はじまりの調べ *
 全てが、無へと帰ろうとしていた。
 青々と繁っていた木々は折れ、焼け焦げて炭と化している。建物は跡形も無く崩れ、瓦礫の山と成り果てていた。平和だった筈の村は一瞬にしてその輝きを失ってしまった。
 時代は戦の渦中にあり、国同士の諍いも珍しい事では無かった。しかしその村においては戦地などとは程遠い話で、戦の情報は伝え聞く程度。村人たちにとってそれは、過去の歴史を聞いているにも等しい程の感覚でしか無かった。
 それが、悪い方向に影響したのだろう。
 戦の最中でさえ平和を享受していた村人達は、すぐ傍まで迫っていた戦火に気付く事が出来なかったのだ。それ故に、その村が壊滅するのに時間はさほど必要では無かった。気付いた時には続く筈だった平和は壊れ、また気付いた時には何も残らなかった。住処は消え、多くの命もまた消えた。村は一瞬で踏みにじられてその形を失い、またすぐに沈黙が訪れた。まるでその村を壊す事を目的としていたかの様に。
 後から聞いた話ではあるが、村が壊滅に追いやられたその僅か数時間後、戦は終焉へと導かれる事となったらしい。あと少しでも早く終わっていれば、その村は今も変わらぬ幸福を人々に与えていただろう。しかしそれが、彼らに与えられた現実。
 残された者達も、辛うじて存在はした。しかし彼らに、復興を意気込むだけの気力は残されていなかった。誰かからの救いが無ければ、村はそのまま消滅するだろう。
「……何もかも、無くなってしまったのですね」
 全てが去った後。荒れ果てた荒野を目にして、クラヴィーアが呟いた。その瞳に映る光景を、受け止める様に。静かに。
 それに頷きつつ、ラルゴは答える。
「あぁ。だが、幾らでもやり直せるだろう。一介の村人に過ぎない俺達に出来る事など限られているが、それでも、何もせずにじっとしているよりは良い。そしてそれは恐らく、生き残った俺達に与えられた役目だろう」
「ええ、そうですね。私達に出来る事を、今はやりましょう」
 彼女は、すぐに賛同の意を示した。彼女自身、同じ様な思いを抱いていたのかも知れない。
 何が出来るかは分からないが、分からないなりに出来る事はある筈だと。そしてそれを積み重ねた未来に、また平和な故郷が蘇ると言うのなら。それは、この上ない喜びだ。
 そうしてふたりは、廃墟と化した村を見て回る事にした。
 ふたりの他にも何人か生存者は確認しており、彼らは辛うじて屋根の残っていた家屋に集まっている。その殆どは幼い子供か高齢者だった為、ラルゴが村の確認を買って出たのだ。それに、クラヴィーアも同行したのである。
 最初は残る様にと言い聞かせたが、彼女は頑として受け入れなかった。穏やかな気性のクラヴィーアではあるが、その性質には頑固な所も持ち合わせている。どう説得しようと彼女が首を縦に振る事は無く、結果的にラルゴが折れたのだ。
 それ程大きくない村ゆえに、見て回るのは容易だった。ふたりは隅々まで目を配り、生存者を探したが、目に留まったものは助からなかった命ばかりだった。それでも僅かな可能性を信じ、ふたりは進む。かつての故郷の姿を思い出しながら。
 どの程度巡った頃だろうか。葉を失い、生気の消えた樹木の傍に人影を見付けた。幹に背を預ける様にして座っているその姿は、どうやら子供らしい。近付いてみると、それはまだ幼い少年だった。外傷は殆ど見当たらなかったが、両目を閉じたきり微動だにしない様子が、悪戯にふたりの不安を煽る。
「……大丈夫か?」
 声を掛けながら、ラルゴは軽く肩を揺らす。すると、彼の瞼がぴくりと動いた。意識が覚醒したのか、ゆっくりと目が開かれる。それが、どれだけ嬉しかったか知れない。
 生きていた。ただそれだけで、安堵する。そんな時が来るなど、想像もしていなかった。
 少年はふたりの顔を呆然とした表情で見つめている。どういった経緯でこの場に辿り着いたのかは定かではないが、まだ、幼い彼には状況が把握出来ていないのだろう。
「大丈夫ですか? 何処か、痛い所はありますか?」
 クラヴィーアの問い掛けに、少年は小さく首を振った。彼に怪我は無い様だ。
「立てるか? 皆の所へ案内しよう」
 言って、ラルゴは少年に手を差し伸べた。瞬間、少年が怯えた表情で後退ろうとする。樹木に背を預けている状況において、それが叶う事は無かったが。
「――――ヴィア」
「ええ。此処は私が」
 心得たとばかりにクラヴィーアが進み出る。場所を譲ると彼女は腰を折り、少年と同じ目の高さにまで視線を合わせた。そして穏やかな顔で微笑みを送ると、彼女の細い指先は彼の両頬を優しく包み込んだ。
「大丈夫です。もう、怖い事はありませんから」
 言い聞かせる様な穏やかさで、クラヴィーアは言葉を落とした。柔らかな声音は、静かに少年へと届く。大きな瞳が、揺れながらも真っ直ぐに彼女を見つめ返した。何度も、何度も目を瞬かせるその様子は、時間を掛けて彼女の言葉をその身に取り込もうとしているかの様だった。
「もう、怖がる事はありません。誰も、貴方を傷付けたりしませんから」
 少年の瞳から、大粒の涙が零れ出して頬を伝う。それを拭って、クラヴィーアは彼を優しく抱き締めた。
