第2話 宣戦布告


「橘鈴紅! 勝負ですわ!!」
 高らかに宣言されたその言葉に、鈴紅は心底うんざりした。
 これで一体何度目だろうか。鈍る頭で考えようとして、無駄な事だと悟って止める。数えた所で何が変わる訳でも無いし、そもそもそんな事を覚えてはいない。分かるのは、それが今日だけでは無いこと。そして、今日だけでも数回目であるという事、くらいだろうか。
 鈴紅の目の前に立つ少女は、白く細い指先を真っ直ぐに突き付けて、ふんぞり返っている。豊かな金の髪に、蒼天の色の瞳。美しい色彩を身に纏ったその少女は、しかし燃える様な意思を揺らめかせて其処に居る。何が彼女をそこまで駆り立てるのか、鈴紅には皆目見当が付かなかった。
「今回こそは絶対に、ぜーったいに勝ってみせますわ! 見てらっしゃい!!」
 自信に満ち足りた顔でそう宣言した少女は、今回ばかりは勝利の見通しが立っているのだろう。さも勝ったかの様に高笑いをする彼女の存在を、鈴紅は極力気にしない様にしていた。もともと人付き合いは苦手分野だと言うのに、こんなに真っ直ぐな意思をぶつけられる事は更に得意では無いのだから。
 鈴紅はただ気に留めていないかの様に、頬杖をついて自分の席に座っているだけ。そして彼女は、その態度を気にする様子も無く主張を続けている。周囲から見れば、少女が空回りしている様にしか見えないだろう。――――実際、その通りではあるのだが。
 しかし幾ら相手にしていないとは言え、こう何回も宣戦布告を受け続けては、流石の鈴紅も鬱陶しいと思う様になって来ていた。あくまでも表面には出さないが。
 何故彼女は自分に付き纏うのか。少女の言葉を受け流しながら、鈴紅は考える。平穏な毎日を送るには、その原因を断たねばならない。そしてその原因を断つ為には、動機を知る必要がある。
 彼女が頻繁にやって来るのは、決まって試験が公表されてから終わるまでの間。そして彼女の発言から察するに、学業に於いてライバル意識を持たれている様だ。そこまでは分かる。しかし、何故ライバル視されているのかが鈴紅には思い当たる節が無いのだ。
 彼女に尋ねれば早いのだろうが、直接的に問い掛ける考えまでに至らないのが鈴紅という人間である。つまりは、堂々巡り。進展する筈も無い。
 そんなふたりを客観的に見ているばかりだった美鈴が、不意に割り込んで来た。眼鏡の奥の瞳を輝かせて、少女の顔を覗き込む。自信満々に自分の勝利を主張していた少女も、流石に目を丸くした。
「な、何ですの貴方!?」
「あぁ、あたしは浜美鈴。鈴紅の友達」
「橘鈴紅のお友達? そのお友達が、わたくしに何の御用ですの?」
「うん、それなんだけど……ねぇ沢さん。賭け、しない?」
「……賭け、ですの?」
 唐突な発言に、流石の少女もきょとんとした表情で美鈴を見返すばかり。先刻まで高らかな主張をしていた人物とは思えない変わりっぷりだ。それも、仕方の無い事ではあるだろうが。
 一方その原因となっている美鈴はにやり、といった形容が相応しい笑みを浮かべて、頷く。
「そう、賭け。次の定期試験の総合成績で鈴紅が勝ったら、すっぱり諦めて勝負を挑む事はしない。その代わり、貴方が勝ったら何でも言う事をきくわ」
「その『言う事をきく』というのは誰がですの? 貴方? それとも橘鈴紅が?」
「決まってるじゃない、鈴紅がよ」
「な……!」
 何を言うんだ、という言葉は声にならなかった。他にも言いたい事はあったのだが、どれも声にならないままに生まれては消えてゆく。美鈴と出会ってから数ヶ月。彼女の性格を少しは分かったつもりでいたが、全く分かっていなかったのかも知れない。鈴紅はひとり、そう認識を改める。
「確か貴方……ええと浜美鈴、と仰いましたかしら。貴方がこの勝負の証人になって下さるのでしょう?」
「ええ、勿論」
「ならば良いでしょう。その賭け、乗って差し上げますわ!」
 闘志の炎を燃やし、少女は高らかに宣言した。美鈴は期待していたと言わんばかりに目を輝かせる。
「じゃあ決まりね。ズルは無し、正々堂々と勝負。ふたりとも、良いわね?」
「勿論ですわ! そうと決まればこんな事をしている暇はありませんわね。橘鈴紅、顔を洗ってお待ちになるが宜しいですわ! この沢叶架が叩きのめして差し上げますから、覚悟なさい!!」
 何度目になるか分からない高笑いを残して、少女は去っていく。取り残されたのは騒々しさの後の静けさと、戸惑うばかりの鈴紅の姿。そして美鈴の輝く笑顔。
「そういう事だから、頑張って! 鈴紅!!」
「何と言う事を……」
 さも楽しそうに言う美鈴に対し、鈴紅は声にならない声で呟くばかり。この賭けとやらを強引に制定した彼女の存在は、その何処にも含まれていない。普通ならば怒鳴り散らされても文句は言えない程だ。しかし今の鈴紅に怒る気力は欠片も無い。
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。鈴紅の実力はあたしが良く知ってる。負けると分かってる喧嘩なら、流石に私もこっちから吹っ掛けたりしないわよ」
 自分のしでかした事の重大さを分かっていない様子の明るい笑顔を向けられ、鈴紅は頭痛を覚えた。
 試験は二週間後。その勝負の行方は今の所、神のみぞ知る。


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