● 星降る夜に。 ●

 ティシア・レイジェルは、今日何度目になるか分からない溜息を吐いた。
 彼女の数メートル先にある木製の小さなテーブルの上に載っていたガラス瓶は、木っ端微塵に砕かれて、テーブルに、地面に、散らばっている。
「あたしってば、どーしてこう才能が無いんだろう」
 この言葉すら、何度呟かれた事か。ティシアは魔術で片付けようと口を開きかけ、自重する様に再び口を閉ざした。部屋の隅から箒と塵取りを取り出すと、丁寧にガラスの欠片を集め始める。
 そうしながらも、また溜息。
 ティシアは今――――いや、先刻まで、魔術の練習中だった。彼女の家は代々皆魔術の扱いに長けている。だがどういう訳だろう、ティシアにはどうにも魔術というものを上手く使いこなす事が出来ないでいるのだ。それは彼女に、プレッシャーと劣等感を抱かせていた。
 だからこうやってひっそりと魔術の練習に励んでいるのだが、どうにも上達する気配は見られない。これはもう、才能が無いとしか言い様が無い。
 ティシアが尊敬する実の姉は、見事に魔術を使いこなし、様々な方面で人の助けになっているという。普段は王都で占いを生業としているらしいが、占いというのも魔術の一端だ。魔術が優れていればいるほど、占いも当たり易い。きっと姉の占いは、当たると評判の事だろう。
 その姉は、もう随分と前に王都へ出たきり、顔を会わせていない。元気でやっているだろうか。ふと、そんな事を思う。今度会いに行ってみようか……そんな事を思うのは、自分の今の境遇が辛いからなのだろうか。無意識に、慰めて欲しい欲求が現れたのかも知れない。
「ううん、そんなんじゃ駄目よ。もっと頑張らなきゃ」
 ティシアは自分自身にそう言い聞かせ、自分の両頬を軽く叩いて活を入れる。
 ちらりと時計を見ると、時刻は既に午前九時。もう、家を出なければならない。
「大変、もう行かなきゃ。練習の続きは帰ってきてからだわね」
 ティシアは掻き集めたガラスの破片をゴミ箱に流し入れると、箒と塵取りを投げ捨てる。慌てて洋服箪笥から制服を取り出し着替えると、鞄を手に家を走り出た。


 ティシアが通うティモシール学園は、ごく普通の学校だ。魔術を習う事が目的の学校ではなく、知識と教養を養う場所なので、彼女は劣等性として扱われる事が無い。こう見えて、ティシアは学校の成績はいいのだ。
 ――――たったひとつの科目を除いては。
(…………最悪)
 ティシアは、心の中でそう呟いた。
 今は彼女が最も苦手とする、魔術の授業。ごく普通の学校に、どうしてこんな教科が存在するのかが、ティシアには理解出来ない。あってもなくても、問題は無い筈なのに。
 渋い顔で教師の説明を反芻するティシアに、投げかけられた言葉があった。
「……今度は屋根とか吹っ飛ばさねぇ様にな」
 ティシアは鋭く声の主を睨みつけた。誰が言ったのかだなんて、顔を見なくても分かる。そんな事を言うのは、たったひとりしかいないからだ。
「うるさい。あんたには関係ないでしょう、エイク」
 突き放す様にそう言うと、エイク・ティルシュドはからかうように笑った。赤い髪をしたこの男子生徒とは、言ってみれば犬猿の仲とでも言うべき間柄だ。
「屋根が吹っ飛んだら、俺達は困るんだよ。まぁ屋根のひとつくらい、俺みたいな天才ならあっという間に直せるけどな」
「自称天才でしょ」
「簡単な魔術すら使いこなせねぇ様な奴に言われたくないね」
「そう言ってられるのも今のうちよ。すぐにあんたなんか追い越してやるんだから」
「へぇ。そりゃ楽しみだ」
 言って、エイクは去っていった。その背中が、絶対無理だ、と言っている。
「……絶対、追い越してやるんだから」
 呟いて、目先の目的に集中する。今日の課題は、物体の浮遊。ティシアが自宅で練習していたのと同じ内容だ。先刻は浮かせる物体に与える力が強すぎたせいで、ガラスの瓶は割れてしまった。ならば、今度はその力を弱めてやればいい。頭では分かっているのだけれど、それを調節するのが難しいのだ。
(とにかく、前回みたいな失敗だけはしないようにしなきゃ)
 ティシアは心中で呟く。前回の授業では、エイクの言っていた様に教室の屋根を吹っ飛ばしたという輝かしい成績を残している。教師達の魔術によって屋根はすぐさま修復されたが、その事件によってティシアが経験した恥ずかしい思い出はそうそう修復出来なかった。
 ティシアは自宅でやった様に、浮遊対象物である木片を自分の数メートル先に設置し、辺りに人が居ないかを厳重に確認した。もしまた失敗した場合に、怪我人などを出さないようにという配慮からだ。それ以前に成功すればいい話なのだが、それを彼女に願うのは無理というものだろう。
 ティシアは前方の木片をしかと見据え、意識をその一転に集中させた。前方に掲げた両手に力を集中させ、木片がふわりと浮き上がる様を脳内でイメージする。そのイメージが大切なのだと、誰かに聞いた事がある。今回の目的は破壊ではなく、浮遊だ。攻撃的な感覚ではなく、包み込む様な、そんなふんわりとしたイメージを描き出し、力に変える。
(――――浮け!)
