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第1話 Break out ――――僕の世界は、色褪せていた。 同じ事を繰り返す昨日、何も起こらない今日、変わり映えのしない明日、希望の無い未来。 見知った顔だけと交流を持ち、当たり障りの無い毎日を過ごす。 そんな、世間から隔離された世界で生きる事に、疑問は無い。 それが、僕にとっての平穏。幸福の一種。 そう、言い聞かせる様にして日々を送っていた――――。 こつり、と響く靴の音に、カナリアはふと手を止めた。気配のする方を振り向けば、想像通りの姿。 まず目を惹くのは、濃色のローブだろう。存在を隠してしまうかの様に、華奢な身体をすっぽりと覆っている。そして室内だというのにフードを被ったままの姿は、見慣れない人物なら疑問を抱くだろう。しかし其処から覗く白銀の髪と、凛とした紫水晶の瞳は、人を惹き付ける物があった。 カナリアはふわりと微笑んで、声を掛ける。 「おはようございます、ツグミ。朝食の支度は出来ていますよ」 「ん、分かった」 短い返事をひとつして、ツグミと呼ばれた少女は迷わずひとつの席に腰を下ろす。特にそれぞれ座席を決めている訳では無いのだが、どうにもそこが落ち着くらしい。 キッチンを忙しなく移動しつつ、ツグミの目の前に朝食の乗った皿と飲み物を用意する。当たり前の様にそれを受け入れた彼女は、小さく手を合わせてから朝食に手を付けた。 「そうでした。今日、買い物へ出たいので雪、止めて頂いて宜しいですか?」 「分かった」 思い出してそう尋ねると、簡潔な返事があった。 「分かってると思うけど、出来るだけ早めに頼むよ」 「ええ、承知しています」 頷いて、カナリアは窓の外に目を遣る。 驚く程に真っ白に染まった世界が、其処には在った。吹雪の降り続く外の気候は、ツグミの魔法による物であった。人里離れた北の山に居を構える彼女は、他人と関わりを断って身を隠す様に閉じ籠っている。見知った人間――――それも、たったふたりだけのみが足を踏み入れる事を許された場所。其処へ他人を踏み入らせない為の、一種の結界だ。彼女を守る為の、強固な鎧に他ならない。 それが良い事なのか、悪い事なのか。それを、カナリアに判断する事は出来ない。このままで良いのだろうかという問いは常に自身の中にあるが、それ以上にツグミ自身の思う様に過ごして欲しいという思いが強い為、結果として毎日同じ日々が繰り返されていた。 「空間を繋ぐ扉があるんだから、それを使えばいいのに」 カリカリに焼かれたベーコンを頬張りながら、呟く様にツグミはそう漏らす。それに、カナリアは微笑した。 「自分の足で歩く事が楽しいんですよ」 吹雪を止めたとて、降り積もった雪までもが消える訳では無い。それが自然の天候による物で無いとしても、雪そのものは本物と大差無いのだ。そんな厚い雪に覆われた中を徒歩で移動するのは、変わっていると言われても仕方が無いのかも知れない。それでも、カナリアには譲れなかった。自身の力で前に進んでいる、そんな感覚が嬉しいのである。 「たまにしかない外出なのですから、そこはご容赦を」 「君がそれを望んでいるというのなら、別に反対はしないけど……」 「ありがとうございます。わたしの我侭を尊重して頂けて、嬉しいです」 純粋な謝礼を口にすると、ツグミはふいと視線を逸らした。何処か戸惑う様な顔をして、言い訳を始める。 「君は迷惑も掛けてるし、世話にもなってるし、だから……それで喜ぶのなら……別に」 「はい。嬉しいです」 駄目押しの様にそう言うと、ツグミは今度こそ押し黙った。そのまま、黙々と食事に戻る。少しからかいが過ぎただろうか、などと考えながら、カナリアは手早く外出の準備を整えた。 「では、行って参りますね。食べ終わったら食器は片付けておいてください」 「あぁ、うん。……気を付けて」 小さな見送りに微笑みつつ、カナリアはその場を後にした。 一歩外に足を踏み出れば、凍える様な冷気が頬を刺す。 外界と隔離しているかの様に広がる雪原は、本来の季節を忘れそうになる程だ。この場所に、季節などは関係無い。ただツグミが籠城する為に設えられた、箱庭。それが実態だ。その目的が果たされている限りは、永遠の冬が続く。それはまるで、彼女の心を表しているかの様で。時々、その事実がたまらなくもどかしくなる。しかし、それを打破する術を、カナリアは持たない。 不意に湧き起こったセンチメンタルな気持ちを振り切ろうと、独り言で気を紛らわせた。 「ええと、お財布と、あとメモは持ちましたし、鞄も大丈夫。よし、出発ですね」 自身に言い聞かせて気合を入れると、厚く積もった雪に足を乗せた。 本来ならば一歩を踏み出した瞬間に膝まで埋もれてしまう程の雪の厚さだが、靴は沈む事無く雪の上に足跡を残していく。これもツグミの魔法によるものだ。どれだけ万能なのだろう、とカナリアは思う。その理屈も構造も分からないが、それが起こす奇跡の様な出来事が凄い事だけは分かる。自身がその恩恵を受けている事を、彼女が一番理解していたからだ。 「この鞄、何度使っても不思議ですね……中に入れるだけで屋敷に届いてしまうなんて」 手に提げた小さなバスケットを視線の高さに持ち上げてみる。然したる重みも無いその鞄には、同じくツグミの魔法が掛けられている。居住環境上、頻繁な買い物をする事は難しい。それ故、一度の外出で多くの食材や日用品を買う必要に迫られる。