● Eternal Melody ●

 街は華やかに飾り付けられて、道行く人々の気持ちを否応なしに昂ぶらせている。寒さすら、忘れさせる程に。そんな雑多な喧騒をぼんやりと眺めながら、少女がぽつりと呟いた。
「やぁね、皆して浮かれちゃって。聖夜だか何だか知らないけど、本当にその日が来るって疑わないのね。いつ終わりが来るかなんて、分かりゃしないのに」
 少女の纏う黒衣が、風にさらわれる。周囲の絢爛と極端の色。それは彩られた街中では、酷く目を引く。しかし、通り過ぎる人々の視線が向けられる事は無い。まるで、そこに居る少女の姿が誰にも見えていないかの様に、自然に通り過ぎてゆくのだ。
「さぁて、そろそろ催促に行こうかしらね」
 始まりを宣言する様に呟くと、少女は喧騒の中に混ざって消えた。街は輝きを失わない。

*

 ふわりと漂う風が、頬を撫でる。人々が厭う、凍る様な厳しい冷気を孕んだ冬の風。それが、やけに心地よく感じた。世間はもう、クリスマスを目前にして大忙しだ。今年のパーティはどうしよう、プレゼントは何が良いだろう――――そんな会話の遣り取りも、いつものこと。
 けれど何故だろう、それがいつもより遠い事の様に感じる。自身の忙しさが例年に増して酷くなったのが原因なのだろうか。考えながら、空を仰ぐ。その瞳には、暗闇しか映らない。
 昨今の急激なクラシックブームに乗せて、今年の仕事が一気に増えた。その数は、例年の比ではない。幾つか断れば余裕も出来たのだろうが、出来るだけ多くに携わっていたかった為に全て受けた。
 そもそも、本来の彼の仕事量からして多かったのだ。そこに更なる量がプラスされたが故に、年始から半端ではないスケジュールをこなす羽目になったが、今までは序の口だ。問題はこの後、クリスマスシーズンの大量公演を乗り切れるかどうかだ。
 片瀬澄。それが彼の名前。街に出てその名を出せば、皆が知っていると答える。皆が揃って天才だと答える。神から才能を賜った、最高の人材であると。
 クラシックは、音楽の中でも敬遠されがちな分野だ。今時の流行曲の様に、毎日聴いて楽しむ者は少ない。それを革命的に変え、ブームの一端を荷っているのが、片瀬澄その人である。
 彼の存在は人々の関心を惹いた。彼の奏でる旋律に、皆が心酔わせた。そして、彼はいつしか生きた伝説になり、巷では高い評判がなされていった。
 ――――盲目のピアニストとして。
「やっと見つけた!」
 苛立ちの含まれたその声に、澄は首を巡らせる。漆黒に包まれた景色では、音だけが方向を探る唯一の方法だ。かつかつと靴の音が近付いてくる。それを察して、澄はそちらに身体を向けた。足音はどんどん近付いて、澄の傍でぴたりと止まる。
「何でこーんな所に居るのよッ! このあたしが探しちゃったじゃないの!!」
 どうやら目の前の彼女は、酷くご立腹の様子だ。その理由は、いまいち澄には分からないが。
「ごめん。手間を掛けて」
 取り敢えず、謝っておく。それで納得する様な彼女で無い事は承知しているのだが、謝らなければ余計に癇癪を起こす事は経験で悟っていた。
「ごめん、じゃないわよ! 謝るくらいなら来ないでくれる!? あんた、自分がどういう状態なのか分かって言ってる?」
 案の定、彼女の怒りは収まらない。しかし彼女の言も尤もなので、黙ってそれを聴いている。
「危ないんだからね、屋上は! 柵とか網とか、壊れてたら落ちてるかも知れないの!! あんたはそれが分からないんだから、危険でしょう!? 死んだらどうするつもりよ!!」
 その言葉に、思わず笑みが漏れた。真剣に怒っている所を笑われて、彼女の怒りが高まったらしい。ムキになった様に、叫びの音量が増した。
「何が可笑しいの! あたしは真剣に忠告してるのよ!?」
「……だって、矛盾してるから」
 何が、と言いたいのだろう。痛い程に真っ直ぐな視線が身に刺さってくるのが気配で分かる。きっと、眉根を寄せてきつく睨んで居るに違いない。
「君の仕事は僕の魂を回収する事じゃないか。それなのに、死んだらどうするなんて心配をするんだから。ほら、矛盾しているだろう?」
「う、煩いわねあんた! 人の揚げ足取らないでくれる!? あれはね、あたしが回収するからその前に死なれちゃ困るんだ、って話よ。そーゆー意味なの、分かった!?」
「はいはい」
 彼女の真意は分からないので、まぁそういう事にしておく。話題を挫かれて、彼女の怒りは萎んでしまった様子だ。盛大な溜息ひとつが、耳に届く。
 彼女は、自らを死神だと名乗った。そして今、澄の魂を回収すべく傍に居る。制限時間はクリスマス。それまで待つから好きな様に余命を過ごすよう、現れた彼女は言った。そうして現在に至る。
 しかし彼女の言動は、何処か澄を案じている様に感じる事もしばしば。そんな妙な矛盾に可笑しさを覚えつつも、幸せに残りを過ごせればそれで良いと、そう思えていた。
 そもそも、これは約束だった。――――否、契約と言った方が相応しいのかも知れないが。
 澄は生来から視力を失っていた訳では無い。幼い頃にピアニストとしての才能を開花させた澄は、若くして海外へ留学し、本場の音楽を学んだ。そして帰国しようと乗った飛行機が事故に遭い、生死を彷徨いかけた経験がある。その時、彼女と出会ったのだ。
「命が惜しくば、契約を交わしなさい」
 彼女は、そう言った。そうすれば魂を貸してあげる、と。但し、期限付きで。定められた期日が来れば、魂の返還にやって来る事を承知で、生きたいかと。そう問い掛けた。
 それに澄は頷き、契約は交わされた。そして契約の証として、生を望んだ枷として、両目から光が失われたのだ。それは皆、事故の代償だと疑わなかった。
 そしてそれから数年が経ち、指定された期日を迎え、彼女は宣言通り澄の前へとやって来たのだ。そこから、明確なカウントダウンが始まった。
 しかし、澄の心は穏やかであった。日に日に気分が落ち着いたものになっていく。全てを悟ると、こんな気持ちになるのだろうか?
「ちょっと、あたしの話聞いてるの?」
「勿論。君の気持ちは痛い程分かったよ」
「なら、いいんだけど」
 まだ納得はいかない様子でもあったが、半ば諦めの口調で彼女は言った。
「ほら、こんな所で油売ってて良いの? 本番まであんまり時間無いんだからね! リハーサルだってあるんでしょう? 此処に居ると今にスタッフに怒られるわよ」
「そうだね」
 何だかマネージャーみたいだなと苦笑しながら、澄は彼女に従った。

