――キアラ、キアラ
「……ぅー……」
――起きなさいってば、キアラ
「ゃー、……あと十……分」
――もう、減俸されても知らないわよっ
「…………んー」
――キア、
ばたーん、と勢いよくドアが開けられ、外から恰幅の良い中年の女が出てきた。簡素なワンピースに、少々汚れたエプロンをして。彼女はゆっさゆっさと歩きにくそうに体を揺らしながら、ベッドに近付き毛布をむしりとった。
「さーさーキアラっ! 起きる時間だよ何寝こけとるんだいっ。早くしないと朝ごはんも出してやらないよっ! ホレ起きなっ!」
「……寒い眠い煩い……」
「あぁ!? あんた一体誰に向かって口利いてるんだい! こちとらあんたの仕事を斡旋してやってんだよ! 今日は新入りとの打ち合わせにするから、いつもより集合が早いんだと言ったのはお前さんだろ!」
「……女将さん、ちょ、ちょっと声小さくして……頭、響く……いえなんでもありません起きます起きます起きますからっ」
むく、と体を起こしたのは、薄茶色の長い髪の娘だった。キアラ、と言う。うー眠い、とこする目は、やはり色素の薄い金茶色。ベッドからそろりと出した下肢はすらりと伸び、ほど良く引き締まっている。彼女が革の靴を履いて着替えている間に、女は素早く手早くベッドを直し、カーテンと窓を開け放ち、外の空気を取り入れた。
「で? 今日は遅くなるのかい?」
「たぶん……わらひがふぇわふるほほひはるはら」
「あんだって?」
ふわぁぁぁ、と大きなあくびをして言いなおす。
「わたしがいろいろ話すことになると思うので、一応、夕飯二人分とって置いてくださいっ」
「あいよ。そんじゃ、あたしは朝飯の用意しとくからね。とっとと用意するんだよ!」
はーい、と手を振って、笑顔を作る。扉が閉じられると、ベッドの下にいた白猫が肩に乗った。
「ちょっとシュカ、ちゃんと起こしてって頼んだじゃないのー」
猫に向かって独り言、にしては大きな声で、キアラは呟いた。猫は鏡台に載っていた麻紐をくわえて渡し、くしくし、と顔をこすった。
――あたしは何度も起こしたわよ。起きなかったのはそっち
「ちゃんと起こすっていうのはね、相手が起きなきゃ意味ないの! あああもう、時間がぁぁぁ」
――学習しない子だわね、ほんと。よくこんなんで傭兵なんかやってられるわ
「なんか言った?」
――いーえ、なにも
「魔獣のクセに、シュカってばほーんと俗っぽいってゆーか、おばさんくさいわよね。あんたホントに高位の魔獣? や、じょーだんだけど。……よし!」
癖のない真っ直ぐな髪を頭の高いところで括り、頬をぱちんと叩く。ベッド脇に立てかけておいた小型の槍を手にしたキアラは、音高く扉を開け放った。
「今日のごっはんっはなーにかなっ」
――なんとも色気のない、とはシュカの独り言である。
* * *
「おーいキアラ、こっちだこっち」
階下の食堂では、既に屈強な大男がキアラを待ち構えていた。体の横には大きな剣があったが、彼はそれを軽々と持ち上げてキアラのために席を空ける。
「サイモン! ごめん、遅くなっちゃった」
「気にすんな。おかげでゆっくりメシ食えたし」
ガタイのいい大食らいのサイモンは、用心棒仲間の中でも一番気の置けない存在だ。女将が何も言わずに、女性にしては少し多めのパンとスープにサラダを運んできてくれる。
「うーん、美味しそうっ! やっぱ朝はオニオンスープよねっ。いただきまーす」
大きな口を開けて、ふわふわの白パンにかぶりつく。サラダをつまみながらスープを飲み、またパンにかぶりつくのだが、その速さはもはやヒトのものではなかった。周りの一般客たちが唖然とする中、サイモンは平然と食後のコーヒーを楽しんでいた。
「んで。……ふぇいのふぃんふぃりふぁ?」
「おい、仮にも一応おまえ女だろ? 口にもの突っ込んだまま喋んなよ……」
「……例の、新入りは? まだ起きてないの? それとも来てないとか?」
「迷ったみてーだから迎えをやらせた」
一瞬固まって、どうして固まったのか考えて、サイモンの言葉を反芻。
「ま、よ? 迎え、……って、えええええっ!?」
うそだーありえないホントにマジ? そんなん雇うの女将さんてばチャレンジャー……てかむしろどこをどうしたら迷えるのよ、とかなんとか言いながら百面相しているキアラをひとつこづいて、サイモンはニヤッと笑った。