 木片が、小さく動いた。
 ティシアが成功かと期待を膨らませた途端、木片は素晴らしいほどの勢いで弾け飛んだ。どうやらまた失敗した様だ。だが、周りに障害が起こらなかっただけ、良かったと思わざるを得なかった。


 沈んだ気持ちで家へと帰って来たティシアを待っていたのは、これ以上無い喜びと驚きだった。
 木製の扉をティシアが開くと、真っ先に飛び込んで来たのは人の姿だった。菫色の髪に深い紫色の瞳の、一見するとティシアより幾分か年下の少女の姿。彼女は椅子に堂々と腰掛け、机に突っ伏した状態で足をぶらぶらとさせ、暇を持て余している様に見えた。
 だが、ティシアの帰宅に気付くと、少女は顔をティシアに向け、嬉しそうに笑う。
「お帰り、ティシア」
「お……お姉ちゃん?」
 ティシアは喜びと疑問とが混ざり合った奇妙な表情で、ただそれだけ呟いた。少女は笑顔で頷いて、肯定の意を表して見せる。
 そう、彼女は紛れもなくティシアの姉、アセトラだ。外見こそティシアより幼いが、それは本来の彼女の姿ではない。強大な魔力をその身に宿している彼女は、それを蓄える為に少女の姿で生活しているのだ。彼女だけが例外ではなく、ティシアの一族の中でも特に魔力の強い者は皆そうだ。
「ど、どうしてここにいるの?」
 戸惑いを隠し切れないままティシアが問うと、アセトラは一瞬戸惑う様な表情を浮かべたが、それはすぐに消え去った。
「最近帰って来てなかったし、たまには息抜きしようと思って。店もしばらく休業にして来たし、当分の間は里帰りって事でさ、のんびりしようっていう訳」
「そうなんだ」
「そういうこと」
 答えて、アセトラは立てた人差し指をくるっと宙で回した。ただそれだけで、彼女の目の前にグラスに入った水が現れる。アセトラはそのグラスを手に取り、一気に飲み干した。
「ねぇ、ティシア。あたしに何か、相談したい事とか無い?」
 問われて、ティシアは戸惑った。
 憧れである姉に直接指導を受ければ、魔術も多少なりとも上達するのではないだろうか。それは何度も考えた事であり、願った事であった。けれど、それと同時に有能な姉の傍に居る事が辛くなった事もある。
 けれど、その劣等感を無くす為にも、魔術の腕を上げなければならない――――そう思う。
「……魔術、教えてくれる?」
 消え入る様な声でそう言うと、アセトラは待ってましたとばかりに微笑んで、頷いた。
「もちろん、可愛い妹の為なら何でもするわよ。じゃあこれ、浮かせてみて」
 アセトラは手にしていたグラスをテーブル上に置き、言った。
(……浮遊術)
 今日の朝から失敗続きの魔術だ。今度こそは何とか成功させたいところなのだが。
 ティシアは今までと同じ様に意識をグラスに集中させ、それが浮き上がる様をイメージした。その柔らかなイメージを保ったまま、その意識を力に変える。
(お願い、浮いて!)