*

 毎日の様に開かれるコンサートを終え、残すは最後のクリスマスコンサートのみとなった。
 これが最後の――――事実上、最期の仕事になる。そう考えれば、自然と力が籠った。
 今までも手を抜いたつもりなど無かったが、最期となるならそれ以上の力を尽くしたい。そう思うのは、芸術を扱う者としては当たり前の様な感情だった。だからこそ、打ち合わせとリハーサルを入念に進めた。少しでも手落ちの無い様に、完璧なものとする為に。
 いつにない細かさに、スタッフも些か困惑している様子だ。ミスをしてもいいと言う訳では無いが、普段は肩の力を抜いてのびのびと、気楽にをモットーにしていただけあって、その差に驚きを隠せないのだろう。そうして忙しくしているうちに、ずっと傍に居た筈の彼女の存在にまで気が回らなくなっていた。彼女が居なくなっていた事には気付いたのは、本番が始まる直前だった。
「シーア……?」
 彼女の名を、小さく呼ぶ。返答は無い。いつも事ある毎に茶々を入れたり、口出しをしてくる彼女が居ない。傍らの静けさに気付いた時には、遅かった。
 何処に居るのかと辺りを見回しても、ただ暗闇が映るばかり。視力を失った事に対する後悔は無かったが、今初めて不便だと思った。彼女を捜しに走りたくても、その姿を捉える事が出来ない。
 そのもどかしさに、腹が立った。
「時間ですが、準備は宜しいですか?」
 進行役の声が、澄の意識を現実に引き戻した。そうだ。今は最期の舞台を成功させなければならない。精一杯、命を懸けて。最高のステージを。
 彼女にも届く様に、旋律を奏でよう。そうすればきっと、戻って来るだろう。
 そして別れの言葉と礼を――――。



 妙に腹が立っていた。何に対してなのか、分からない。澄に対してか、自分に対してか、それとも現実に対してか。それが分からないから、余計に腹が立つ。
「何なのよ……」
 日が沈み、夜も更けていく頃。漂う風は、鋭い痛みを伴う冷たさだ。けれど、そのくらいが丁度良い。昂ぶった感情を落ち着かせるには。
 彼が好んで居た屋上。街を見下ろすこの高みも、眼窩に広がる数多のイルミネーションも、彼には分からない。それでもなお、彼はそこを離れない。それが何故かなんて、シーアには分からない。分からない筈なのに、彼女もまた気付けばここに来ていた。その理由すら、分からないまま。
 自然と足を向けてしまう、そんな不思議な力がここにはあるのかも知れない。
「どうすればいいの……?」
 浮かび上がってくる正直な答えに未だ頷く事も出来ずに、シーアはその場を離れた。