しかし町に出るのはカナリアのみ。日頃の家事で多少の力はあるつもりだが、それでも限界はある物だ。大量の荷物を抱えて雪道を移動するのは厳しいだろう。 その問題を解決する為にツグミが用意したのが、そのバスケットであった。空間転移の一種が使用されていると、聞いた事がある。やはり原理は分からないが、便利である事には違いない。それをカナリアに預けたのは彼女なりの考えがあったのだろうが、深く訊く事はしなかったので不明なままだ。 そんな恩恵を改めてしみじみと感じながら、歩を進めていると。 「――――あら?」 視線の先に何か違和感の様な物を感じて、カナリアは足を止めた。純白の景色ばかりが広がる中、雪に埋もれる様にして覗く色に、思考が停止する。 それが人の姿であるという事に気付いた瞬間、カナリアは声を上げていた。 「まぁまぁまぁ大変! こんな所に人が居るなんて!!」 「カナリア? 随分早い帰還だけど、買い物はもう終わったの?」 人の気配に気付いたらしいツグミが、リビングに顔を出した。その問い掛けにカナリアが返答を返す間もなく、顔色を変えた彼女が鋭い声を放つ。 「……誰、そいつ」 「分かりません。外に倒れていらして……そのまま雪の中に放置する訳にもいきませんから、連れて来ました」 ますます、彼女の表情が険しくなる。他人を避ける様にしてこんな辺境に身を隠しているツグミにとって、見知らぬ者は敵にも等しい物であった。それが主である自身の断りなく屋敷に存在しているという事が、彼女には許せないのだろう。その気持ちは理解しているつもりだが、こればかりは致し方無い事だ。何せ、人命が懸かっているのだから。それが主人の意に反した行為だったとしても、カナリアには見過ごせない。 「連れて来た、って……此処の主は僕だ、その僕に断りもなく見知らぬ他人を入れるだなんて」 それは、悲鳴にも似ていた。痛む心を押さえ付け、カナリアは毅然と対応する。 「緊急事態です、大目に見てください。人の命が懸かってるんですから」 早口で捲し立てて、カナリアは真っ直ぐにツグミの瞳を見据えた。 「まずはベッドで休ませなくては。構いませんね?」 「……断る、と言ったら?」 「私の部屋に連れて行きます。これは私の我侭ですから。見捨てろなんて言いませんよね」 試す様な問い。その答えを返すと、ツグミが狼狽えた。 「勝手にすればいい。但し、僕は関わらないからな」 キッパリと言い放って、ツグミは足早にその場を立ち去る。それを見送って、カナリアは溜息を零した。 「……仕方ありませんねえ」 不意に、布団の塊がもぞもぞと動いた。気付いたカナリアは、慌てて駆け寄る。 「お目覚めになったのですね」 声を掛けると、布団の中の少女が小さく頷いた。 「何処か、辛い所や痛い所などはありますか?」 「え、あ。いえ、特には」 問い掛けには、やや動揺した様な声音で返答があった。返事があった事に、カナリアは安堵する。 「それは良かった。お腹は空いてませんか? 何かご用意致しますよ」 「あ、あのっ! 此処は?」 突如発せられた問い掛けに、カナリアは暫し考え込んだ。どう答えて良いのやら、難しい。ツグミがこの屋敷に住まう様になって数年が経つが、これまで来訪者はひとりを除いて無かった。それ故、不意に訪れた第三者への説明を持ち合わせていないのである。事実を打ち明ける事は主が好まない事から、その点は伏せるに越した事は無いだろう。問題は、それ以外の言葉でどう説明するかだ。 「何と言っていいのやら迷う所ではありますが……そうですね、此処は北にある屋敷です」 所在地を大まかに言う事で、濁した。即座に、話題を切り替える。 「雪に埋もれていた所を見付けられて、幸運でした。どうしてあんな所に居たか、覚えていらっしゃいますか?」 「え、ええ。まぁ。あ、私、ハツネって言います」 「まぁ、ハツネさん。わたしはカナリアと申します。どうぞお見知りおきを」 「あ、はい。どうも……」 唐突ではあったが簡単な挨拶を交わすと、ハツネと名乗った少女は躊躇いがちに言葉を紡いだ。 「ええと、あの、カナリアさん。ひとつお尋ねしても?」 「ええ。わたしでお答え出来る事であれば」 「もしや此処は、賢者ツグミの屋敷では?」 飛んで来た言葉に、カナリアの心臓が跳ねる。的確な単語が飛び出すとは考えていなかったのだ、当然と言えよう。しかし、よく考えてみればこれが偶然とも思えない。あの雪に埋もれていた事を考えると、それまでの間は来訪を閉ざす為の吹雪を物ともせず、彼女は雪道を進んでいた事になる。魔法の加護も無く、文字通り埋もれながら。とある場所を目指すという意志が無ければ、あの吹雪に挑む事など出来ようか。 彼女の目的がこの屋敷にあると気付きながらも、カナリアは肯定出来ずにいた。その目的の動機が、まだハッキリとしていないからだ。一見すると無害そうなごく普通の少女であるが、人は見た目で判断が出来ないもの。危険因子という可能性も否定は出来ないのだ。 「どうして、そうお考えで?」 まずは彼女の目的をはっきりとさせる方が先決なのだろう。そう問いを投げてみると、ハツネは溌溂とした声で声高に自身の目的を主張した。邪気の無い、純粋無垢な笑顔と共に。 「私、賢者ツグミの屋敷を目指して来たんです。賢者ツグミの、弟子になりたくて!」 |
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