 その願いを発端としたかの様に魔術は発動され、ものの見事に今回もグラスを破壊してみせた。すぐ近くに居たアセトラはすかさず防御用の魔術を発動させ、破片からその身を守っていた。
「また失敗……」
 がっくりと肩を落とすティシアには目もくれず、アセトラは跡形もなく砕け散ったグラスを眺めている。そうして確信を持った様に一言、呟いた。
「素質はあるのよ」
「え」
 今、何と言った? 素質がある? そんなまさか。
 ティシアは耳を疑った。何か勘違いでもしているのではないだろうか。しかしアセトラは今度こそ間違いない、といった表情でティシアに向き直った。
「間違いないわ、自分の力が思うように動かせないだけなのよ」
「で、でも、それってつまりは魔術の才能が無いっていう事なんじゃ」
「そうじゃなくて、制御力の問題よ。制御力さえ磨けば、力は思うように出せる筈だわ」
「でも」
 それでもティシアには納得がいかない。とても自分に素質があるとは、思えないのだ。
「……あんたねぇ」
 アセトラは大げさに溜息を吐き、再び散らばったガラスの破片に視線を向けた。
「ねぇ。どうしてグラスが粉々になったと思う?」
「どうして、って……失敗したからじゃないの?」
「はずれ。浮遊術の失敗ってのは、ほとんどが動かない事を指すの。粉々に割れるだなんて、滅多に無いわ」
「だったらどうして」
「そう、問題はそこよ。どうして割れたのか。答えは簡単。グラスに与えられた力が強すぎたからよ。付加された力にグラスそのものが耐え切れずに破裂したの。要するに、ティシアの力は相当大きなものだって言えるわね」
 そこまで言って、アセトラはティシアに微笑みかける。
「学校は明日、休みだったわよね。特訓、するわよ」
 ティシアは、その言葉に頷くしかなかった。


 翌日の昼、ティシアはアセトラに導かれるままに村に隣接する森へと向かっていた。
 あまり人が通る事の無いこの場所ならば、何があっても他人に迷惑をかける事がないからだろうか。ティシアは、何気なくそう思う。ところが、森の中にある小さな広場には、先客が居た。運の悪い事に今現在、ティシアが最も会いたくない人物が、そこには居た。
 咄嗟に姿を隠そうと姉の後ろに移動してみたが、彼女はティシアよりも小柄だ、隠れられる訳が無い。彼女の姿は、はっきりと見て取れた。
「……何でお前がここに居るんだよ」
 不服そうな顔で、先客――――エイクが言った。ティシアは隠れる事を諦め、その代わりに胸を張って答えてやる。
「あんたこそ、何でこんな所に居るのよ」
「別に、何だっていいだろ」
「じゃあ、あたしがどうしてここに居るのかもどうでもいい事よね」
「…………」
 エイクは悔しそうに、ティシアを睨みつける。ティシアはそんな視線に動じる事もなく姉に向き直り、彼女の浮かべる表情に戸惑いを覚えた。
 どうやら、会いたくない人物に出会ってしまったのはティシアだけでは無かったようだ。
「お姉ちゃん? どうしたの」
 全て言い終わらないうちに、アセトラはこれでもかとばかりの大音声で叫んだ。
「どうしてあんたがここに居るのよ――――ッ!!」
 その音量たるや、その場に居た誰もが耳を塞がずにはいられないくらいのものだった。
「ちょっと、お姉ちゃん、何? どうしたの?」
 疑問符を顔に浮かべてティシアは尋ねたが、アセトラはまるで全てが聞こえていないかの様に、ただ一点を穴が開く程に凝視していた。ティシアは姉の視線の先に目を遣る。
 そこには――――エイクの横には、ひとりの青年が立っていた。真っ先にエイクが目に入り、彼の存在を全く認識出来ていなかったらしい。この様子だとアセトラも彼しか目に入っていないと見える。それこそエイクの姿は眼中に映っていないだろう。無論、ティシアも。
 こうして見ると、そういうところは成る程、確かに血の繋がりを感じさせる。
 青年は美しい黄金の髪を持つ、穏やかそうな人物だった。白を基調にした、シンプルだが豪奢でもあり、品の良いローブを身に纏っている。それは、王都にある魔術協会に属する者である事を意味していた。
「お久し振りです、アセトラさん」
 彼はにっこりと笑い、そう言った。だが、その言葉にアセトラが和む気配は無く、彼女は彼をしかと見据えたまま、鋭く言い放った。
「答えになってない! あたしは理由を訊いてるの!」
「ええと、修行……っていうのは理由にはなりませんか?」
 怒り狂うアセトラの様子にはものともせず、彼はのんびりした口調でそう答えた。
「あんたが? 修行? 冗談じゃないわよ――――ッ!!」
「いえ、僕ではなくて。彼が」