 拍手が、鳴り止まなかった。通常ならばこれで終わる筈の舞台は、急遽そのアンコールに答える事となり、計画に無かった事態に戸惑ったスタッフのひとりが、曲は任せます、とそれだけ伝えに来た。澄は分かりましたと答えて、自身で曲を選択する。
「シーア?」
 ふと近付いた気配に、呟く。返答は無く、その代わりに言葉が投げられた。
「終わったら、話があるの」
「……分かってる」
 何の事は無い、短い会話。それが何を意図しようとも、それで充分だった。澄は小さく微笑んで、ステージへと向かい一歩を踏み出す。それに気付いたスタッフが駆け寄って澄の手を取り、導く。その流れは当たり前の様に自然なものだ。それを、シーアはただ眺めていた。
 澄はアンコール用に、数曲候補を挙げた。そこから選抜してまず二曲、クリスマスらしいものを弾いてみせる。誰もが耳にした事のあるだろう曲を。そして二曲は、定番のクラシックだ。そして最後に一曲、オリジナルの楽曲を選んだ。最近になってから、澄が造り上げた曲。
 客の反応は、文句の言い様が無かった。
 大成功のうちに幕は閉じ、澄の名声は一層高まった。
 コンサートの成功にスタッフが大喜びする中、澄はシーアを捜していた。姿が見えない代わりに、気配を探る。しかし、彼女らしき人物は居ない様だ。
「澄さん、屋上で待ってる、って伝言を預かって来たんですけど。長い黒髪の女の子なんですが、お知り合いですか?」
 長い黒髪。記憶にある姿を思い起こせば、彼女は綺麗な黒髪だった事を思い出す。
「ええ。ありがとうございます」
 一緒に行きましょうかというスタッフに丁重な断りを入れて、澄は急いだ。ひとつの疑問を胸に。


「早かったのね」
 すぐ傍から、シーアの声がした。
「シーア、どうして」
 ――――どうして、スタッフに姿が見えた?
 澄は疑問をぶつけた。苦笑する様な、気配。今にも泣きだしそうな声で、返答があった。
「あんたの所為なんだからね! あんたが……頼りないから、だから……ッ!!」
 声だけの状況では、彼女の表情が分からない。泣いているのだろうか。
「喜びなさいよ? 死ななくて済んだんだから」
 その一言に、絶句した。
「どうして。君は僕の魂を回収しに来たんだろう? 僕は確かに魂を借りた、契約を交わしたんだ。だからこうして生きて来れた。それなのに、どうして」
「このあたしに、言わせたい訳!? あんたと一緒に居たいから上司に直訴した、って!」
「え……今、何て」
 澄は目をぱちくりとさせた。彼女は、何を、言っているのだろう?
「何度言わせるのよ! あたしが居るのが嫌なら嫌って言えばいいじゃない!!」
「嫌だなんてそんなこと! 嬉しいんだ、だから」
「何よ、喜ぶのは早いんだからね」
「……え?」
 驚く暇も無く、目を閉じる様にと言われた。それに従って目蓋を下ろすと、小さな手が頬にそっと触れた。温かさが、伝わってくる。こつん、と額が触れた。
「目、開けて」
 両手は頬に触れたまま、額だけを離してシーアが言った。ゆっくりと、目蓋を上げていく。暗闇の視界から、彩りが生まれていく。顔を僅かに上げると、少女の顔が映った。
「シー……ア?」
「ん、そうだよ」
「見えてる……?」
「あたしからのクリスマスプレゼントだよ。契約は破棄したから、目もちゃんと返すね」
 言いながら、シーアはそっと両手を離す。澄は真っ黒な彼女の瞳を見つめた。
「破棄って、どうやって?」
「あたしはもう、死神じゃあない。あんたの魂は獲れないって言ったら、死神失格だってクビにされちゃった。だから今はね、もうただの人間」
「人間……って」
「クリスマスだから、特別だってさ。全く、クリスマス様々ね。良い事尽くしじゃないの。死神がクリスマス、って概念は良く分かんないけどさ」
「良かった……!」
 澄は思わず、彼女に抱き付いた。突然の事に驚いて、きゃ、と声を上げたシーアは、みるみるうちに顔を真っ赤に染め上げる。
「ありがとうシーア、本当にありがとう……!」
 状況に戸惑うシーアはどうしたらいいのか分からずに、しばらくされるがままになっていた。
 こうして視力を取り戻した澄はその後、益々精力的に活動に打ち込んだ。その傍には常にひとりの少女が付いて、彼をサポートしている。
 その道は平坦なものばかりでは無かったのだが――――それはまた、別の話。

 片瀬澄。
 その名を聞いた者は、口々にこう呼ぶ。
 ――――奇跡のピアニスト、と。


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