第1話 出逢いの時


 空が、眩しかった。きらきらと輝く陽光が、辺り一面に鮮やかな色を投げかけている。空は美しい青に染まり、その広いキャンバスを塗り尽くそうとする様に、雲が浮かんでいた。穏やかな春の気候は、人を眠くさせる。ぼんやりと窓の外を眺めていた鈴紅も、流石に眠気を覚えた。
 此処は、とある魔術アカデミーの教室。そして現在は授業中である。等間隔に並べられた座席に座った生徒達は、教師の話を真剣な眼差しで聴いている。そんな中でたったひとり、鈴紅は窓の外を眺めていた。何か興味があるものがある訳でも無く、ただ何となく。
 ――――強いて言えば、退屈だったから、だろうか。
 人付き合いを苦手とする鈴紅にしてみれば、幾ら教室という空間においてでも、大多数の人数が集まる場所に居るのは苦痛なのだ。コミュニケーションを取るにも同じ人間同士ですらままならず、ましてや異種族との間には会話など、存在しないに等しかった。そんな中で気を紛らわせる手段といえば、窓の外を眺めることくらいしか無い。教師の声に意識を向けてもみたが、語る内容が当たり前の事に思えてしまって、無意味だった。
 腕時計に視線を向けて、少し気が和らいだ。もうすぐ、チャイムが鳴るだろう。退屈な時間から、これで解放される。口の端に少しだけ、笑みが零れた。


 窓の外では、雨が滝の様に降っていた。先刻までの晴れが嘘の様だが、通り雨だろう。少し待てば、止む筈だ。いつでも帰れる様に支度は整えておいて、鈴紅はまた窓の外を眺めていた。
「……帰らないの?」
 不意に声が降って来て、鈴紅は思わず身を震わせた。他人と距離を置いてきた自身に進んで関与しようとする者など、もう居なくなったと思っていた。油断し過ぎただろうか?
 横に立っていたのは、小柄な少女だった。肩口で髪を切りそろえた、小柄な少女。雰囲気からすぐに優等生だと分かる、そんな少女だ。事実、彼女はクラスの委員長も努めている。幾ら周囲に感心を持たない鈴紅ですら、彼女の事は僅かながら記憶にあった。
 ――――名前は確かそう、美鈴、と言ったか。
「あ、傘無くて帰れないんだ? 今日晴れてたもんね、そりゃ仕方ないよ」
 言葉を返さない鈴紅に愛想を尽かすでもなく、美鈴は笑って言う。鈴紅は彼女をちらりと見上げた後、小さく頷いた。美鈴はそっか、と呟く。
「じゃあ、一緒に帰ろう?」
 手にしていた傘を掲げて見せ、美鈴はふわりと微笑んだ。笑顔の中にある種の迫力があって、鈴紅は思わず頷いていた。美鈴は満足そうに微笑むと、鈴紅の腕を掴む。
「ちゃんと責任持って家まで送るから。家は何処?」
「…………東」
「ん、東ね。じゃあ私と方向は一緒だね。良かった」
 そうして腕を引かれるまま、鈴紅は歩き始めた。何だか、不思議な気分だった。


 ふたりは長い廊下を歩いていた。雨音が、静かに聞こえている。
「あんまり話した事、無かったよね」
 美鈴は唐突に、そう言った。鈴紅は頷く。
 人と対面すると、なかなか言葉が出てこない。美鈴はそんな事は気にも留めない様子で、話し続けていた。半ば一方的なその言葉の流れが、鈴紅にはただただ有り難かった。
「私達、友達になれないかな?」
 不意に呟かれた言葉に、鈴紅は思わず立ち止まった。気付いた美鈴が足を止めて、振り返る。
「いつだったか、池で溺れてた子猫を魔法で助けてあげた事があったでしょう?」
 誰も居なかった筈の、小さな出来事。どうやら美鈴がその光景を目撃していたらしい。
「凄かった。私じゃきっと、助けてあげられなかったと思う。貴方が凄く素敵に見えて、その一瞬で憧れたの。そして思ったんだ、とっても優しい人なんだ、って。そしていつか、友達になって隣を歩きたいな、って思うようになったの。はた迷惑な話だけどね」
「…………違う、迷惑だなんて…………そんな事は」
「ありがとう。貴方がひとりを好んでるのは知ってるし、付き纏ったりはしないから安心して? きっと仲良くなれるって、私が勝手にそう信じてただけなの。だから、難しいならそれでも構わないと思ってるんだ」
「…………難しくなんて、無い」
「本当?」
「…………こんなの、初めてで…………どうしていいか分からなくて」
「いいの。変われだなんて言わない。今のままの貴方と、仲良くなりたいんだから」
 美鈴の微笑みが、鮮やかな色を帯びる。
「今日はたまたま雨が降って、たまたま私が傘を持っていて。偶然って、有り難い事してくれるね」
 言って、美鈴は歩き始める。鈴紅は、その後を追った。
 昇降口で美鈴は傘を開き、手招きする。鈴紅はそのまま傘の下に収まった。
 今日はいつもと違う帰り道。いつもと違う情景。
 明日はきっと、何かが変わっている事だろう。
 そうして少しずつ、全ては変化していくのだ。
 鈴紅は小さく微笑む。
 ぬかるんだ地面を踏む音が、小さく響いた。ふたりは学園の校門を抜ける。
 そうして暫くした頃、嘘の様に晴れ間が見え始めた。


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