● Missing Angel ●

 飾り付けされた街頭のイルミネーションが、きらきらと輝いている。窓の外で流れていく景色をぼんやりと眺めて、男はつまらなそうに呟いた。
「世の中クリスマスだって浮かれてやがるってのに、俺達のやってる事ってのは、何だかねぇ」
「仕方ありませんよ」
 何処か呆れた響さえ含ませて、苦笑する様な声が返ってくる。運転席に座る青年の諦め切った台詞に、男は反発する様に怒鳴った。
「何だよその返しは! お前はこんなんでもいいってのか!?」
「誰かがやらなきゃならない事ですから。でも、嫌ならどうして、刑事なんて休日返上な仕事に就いたんですか、石島さん?」
 的確な質問で返され、男は言葉に詰まった。
 この男――――石島は柄が若干悪いものの、れっきとした刑事だ。こう見えて、それなりの階級でもある。今は最近頻発している、連続強盗事件の捜査に駆り出されているという訳だ。
「なら早く犯人とっ捕まえて、聖なる夜の当日はゆっくり休もうじゃないか」
「そうなれば良いですね」
「馬鹿野郎、そうなる様に努力すんだよ!」
 クリスマスは、明日。彼らの長い一日が、今幕を上げた。

*

「畜生、煙草が切れた」
 ケースの中身を確認して、石島は機嫌悪そうに呟いた。相変わらずハンドルを握る若刑事が、苦笑して路肩に車を止める。
「僕が買って来ますよ。聞き込みも兼ねて」
「ん、悪ぃな片瀬」
「構いませんよ。では、行ってきます」
「おう、宜しく頼むわ」
 片手をちょいと上げて見送ると、片瀬はぺこりと頭を下げて走っていった。
 彼はよく気が利く。それは好印象を与える為の小細工などではなく、彼の性格から来るものだという事を、石島は知っている。だからこそ、その細やかな気配りが嬉しいのだ。
 言うまでも無いが、石島自身は全く反対の様な性格である。大体、見た目からして難がある様にさえ思えるのだ。好きでこんな風になった訳では無いが、まるで刑事と言うよりヤクザと言った方がすんなりと納得出来てしまうのは否定出来なかった。
「ま、俺は俺だからなぁ」
 その一言で全て片付けて、石島は窓の外を眺めた。そこからは公園が見え、子供が楽しそうに遊んでいる。時刻は三時を回った頃で、もう少しで日が陰り始める頃だ。母親の呼ぶ声に、ひとり、ふたりと、次第に子供達が帰り始める。
 この些細な平穏に、心が温まった。石島にも、妻子が居る。子供は五歳とまだ幼い。無意識に、公園の母子に自らの妻子を重ねていたのかも知れない。
 一家の主人として妻子を守るのも、刑事として市民の安全を守るのも、平等に大切なのだ。どちらも変わらない。誰かを守りたいという気持ちに、順位など付けられないのだ。
「んなの、俺の柄じゃねぇんだがなぁ」
 不意に至った思いに、苦笑する。どうにも感傷的になってしまうのは、いまや一大イベントと化した特別な冬の日が原因だろうか。クリスマスには妻と子と、三人でパーティでも開こうかと言っていたのだ。それなのに今は、犯人を探して駆けずり回っている。
 果たして、間に合うのか。それは、ある種運の問題でもあるが、運ばかり頼りにしたくは無い。
 片瀬が戻って来るまで、もう少し掛かるだろう。石島は車のキーを手に、助手席から降り立った。吹き付ける風が冷たい。よくもまぁこんな中で遊んでいられるな、と感心する。子供は風の子、とはよく言ったもんだ。
 子供達が帰り、すっかり人気の無くなった公園に、足を踏み入れる。公園になど入るのは、何年振りか分からない。遊んでくれる相手の居ない遊具は、何処か寂しそうに残されている。自分が子供の頃は暗くなるまで遊び通しだったな、とぼんやり思う。今は時代が変わった。あの頃とは、何もかもが違う。遊具の物寂しさは、そんな時代を反映しているかの様にさえ思えた。
 そんな中で、ぽつんとひとり立っている少女が居るのに気付く。どうしたのだろうか。
 石島は辺りを見回したが、自分以外に人影は見当たらない。仕方ないなと呟いて、少女に近寄った。端から見ると、まるで誘拐犯に見えるのでは無いだろうか。そんな思いがあったが、それは頭の隅に追いやる。まずは恐がらせない様、状況を把握する事だ。
「嬢ちゃん、どうした? 迷子か?」
 声に振り向いた少女は驚く素振りも見せずに、石島に飛び付いて来た。ダウンジャケットを握り締めながら、顔を埋める。
「…………こりゃマズイな」
 どうやら間違いでは無いらしい。苦労がまたひとつ、増えた。


