第10話 ささやかな密談


 荘厳な空気に満ちた城の中は、静寂に包まれていた。
 本来ならば多くの人間が生活する場である筈だが、今現在、其処に滞在する者はごく僅かだ。確かに城は国を治める主の住処として機能しているが、肝心の主が為政者として機能していない。その現状故に、城はかつての活気を完全に失っていた。
 長い廊下をひとたび歩けば、小さな靴音さえも異様に響く程の無音。自身の歩く速度や歩幅までもが、反響する音で嫌でも分かってしまう。それを厭う訳では無いが、その環境に慣れ始めているという事実にに青年は危機感を覚え始めていた。早く、過去の日々が戻る事への期待。そして希望。そればかり、最近は考えてしまう様な気がする。
 そんな意識を振り払う様に、青年は頭を振った。綺麗なスノウホワイトの髪が、さらさらと揺れる。
 と、不意に静寂は打ち破られた。
「よぉ。カルミア坊ちゃん。女王陛下の様子はどうだい?」
 男性とも女性ともつかない、中音域の声。場にそぐわない、砕けた口調。この城内において、そんな振る舞いが出来るのはひとりだけだ。視線を上げると、予想通りの人物がひらひらと手を振っていた。
「坊ちゃん、は止めて下さい」
 カルミアと呼ばれた青年は、深い溜息と共にそう告げた。
 ――――スイセン。最後の魔術師。
 その能力の高さは充分に承知しているのだが、自由を体現したかの様な気楽な振る舞いばかりは到底慣れる物では無かった。真面目を絵に描いた様なカルミアにとっては、正反対もいい所だ。天敵と言っても良い。毎度毎度、言動に振り回されては頭を痛める日々を送っているが、それも承知の上で構って来るあたり最高に質が悪い。だが、不思議と其処に嫌味が無いのは事実であった。
 だからこそ、カルミア自身スイセンの事は嫌いでは無かった。苦手である事は否定しないが。
「陛下なら、相変わらずですよ。それより、“アリス”の方はどうなんです?」
 問い掛けの答えを雑に返し、自身の問いを投げる。そんな対応も慣れているのだろう、気にする素振りも無くスイセンは顔色ひとつ変える事無く答えた。
「あぁ、それなら無事に目覚めたよ。アスターの家からも送り出したし、後は彼らに任せておけば大丈夫じゃないかな。もうひとつめの扉をクリアした頃じゃない?」
「そうですか……良かった」
 カルミアは胸を撫で下ろした。例外のある今回、何か問題や不都合が生じていたらと懸念は尽きなかったが、ひとまずは安心だろう。“アリス”が城まで辿り着かねば意味が無いが、その辺りは想定通りの結果であるならば問題ない筈だ。
「それで、“アリス”の様子はどうでした? 直接、会ったのでしょう?」
「まぁね。僕が確認した限りでは、意図した通りになっている筈さ。我ながら上出来、ってね。でも、あくまでも僕は君の願いを叶えただけに過ぎない。此処までが想定通りとしても、その先にどう進むかは未知数だ。君の思い通りに動くかどうかは、君自身の手腕に掛かっているんだからね」
「……分かってます。何としてでも、“アリス”を此処に連れて来なくては」
 忠告とも言える言葉に、カルミアは覚悟を決める様に頷いた。
「スイセン。もうひとつお願いがあるんですけど、良いですか?」
「報酬さえ貰えるのなら……と言いたい所だけど。まあ、取り敢えず話は聴こう」
「絶対に、“アリス”を城まで連れて来て下さい。どんな手段を使っても構いません。ロベリアが意地を張る様でしたら、その時は力尽くでも」
「……ほう、力尽くとは物騒だねえ。平穏主義の君らしくもない」
 驚いた様に、スイセンは言う。しかしその表情は、興味深いと言わんばかりの好奇心に満ちていた。
「最終手段の話です。勿論、規定通りのルートで進んで辿り着けるなら、それに越した事はありません。荒事は出来る限り避けたい事ですが、もしもの時は貴方に頼むしかない。不本意ですが」
「む。それは僕に対して言ってる?」
「どちらでもお好きに捉えて下さって結構ですよ。もう、他に方法なんて残されていない……そう思うからこそ、僕も必死なんです。何をしてでも、やり遂げなくては」
 本音を一度吐露してしまえば、止める事は出来なかった。他の誰にも、零す事の出来ない本心。自身でさえも気付かない所で、悲鳴を上げているその心を、無理に押さえつけているのだから。それを知る者に、縋ろうとしてしまうのは仕方の無い事なのだろう。
「今回の“アリス”が、恐らく僕にとっての最後の希望です。これを逃したら、僕の願いは二度と叶う事は無い。だから、全てを賭けると決めました。だから無理を言ってまで貴方の力を借りたんです」
 それは、自身への決意だったのか。その言葉に観念した様に、スイセンは頷いて見せた。
「君がどれだけ必死なのかは、充分に分かったよ。流石に僕だってこのまま不毛な時を過ごし続けるのは望まないからね、出来る限りの事はすると約束しよう」
「ありがとうございます。報酬の話は……また日を改めて」
 報酬の話は流石に受け流されると思っていたのか、スイセンは一瞬面食らった顔をした。振り回す事は得意だが、振り回される事には慣れていないらしい。
「そりゃどうもー」
「それでは、僕はこれで。まだ、色々とやる事は山積みですから」
「ま、倒れない程度に頑張りな。いざという時に寝込むのは嫌だろ?」
「…………善処します」
 何とかそれだけを返して、カルミアは足早にその場を立ち去った。
 自分しか居なくなった空間でひとり、スイセンは呟く。
「さて、どうなる事やら……。まずは様子見、かねえ」


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