第2話 大切な人だから


 医務室からそう遠くない位置にある、客間。
 設えられた長椅子に座り、紅瑛は心中で何度目になるのか分からない溜息を吐いた。
 右隣にはハクロが、そして目の前にはリィアの父親でありこの魔石保護監視団長である、バート・ヴァレンフィールドが座っている。テーブルの上には菓子と茶が載っており、見ようよっては茶飲み風景の様に捉えられてもおかしくないのかも知れないが、現状ではとても手を伸ばせる様な状態では無かった。今は茶を飲みながらの談笑が出来る状況などでは無く、空気は取調べと相違無いと言える。
 真っ直ぐにぶつかってくる鋭い視線に、紅瑛は強張る顔を何とか和らげようと試みたが、無駄に終わった。隣のハクロも、引きつった笑みを浮かべているばかりだ。
「どういう事か、説明して貰えるね?」
 バートが口を開いた。柔らかいが、けれど有無を言わせない口調で。
 紅瑛は、視線だけを動かしてハクロを見た。ハクロは押し黙ったまま視線を一点に集中させ、固まった様に動かない。説明は無理と判断して、紅瑛は小さな息を吐くと話し始めた。
「正直なところ、俺達にも良く分かりません。ただ、魔石に魅入られた事だけは確かです。ただし、彼女は力の有効範囲とみられる範囲外に居ました。それは確かであると、断言します。俺達の調査が終わった直後、魔石の力が発動したものと思われます」
「ふむ……」
 バートは顎に手をやり、試す様な視線を向けた。
「すぐに対処する事は不可能だった、と?」
「一瞬の事であったのは事実ですが、実の所どちらとも言えませんね。ですが、どの様に受け取って頂いても構いません。彼女を守れなかった事は確かですから」
 紅瑛はきっぱりと、そう言い切った。これが最善の言葉であり、また真実でもあった。
「……そうか」
 バートはただ一言、そう呟いただけであった。沈黙が降りる。
 紅瑛は目の前の上司が口を開くのを、ただひたすらに待った。この場の終幕を導くのは、彼だからだ。ハクロは視線を転々とさせていたが、ふたりに何の動きも無い事を悟り、彼もそれに倣った。
「紅瑛、ハクロ」
 暫くの沈黙の後、バートが口を開いた。名を呼ばれ、ふたりは顔を上げる。
 それは低く、重い言葉に感じられた。普通と何ら変わらない声音だったにも拘らず、何故か違和感を覚えるのだ。それが事実なのか、単なる思い過ごしなのか、それは彼にしか分からない事だ。
「娘を……リィアを、宜しく頼む。目が覚めたら、あの子はきっと戸惑うだろう。そして、酷く悩むだろう。過去に持ち得なかった力を得るというのがどういうものか私には分からんが、お前達ならば分かってやれるだろう。だから、どうかあの子の支えになってやってくれ」
 真っ直ぐにふたりを見据え、バートは言った。
 子を思う親の気持ちを確実に知る事は難しいが、大切な者を思う気持ちならば紅瑛にも分かる。紅瑛にとって、リィアは紛れもなく護るべき存在だ。それは心得ている。
「分かっています。必ず護ります、今度こそ」
 確固たる意思を持つその言葉に、バートは小さく頷いた。そうして念を押す様に「後は頼む」と言い残すと、そのまま彼は客間を出て行く。ふたり残された部屋には、奇妙な沈黙だけが残った。
「…………紅瑛さん」
 ハクロが、控え目な口調で呟いた。
「団長、何か変じゃありませんでした?」
 ハクロのその言葉に、紅瑛は自分の曖昧な想像が形を成していくのを覚えた。あの言葉に隠された、深く重みのある感情が存在するのはあながち外れてはいなかったのだ。だが、何故なのかは分からない。ただ、漠然とした不安が広がるばかり。
「嫌な予感がする」
 小さく、紅瑛は呟いた。それを聞き留めたハクロが、心配そうに視線を向けてくる。
「嫌な予感って、何ですか?」
「分からない。とりあえず、医務室に戻ろう。あいつが起きた時、俺達が傍に居てやるべきだろう?」
「そうですね」
 答えて、ハクロは立ち上がる。
「リィアさんに、何て説明すればいいんでしょうか」
「何とかなるだろう。説明しようと思えば、自然と言葉が出てくるもんさ」
「相変わらず気楽な考えですねぇ」
 ハクロが呆れた様に言った。紅瑛は眉を顰める。
「性格なんだ、仕方ないだろう」
 半ば投げやりに返答を返すと、ハクロはあっさりと、そして至極真面目に言い切った。
「性格なんて努力で何とか出来るもんです」
「お前にそれを言われたくないんだが……」
 呟いた一言はしっかり彼の耳に届いていた様で、思い切り殴られた。
 何はともあれ、暗い空気をいつまでも引きずる必要は無い。これでいいかと思い直し、紅瑛はハクロの後に続いて部屋を出た。


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