 言って、青年は隣に立つエイクに視線を向けた。瞬間、エイクがあからさまな戸惑いの表情を浮かべたのを、ティシアは見逃さなかった。
「へぇ。天才様も修行はするんですか」
 嫌味な口調で、ティシアは言う。
「違う、俺は」
 エイクは咄嗟に反論の声を上げたが、それ以上は言葉にならなかった。
「……で? そのガキんちょとあんたの関係は何だって言うの」
 しばらく無言だったアセトラが、口を開いた。多少の落ち着きは取り戻している様だが、それでも視線は厳しい。いつにない姉の様子にティシアは内心動揺していたが、しかしそれを気にする素振りをみせない青年は、見かけの穏やかしさに反して肝が据わっている様だ。
「ええと、それは」
「師匠だよ! 俺は師匠の一番弟子なんだ」
 答えようとした青年の言葉を遮る様に、エイクが言った。青年は困った様に眉を顰める。
「師匠って言うのは止めましょうって言ってるのに……」
「誰が何と言おうと、貴方は俺の師匠です!」
 戸惑う青年に、エイクはきっぱりとそう言ってのけた。どうやらふたりの関係には、互いに違う説明を用意している様だ。けれど、ティシアにとって、そんな事はどうでもいい。一番知りたいのはエイクと青年の関係ではなく、青年と姉との関係だ。それなりに親しい間柄の様にも思えるが。
「……ねぇ、お姉ちゃん。あの人、誰? お姉ちゃんの恋人?」
「誰が!」
 反射的に叫んで、アセトラはそこで初めて妹がいたのを思い出した様に、急激に大人しくなった。どうやら本気で彼の存在しか見えていなかったらしい。
「違うわ。あいつにはちゃんと婚約者が居るもの。ただの知り合いってだけ。客よ、客」
「ふぅん」
「初めまして、ユアン・レードといいます。どうぞ宜しく」
 丁寧にも、青年が名乗ってくれた。慌ててティシアもぺこりと頭を下げる。
「は、初めまして。あたし、ティシア・レイジェルです!」
「そこ、和まない!」
 ほんわかとしたムードに一喝して、アセトラは踵を返した。
「…………帰る」
 その言葉に、ティシアは慌てた。
「え、ちょっと、お姉ちゃん、特訓は?」
「今日はパス。気分が悪い」
「そんなぁ」
「じゃあ、僕が」
 気を利かせたらしいユアンの言葉を、ふたつの声が遮った。奇しくも同じ言葉で、端的に。
「駄目!」
 声の主は無論、アセトラとエイクだ。
「……あんたに頼む訳ないでしょう」
 最後に一言そう告げて、アセトラは帰路を辿る。ティシアは慌ててその後を追った。
「アセトラさん! 星のこと、知ってますよね?」
 背後でユアンがそう叫んでいたが、アセトラがそれに答える事は無かった。


「ねぇ、お姉ちゃん。一体どういうつもりなの?」
 不満気に、ティシアは姉に尋ねた。自分から特訓すると誘っておいて、これはないだろう。折角直々に魔術の指導をして貰えるという期待を、完全に打ち砕かれた。ティシアは今、どん底に突き落とされた様な気分に等しかった。けれど、アセトラは黙ったままだ。
「お姉ちゃん、ねぇ、聞いてるの?」
「……聞いてるわよ」
「じゃあ、説明してよ。一体何がそんなに気に入らないの? いい人じゃない」
 アセトラはちらりとティシアに視線を向け、気まずそうに視線を逸らした。
「魔術絡みの事件で、頻繁にあたしに依頼をしてきたのがあいつだったの。魔術の心得なんか殆ど無くって、あたしに頼りっぱなしだったのに、なのに……なのに、あいつときたらいきなり魔術留学なんかしちゃって、気付けばあたしより術師としての位は上になっちゃうし、まったく、可愛くないったらありゃしない!」
 勢い凄まじく語り連ねるアセトラに、ティシアは思わずぽかんと口を開けた。話の素早さにその内容を理解するのにてこずったが、よくよく考えて理解してみると。
(……それってつまり、逆恨みじゃないの)
 何かもっと複雑な背景があるものとばかり思っていたが。その想像とのギャップに、ティシアは頭痛を覚えた。しかも、今のアセトラの言葉を吟味してみると、どうにも彼に好意を寄せているようにしか思えないのだが。言ったところで否定されるだけなので、ティシアは敢えて思うだけに留めた。
「それよりお姉ちゃん、ユアンさんが言ってた『星』ってどういう事なの?」
「あぁ、それ……」
 アセトラは言うか否かを戸惑っている素振りを見せていたが、観念したのか話し始めた。
「今日は流星節じゃない?」
「そうだけど……」
 流星節というのは、年に一度数多の星が流れる、流星現象が起こる日の事を言う。毎年その日の晩は必ず晴れ、雲ひとつ無い澄み切った夜空を星が流れていく様は素晴らしいものだ。
「星が落ちて来るのよ」
「星が、落ちる? 今日は流星節だもの、当たり前……」
 言いかけて、ティシアは違和感を覚えた。
 ――――落ちる?
