setting from “火祭り”
「ねえ、柳一君」
優しく呼び掛ける様に、氷河は名前を呼ぶ。けれどその響きに、柳一は些細な違和感を覚えた。氷河の姿は麗らかな木漏れ日に照らされて、不思議な程に輝いて見える。まるで、この世の者では無いかの様に。
「ねえ。柳一君は、火祭りが開かれる理由……知ってる?」
暇潰しになぞなぞを出す様な気軽さで、氷河は問う。
柳一は答えなかった。いや、返答出来なかった。
何かを見定める様に氷河を凝視する柳一の姿に、彼が首を傾げる。
「どうしたの? 俺、何か変?」
「あ……あぁ、いや……」
問われた所で、否定の言葉を口にする事しか出来ない。そう答えながらも、身の内に湧き起こる不信感の正体を思案する。一体何があるというのか、自分でも分からないままに。
目の前に居るのは、氷河だ。此処へ来て、知り合った青年。それ以外の何者でも無い。
その筈なのに、何かが違う様な錯覚を覚える。まるで、氷河の皮を被った何者かが彼を演じているかの様な感覚。思い至った表現がまさに的確とも言える物で、柳一は僅かに眉を顰める。それが仮に事実だとしたら、目の前の彼は一体誰だと言うのか。そんな不可思議な話、ある筈が無い。突拍子も無い自身の推測に、柳一は頭を振った。
そんな葛藤には気付かぬ様子で、氷河は再び問う。
「火祭りはどうして開かれるのか、知ってる?」
再度紡がれた、同じ問い。今度こそ、柳一は口を開いた。
「火の、精霊の加護を受ける為だ……って、そう説明してくれたのは氷河じゃないか」
身体に力を込めて、努めて冷静に声を絞り出す。そうしなければ、声が震えてしまいそうだった。
「……そう、だったね。でも、それは『本当の』火祭りじゃない」
「本当の、火祭り?」
「そう」
氷河は頷く。
「ねえ。柳一君は、知りたくない?」
穏やかに微笑んで、氷河は言う。
「知りたいよね。火祭りが行われる、本当の理由」
「…………」
違和感が、広がっていく。柳一は戸惑いを隠せないまま、氷河を凝視した。
聖者の様な、穏やかな表情。いつしかそれは、どこか貼り付けた様な笑みにしか見えなくなっていた。表情は確かに笑っている筈なのに、心が笑っていない。表面だけの、偽りの笑み。いつか見た、冷たく凍る様な視線にも似た――――そんな感情が隠れているかの様な笑みだった。
少なくとも、今の柳一にはそう見える。柳一の中に住む冷静な自分自身が、そう判断を下した。
「ねえ、柳一君」
違う。
「ねえ。柳一君、聞いてる?」
これは、違う。
「柳一君――――」
自分の知っている彼とは違う。
確信は生まれつつあった。しかし、それが真実かはまた別の話だ。
何が起きているのだろう。これは夢なのだろうか。様々な思いが駆け巡る。分からない。全て。
「…………誰?」
繰り返される自分の名前に、返った言葉はそんな問いだった。半ば無意識に、突いて出た疑問。
少しの間があって、氷河がかくんと首を傾げた。困った様に笑いながら、言う。
「誰、って……見ての通りじゃない。俺は氷河だよ。氷室氷河」
「――――違う」
否定の言葉を発して、柳一は呆然と氷河を見据える。意図せず、言葉が紡ぎ出されていた。
「違う、氷河じゃ無い。誰なんだ。お前」
氷河の姿をした何者かが、小さく笑った様な気がした。彼は言う。
「さっきも言ったろ? 俺は―――」
発せられた言葉は、草木の揺れる音に掻き消された。反射的に、柳一は音のした方へと顔を向ける。しかし其処には誰かが来た気配も無く、何も起きていないかの様な静寂だけが存在していた。
疑問に思いつつも柳一は視線を戻し、そこに在った筈の氷河の姿が消え失せている事に気付く。
其処に居た事そのものが幻だったのか、それとも。
緊張から解き放たれた安堵からか、恐怖からか。柳一はその場に座り込み、思わず頭を抱える。
「何なんだよ、一体……」
その呟きに、答えは帰って来なかった。
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