072:コンタクト *
setting from “君に捧ぐ華”

 歌が、聞こえる。
 木々の覆い繁った森の中、その歌は優しく澄んだ音色を奏でている。時に明るく、時に何処か憂いを帯びて響く旋律。遠い様な、近い様な、不思議な距離感を持つ声に、青年は首を巡らせる。
 青年は、剣士だった。いや、そう呼ぶには相応しく無いのかも知れない。彼はただ、自らを守る武器として剣を携帯しているに過ぎないのだ。技術だって、所詮人並み程度。けれど、周囲は剣さえ扱えれば剣士だと認識している。それが誤認だとは知らずに。その所為、なのだろうか。ふらりと立ち寄った村の人々に、森の異変を解決して欲しいとせがまれた。断り切れない空気と生来のお人好しが災いして、青年は引き受ける羽目になった。
 そうして今、彼は森の中を彷徨っている。
 村人の話では、森には狂暴な生物が生息しているらしい。それを退治して欲しいのだと言われたのだが、正直、勝てる気はしなかった。大した実力など持っていない事を、青年は自覚している。どうするべきなのかを延々と思案しながら歩いていた矢先に、その歌声が耳に届いたのだった。
 森に棲むという何かを恐れ、村人達は近寄らないと言う。そんな森で、歌声を聞こうとは。
 いや、それこそが異変の元凶という可能性も考えられる。少々こじつけすぎかも知れないが。
 そう考えながら歩を進めていると、不意に音が途切れた。
 不自然な箇所で途絶えた歌。それは青年に不安を抱かせた。声の主はどうしたのだろう。
 木々がざわりと揺れた。まるで何かの予兆の様に。それは音を立てて、ひどく不安を煽る。
 突風が、吹いた。全てを薙ぎ倒す程の強烈な風が、一瞬にして過ぎ去る。吹き付ける風から顔を庇い、青年は身をも吹き飛ばさんとする豪風に耐えた。
 瞬きをする程の一瞬。目を開ければ、平穏の森が広がっていた。先刻の風が、嘘の様に。
 そして其処には――――ひとりの少女の姿。
 青銀の美しい髪を微風に預け、黄金にも似た色の瞳は無感動に此方を見つめている。
「…………誰?」
 彼女が問うた。そこに、警戒の色は無い。それは、ただ純粋な疑問の声。
「俺は、アルダ・スピネル。この森で異変が起きてるって聞いて、それで村の人に頼まれて此処に」
「なら、大丈夫」
「……え?」
 言葉の意味を理解出来ずに、青年――――アルダは思わず首を捻る。
「森に異変は起こってないし、森は人を襲ったりしない。だから、問題ない」
 淡々と、少女は言った。無表情とも言える顔で、ただ言葉を紡ぐ。
「……結界破り、か」
「結界破り……?」
 ぽつりと呟かれた聞き慣れない単語に、アルダは首を傾げた。
「そう、結界を破る能力を持つ人の事。極めて稀な力とされてるから、知らなくても無理は無いか」
 独り言の様に呟いて、少女はちら、とアルダに視線を向ける。何処か品定めでもする様な目線に、アルダは戸惑いを隠し切れずに少女から目を逸らした。
 それが、ふたりの出会い。この接触から、すべてが始まるとも知らずに。

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