「何か違う」
 ティシアは呟いた。普通、流れ星ならば「落ちる」ではなく「流れる」を使う筈なのだが。それをそうそう間違える筈は無い。使い方が合っているとなると。
「ねぇ、『落ちる』ってどういうこと!?」
「そのままの意味よ」
 アセトラは、あっさりとそう言った。
「星が落ちてきたら、どうなるの?」
「さぁ」
「さぁ、って……」
「大変な事にはなるんじゃないかしら。今までに例のない事だから、誰にも分からないのよ。だから全ての国が大陸中の全ての魔術師にお触れを出して、護る様に、って伝えたらしいわ。あたしの所にも来たもの」
 そう言って、アセトラはふと思い出した様に言った。
「これってチャンスかも知れないわね」
 その言葉を聞きとめて、ティシアは首を傾げる。
「チャンス……?」
「そう、チャンス」
 言って、アセトラはにっこりと笑った。


 その、国に定められた日、定められた時刻に、ティシアはあの森の広場に来ていた。そこには以前の様にエイクと、そしてユアンの姿もある。
「……真似しないでよね」
 アセトラは不満気な顔をして、ユアンを睨みつけた。けれど彼はふんわりとした笑顔でそれを受け止める。
「たまたま場所が同じだっただけですよ」
 アセトラはその返答に納得いかない様子だったが、気を取り直してティシアに向き直る。
「やっぱり荒療治も時には必要よ。だからティシア、あんたがやりなさいな」
「え、ちょっと、お姉ちゃん、無理言わないでよ!」
「無理じゃないわ。今回は対象物が大きいから、あんたの力の大きさなら失敗はしない筈よ。このあたしが言うんだから、間違いないの。さ、覚悟決めなさい」
「で、でも」
「いいから素直に従いなさい」
 有無を言わさず押し通されては反論も出来ず、ティシアは仕方なくアセトラに従う事にした。
「いつも通りにイメージするの。ただし、あたしがいい、って言うまでね」
 アセトラの言葉に、ティシアは素直に従った。
 今日は浮遊術ではないが、それでも基本は一緒だ。防御術も同じ、包み込むようなイメージが必要だからだ。ティシアは両手を広げ、瞳を閉じた。全てを包み込む様な、そんな柔らかくて温かいイメージを膨らませる。それでいて強固で、何にも屈しない強さを秘めた――――全てを守り通すもののイメージ。
 ティシアはイメージを保つ為に瞳を閉じたままなので分からなかったが、辺りの空気が変わったような気がしていた。包み込む様な温かさを感じる。これはもしかして、成功なのだろうか。
 目を開けて確かめてみたかったが、イメージする力が下がって失敗するのだけは、避けたかった。全てが終われば分かることだ。それに、失敗すればその時点で、周りの皆が何とかしてくれる。
 そんな安心感が、あった。
「……いいわ。ティシア、ご苦労様」
 どのくらい経っただろうか。不意にアセトラがそう言った。
 そこで初めてティシアは目を開け、そして空を眺めた。輝く数多の星。流れゆく星達。その姿に、変化は無い。過去にティシアが見た流星節の様子と、全く同じものだった。
「成功……したの?」
 おそるおそる問い掛けると、アセトラが笑顔で頷いた。
「おめでとう、ティシア」
「でも実感、湧かないけど」
「まぁ、大体そんなもんなのよ」
「うん……」
 頷いて、ティシアは視線をエイクに向けた。
「別に、大した事無いんだからな。それくらい、当たり前の事で」
 目が合うと、エイクは気まずそうに視線を逸らし、そう言った。ティシアは何を言うでもなく頷いた。
「分かってるよ。だって、私よりあんたの方がいっぱい魔術使えるもの」
 ティシアの返答にエイクは戸惑い、照れを隠す様に言った。
「あ……当たり前だろ! 何たって俺は天才なんだから」
「だから、負けないよ」
「俺だって!」
 こうして、ティシアの新たな一日が始まった。
 そう、それはまだ、始まったばかり。


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