僕達団長に殺されかねません!」 「親馬鹿だからなぁ……あの人も」 紅瑛が呑気に呟いた。ハクロもこれにばかりは同感の様で、うんうん、としきりに頷いている。 「大丈夫よ。何があっても絶対ふたりの所為にはしないから」 「そーゆー問題じゃ無いんですよぅ」 親の心、子知らず。――――ハクロはリィアの親ではないが。 見当違いの答えを返すリィアに、ハクロはただただ溜息を吐くだけであった。 魔石の土地、ジバウォーク。森の中に在るそれは当然木々に囲まれており、足元には野花が咲いている。それだけ見れば確かに、リィアの言う通りピクニックに相応しい場所であるとも言えるのだが。 其処は、明らかに異質だった。 土地の中央に円形の白い台座。その周りには厳重に鎖が巻かれ、立ち入り禁止の意を示している。そして台座の中央、地上二十センチの辺りで、鮮やかなオレンジ色の水晶体が浮いていた。 何よりも異質なのは、辺りに漂う空気だ。外界とは異なる、特殊な空気が充満している。此処では無い世界の、まるで異世界とでも呼ぶべき未知の世界を思わせる様な、冷たい空気。それでいて纏わりつく様で、重苦しささえ感じる。 「相変わらずね、此処は」 小さな子供くらいの大きさを持つ魔石を遠く眺め、苦々しい口調でリィアは呟いた。その横で、同じ様に魔石に視線を向けていた紅瑛とハクロは、互いに顔を見合わせる。 「……行くか」 「ですね」 短い会話を交わした後、ふたりは台座に歩み寄る。台座の傍に立っていたふたりの団員に見張り交代の旨を告げ、そうして張り巡らされた鎖を超えた。交代した団員達はリィアに軽い挨拶の言葉を残して、速やかに森を後にする。 この森は、常に魔石保護監視団によって監視されていた。ある一定時間につれメンバーこそ代わるが、誰も居ないという事は例外を除いて無い。それは、一般人を寄せ付けない為の団の規約のひとつである。中でも、台座の傍に寄ることの出来る人間は、団の中でも限られた者だけだ。そして、この鎖を超えて魔石に近づく事が出来るのも同じく過去に魔石に魅入られ、力を手にした者のみ。力を持たないリィアは規約により、鎖を超える事はおろか、台座に近付く事すら許されない。 だが、紅瑛とハクロは有力者――――魔石による力を手にした者だ。ふたりの外見の色素が、それを証明していた。紅瑛の髪は鮮やかな紅、ハクロの髪は輝く白銀。この髪の色は、先天性のものでは無い。魔石に魅入られたその時に変色した結果、手に入れた色素である。 力を得ると同時に、身体の何らかの部分が変質するらしい事は、研究の結果で分かっていた。尤もそれが分かったのはつい最近の事で、ふたりが魔石に魅入られる以後の事だが。変質の起こる部位やその結果は人それぞれで、彼らの様に髪の色が変わる者もあれば瞳や肌の色が変わった者もいる。翼や獣の耳が生えたなどという身体の変化を起こした者もあれば、性別が逆転した者もいる。何の変化も起こらない者もいたが、それは稀だ。 ふたりがそっと手を触れると、魔石が軽く発光した。 彼らの力の根源はこの魔石にある。それ故、有力者達は魔石を介して何らかの意思伝達に似た遣り取りを交わす事が出来るのだという。一説によれば、魔石に触れる事で力の補給も行えるのではないかとも言われているが、はっきりした事はやはり分かっていない。 数秒もしないうちに手を離し、互いに視線を通わせる。 「特に異常は無いみたいですね」 ハクロが言った。紅瑛は頷く。 「だな。そうと分かれば、此処に長居するのはご免だ」 「同感です」 吐き捨てる様に言った紅瑛の言葉に、ハクロは同意を示す。 いくら魔石の傍に居ても大した影響が無いとは言え、まだ謎の残る未知なる水晶体の傍に延々と居続けるのは勘弁願いたい。そう思うのは、人間として素直な反応かも知れなかった。 何が起こるか分からない、と言ったはっきりしない曖昧な概念は、人々に恐怖すら与える。たとえ強力な力を得た者だとしても、そういった人類の根本的な精神構造は何も変わらないのだ。 ハクロは鎖を再び超えた。大地に生える草を踏み締める音が、微かに響く。紅瑛はそれに続こうとして、不意に襲って来た悪寒に動きを止めた。背後に、覚えのある感覚が広がる。 「紅瑛さん?」 ハクロが不思議そうに振り向き、尋ねた。 魔石が輝かしい程の光を帯びる。 紅瑛は叫んだ。 「ハクロ! リィアだ!!」 早急に全てを理解したハクロが動くより早く。 「――――きゃあぁぁッ!!」 リィアの叫び声が、森にこだました。 |