「知らねぇぞ? そーんなひでぇこと言いまくってて、アイツに惚れちまっても」
「はぁ? サイモン、今はまだ冬だよ? 真冬なのわかってる?」
「……話が見えねぇんだが」
「だーかーら、暑さで頭ン中湧くにはまだ早、っだだだだだ痛い痛い痛いってごめんってば!」
力の限りこめかみを両の拳でぐりぐりされて、キアラは慌てて謝った。痛いものは痛い。
「……まぁ、町の関所からここまで一本道で、なんで迷うんだか俺にもわかんねぇよ。……けどな」
ガチャン、と食堂の扉に何かがぶつかった。武器の音だと、キアラは即座に反応して槍を手にする。
「ヤツは、おまえ好みの男だぜ」
サイモンの声を聞き流し、扉の方を見やる。黒い影を肩に乗せた旅装姿の男がいた。忙しなく辺りを見回していることからして、おそらく彼がサイモンの言う「新入り」なのだろう。
細い銀細工のような髪は無造作に切ったような長さで、鋭利な刃物を思わせる瞳は薄青。手にした得物は細い長剣らしい。そし影だと思ったものは猫の形(なり)の――おそらく、魔獣だ。目が吸い寄せられるような存在感と威厳は、只者ではないということを暗に示している。
「――サイモンという男はいるか」
涼やかな声。吟遊詩人となってもおかしくないほどの音楽的な響きのそれは、大きくはないのに喧騒を消し去った。
「通り名を言いな。言わなきゃここに来たことを後悔するんだね。――あの世で」
「薄氷のラトス」
一瞬、空気が戸惑った。薄氷のラトスといえば、傭兵として有名なばかりか、数々の名だたる盗賊の首領を討ち取ったことでも知られている。そんな人物が、こんな何の変哲もない宿屋に? 小さく、そんな声が聞こえた。
「やっぱりな。俺はサイモン。二つ名は漆黒のサイモンだの血濡れの色男だの色々あるが、まぁ気にするこたぁねぇ。迎えにやらせたノーマンはどこだ?」
「広場の噴水で水浴び中だ」
「…………あー、ヤツも良い腕してるんだが、欠点と言やぁ一言多いってことだな。ほっときゃ帰ってくんだろ。ラトス、こいつが世話役のキアラだ」
「ふぇっ!?」
スプーンを持ったまま立たされて、彼に相対する。微かに眉がひそめられて、ぶち、と何かが切れた。
「あたしがキアラ。『妖猫遣い』と言えばわかるわよね。後腐れないように言っとくけど、女に指図されんのは我慢ならないって言うんなら即刻――」
「そんなことはない。ただ俺は、食事を邪魔して悪かったと言おうとしただけだ」
ふ、と口元を上げて、ラトスは左拳を差し出した。
「同じ『妖猫遣い』として、よろしく頼む。俺の相棒はティルという」
「……こっちはシュカよ。こちらこそ、よろしくね。喧嘩腰でまくしたてて悪かったわ」
同じように左拳を出して、関節と関節を合わせるように軽く触れ合わせる。傭兵同士の挨拶は、利き手に触れないことが鉄則なのだ。
「おーいキアラ。そこで世界に浸ってないで、新入りを座らせてやれ? 仕事の説明も、メシ食いながらで良いだろ」
「はいはい。んじゃラトス、そこ座って武器横置いて。ああ、外套も離さない方がいいわよ。食べたらすぐ仕事だから――」
――キアラ、良かったわね。理解ありそうなひとで
シュカの、契約を結んだ者にしか聞こえない声に振り向いて、そっと頷く。
女だからと侮られることも、馬鹿にされることも、まともに取り合われないこともたくさんあった。その度に力で黙らせるか口
で言い負かすかしてきたけれど、彼がもし、キアラと行動をともにしてくれるようになれば、そんなことは激減するだろう。
それはまだ、可能性でしかないけれど。
心躍るのはもうひとつ理由があるけれど。
とりあえずキアラは、目の前の食事と仕事を片付けることに専念したのだった。
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誕生日記念のリクで、「相棒」テーマの小説をお願いしちゃいましたー!
涼帆さん、素敵な小説をどうもありがとうございました!!
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