 全てを包み込む彼女の愛。それはまさに、母の如き慈愛と言えよう。その純粋な思いに、愛情に、彼は心を覆っていた鋼の衣を漸く取り外す事が出来た様だった。
 そうして少年が落ち着いた頃を見計らって、皆の所へと連れて帰る事にした。見知った顔があったお陰か、到着後は彼も穏やかな様子で村人達と会話を交わしている様だ。それを安堵の面持ちで見届け、ラルゴは自身の掌に視線を落とす。
 差し出した武骨なその手に、彼は村へと足を踏み入れて来た兵士達のそれを重ねて見たのかも知れない。彼の身に何があったのかは、現状からでは推し量る事は出来なかった。だがこの村を襲った一連の出来事は、まだ幼い彼が受け止めるには残酷すぎる現実だろう。大人でさえも、到底耐え切れる様な事では無いのだから。
 小さいけれど、穏やかで平和な村。そこから、今は笑顔がすっかり消えてしまった。それを取り戻す事の出来る日が、いつ訪れるかなど誰にも分からない。
「……彼らが再び笑える日が来る為に、俺達に出来る事は何なのだろうな」
 独り言の様に、思いを零す。それを、傍らに立つクラヴィーアが受け止めた。
「そうですね。誰かを笑顔にする事が出来るのなら、それはとても喜ばしい事でしょう。私達に出来る事は限られているのかも知れませんが、それでも皆無では無い筈です。探してみましょう? 私達に出来るであろう『何か』を」
 思いを汲み取って、背中を押してくれる存在。それが、何よりも心強かった。
「そうだな。だが、我々に出来る事と言ったら何があると言うのか……」
 良案は無いものかと、思考を巡らせる。と、思い出す事があった。
「そうだ。ヴィア、無事な楽器はあるのか?」
「楽器、ですか? ええ、主要な物は他の町で保管していますから、恐らくは無事かと」
「ならば、俺に楽器を教えて貰えないか? 種類は何でもいい」
「貴方に、楽器を?」
 驚いた顔でラルゴを見たクラヴィーアだったが、瞬時に言わんとする事を理解したらしい。すぐに、彼女から笑みが漏れる。
「なるほど、そういう事ですか。確かにこれは、良案かも知れませんね」
 クラヴィーアはもともと、音楽の道を志していた。多くの楽器に精通しており、かつてはそれを生かせる場所を探していたのだ。故郷が戦乱に巻き込まれてしまった以上はと、ここ最近では楽器に触れる事さえもしていない様だが。
 それを、生かす時が来たのだろう。音楽と言う形で、誰かの心を癒す事が出来るのならば。それはいつか、笑顔を蘇らせる糧になるのでは無いか――――そう、思い立ったのだ。
 彼女の賛同を得た所で、ふたりは密かに練習を重ねた。数日もすれば、生存者達もそれぞれ別の場所へ旅立つ事になるだろう。皆が協力して生き延びている、という現状だ。いつまでも、廃墟同然の場所で暮らし続ける訳にはいかない。その前に行動を起こす為の努力を、ラルゴは惜しまなかった。そしてクラヴィーアもまた、労力を注ぎ込んだ。
 そうしてやって来た、ふたりの送る小さな演奏会。それは、満天の星空の下で行われた。
 絶望的な状況下において娯楽に興じるなど、と否定する者が居ない訳では無かった。しかしそれでも、多くの村人達が彼らに期待を寄せてくれていた。そんな彼らに囲まれる様にして、ふたりは精一杯の音楽を奏でる。流石に壮大なオーケストラの如く、という訳にはいかないが、気持ちだけは負けていないつもりだ。
 人工物の消え去った自然の中で、紡がれるメロディ。未だ手の付けられていない瓦礫の山でさえも平等に照らす月明かりが、神秘的な世界を作り上げてゆく。最後の音が空気に溶けて消えると、辺りは大きな拍手に包まれた。やり切ったという達成感が、胸を支配する。周囲に視線を送ると、そこは穏やかな笑顔で溢れていた。
 ――――ひとまずは成功、なのだろうか。
 実感の湧かぬまま、ラルゴは楽器を置く。と、小さな影が近付いて来た。それは、いつぞやの少年だった。それに気付くより早く、彼はおずおずとその細い腕を伸ばしてラルゴの掌に触れる。半分にも満たぬ、小さな手。それが、きゅっと力を込めて存在を主張して来る。迷う様に視線を彷徨わせた少年は、意を決して視線を上げると。
「ありがとう」
 そう呟いて、笑った。それは、彼が失っていた筈の満面の笑み。
 呆然としているうちに、彼は手を振って走り去っていった。
「良かったですね。貴方の思いは、伝わったと思いますよ」
「……あぁ、そうだな。それならば、充分だ」
 小さな背を見送りながら、喜びを噛み締める。誰かを笑顔にしたいと思う気持ちに、嘘は無い。だが、誰よりも彼に笑って欲しいと願った。それが今、叶ったのだ。その事実が、ラルゴの心を動かしたのかも知れない。
 これを機に、ふたりは旅立つ事にした。他の土地でも、同じ様に誰かの癒しになる事を願って。そうして行く先々で出会った同士を引き入れ、その集団は後に「カプリツィオ」いう名の楽団となる。
 これは、そのきっかけの物語。全ての始まりの、ささやかな物語。

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