 煙草とついでに温かい飲み物と、それから有力な情報を持って戻って来たという片瀬は、あんぐりと口を開けた。助手席に座る先輩刑事はともかくとして、後部座席に見知らぬ少女が居るのだから、驚くのも無理は無いのだろうが。
「石島さん、これはどういう事ですか!?」
「迷子、なんだろうな多分。そこの公園に居た」
「……なんで微妙に推測なんですか」
「何訊いても答えねぇんでな、俺の勘だ」
「そう、ですか。分かりました」
 片瀬はひとまず納得したらしい。石島は差し出された煙草の封を切り、一本取り出そうとしたが、不意に手を止めた。そのまま箱を閉め、ダッシュボードに放り投げる。
「まぁいいや。で、情報ってのはどうした?」
「あぁ、そうでした。相沢らしき男の目撃情報なんですが」
 ――――相沢稔成。この強盗事件の被疑者として追っている奴の名だ。あちこち逃げ回っていたのだが、この付近で目撃されたらしい。
「まだ遠くにゃ行ってねぇ筈だ、探すぞ!」
「はい!」
 片瀬が、素早くエンジンを掛ける。前方に視線を送っていた石島の、顔色が変わった。
「――――待て!」
 アクセルを踏みかけた片瀬は、制止の声に慌ててブレーキを踏んだ。
「あいつ、相沢じゃねぇか!?」
 前方に目を凝らし、石島は呟いた。片瀬も、それに倣って視線を向ける。細身の体躯をしたその顔は、紛れも無く追っていた相沢のものだった。
 相沢は辺りを慎重に窺いながら、車に乗り込む。エンジンが掛かると、勢い良く飛び出した。
「追うぞ。この際バレても構わねぇ、確実に仕留めるぞ!」
「……はい!」
 ハンドルを強く握り締め、片瀬は答えた。石島は後部座席を振り返り、優しく言葉を投げる。
「悪ぃな、ちょっと付き合ってくれ。用が済んだら、すぐに親御さん見つけてやるからな。それまでしっかり捕まってろ、危ねぇからよ」
 少女は言葉こそ発しないものの、こくんと小さく頷いた。石島は、ふと笑う。
「よし、ありがとな。……片瀬、突っ走れ! 見失うなよ!!」
「任せて下さい!」
 陽が暮れ始めた閑静な住宅街を、二台の車が激走する。
 終幕は、もう目の前まで見えていた。


「……ったく、手間かけさせんなよな」
 車にもたれ掛かった姿勢で、呆れた様に石島は呟いた。
 後方から猛スピードで追ってくる車に会沢が気付かない筈も無く、二台の車は街中でカーチェイス並みの激しさで移動をしていた。しかし追跡と同時に本部へ送った無線のお陰で多くの応援が駆け付け、会沢の行く手を次々と封鎖、逃げ場はどんどん狭まり、袋の鼠になった所で漸く観念したのか、会沢は車を停めて御用となった。
 普段では有り得ない様な――――そう、まるでドラマの様な終幕だ。その事実に内心驚きつつも、石島は忙しなく動く後輩刑事に声を掛けた。
「片瀬、後は頼んでいいか? 約束したんでな」
「あぁ、はい。でもわざわざ石島さんが探さなくても」
「ま、そう言うなよ」
 苦笑しながら、車の中を覗き込む。瞬間、石島の眉が跳ねた。
「どうしました?」
 不審に思った片瀬が近付いて、同じく車内を眺めて絶句した。
 少女が座っていた後部座席にその姿は無く、純白の羽根が数枚、落ちているだけであった。
「これって、どういう事でしょうか」
 呆然と呟く片瀬に、石島は荒々しく答える。
「俺に訊くなよ」
 僅かな疑問ひとつ残して、夜が訪れた。

*

「ぱぱー! ぱぱかえってきたー!!」
 自宅に帰った石島の顔を見るなり、幼い少女が満面の笑みを浮かべて走って来た。それが何とも愛らしくて、思わず抱き締める。
「ただいま、春花」
「お帰りなさい、あなた。お仕事、終わったの?」
 娘の叫びに気付いた妻が、にっこり微笑んで出迎えた。石島は頷く。
「あぁ、何とか片が付いた。運が良かったんだろうな、きっと」
「そう、良かったわ。もう少しで料理が出来上がるから、それまで春花と遊んであげて?」
「あぁ、そうだな」
 ここ数日、ゆっくり遊ぶ暇も無かったから、丁度良い機会だ。石島は春花が先刻まで使っていたらしいスケッチブックに目を留めた。辺りには、色んな色のクレヨンが散らばっている。
「お絵描きしてたのか」
「うん、ぱぱがきょうかえってきますように、っておねがいしてたの」
 微笑みながら、スケッチブックをぱらぱらと捲り、自慢するように指し示す。
「てんしさんにおねがいしたら、ぱぱがかえってきたのよ?」
 そこには、羽の生えた少女の絵が描かれていた。まだ幼稚園に通う春花の絵はお世辞にも上手いとは言えないが、それでも彼女が絵に込めた思いは、痛い程伝わって来る。
「天使……か」
 愛娘の描いた天使の絵に迷子の少女の面影が不意に重なって、ぎくりとした。
 突然の様にすんなりと解決した事件。消えた少女。残された羽根。
「……まさかな」
 ふと浮かんだ思いは、あまりにも現実離れしすぎる妄想で。そんな奇跡の様な事がある訳は無い、そんな都合の良い話が存在する訳は無いと、頭が否定する。
「どうしたの?」
 きょとんとした顔で、春花が尋ねる。石島は何でも無いと笑って、春花の頭を優しく撫でた。
「春花のお陰で、パパは帰って来れたんだ。ありがとな、春花」
 願いが叶ったのが嬉しいのか、礼を言われたのが嬉しいのか。或いはその両方か。春花は幸せそうに、にこにこと微笑むのだった。
 ――――奇跡。
 そう表現するならば、まさにそれは奇跡であったのかも知れない。

 メリー・クリスマス。
 貴方にも、天使の加護があらん事を。


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