第4話 Over again


「どうして、僕が、こんな……!」
 苛立ちを抑える様に、ツグミは声を絞り出した。溢れ出て来る感情を抑え切れぬ様子で振り下ろされた拳が、机の上で鈍い音を立てる。数年生活を共にしているカナリアも、久々に見た感情の爆発。それが良い事なのか否か、その判断を下す事は難しかった。
「落ち着いてください、ツグミ」
 ひとまず宥めようと声を掛けてみたが、ツグミには届いていない様だった。
「こんなつもりは無かった。関わる気なんてこれっぽっちも無かったんだ。一度たりとも教える気なんて無かったのに……それなのに、急にあんな事を言い出すから……浮遊魔術だなんて」
 うわ言の様に呟いていたツグミが、思い出した様にカナリアに視線を向ける。唐突に矛先が向いて、カナリアは思わず動揺して身を竦めていた。
「さては君達、あいつに告げ口でもしたのか?」
 あいつ、というのはハツネの事だろう。カナリアは首を振った。
「告げ口だなんてとんでもない。少しだけ、昔話をしただけです」
「同じ事じゃないか! まったく君も師匠も僕が居ない間に勝手すぎる」
 半ば悲鳴にも似た叫びは、紛れもない彼女の本心だった。そして、事実でもある。ツグミ自身の許可も得ないまま、第三者に過去の話をしたのは褒められた事では無かったかも知れない。しかしそれを率先して行ったのはハクロウの方だ。思えば、意図的に明かした様な気さえする。彼には彼なりに思う所があるのだろう。
 それはそれとして、だ。
「ですが、彼女の申し出を受けたのは貴方自身なんですから。気持ちは分かりますが、覚悟は決めて下さい」
「分かってる。また失敗されるのは御免だ。絶対に成功はさせる」
 釘を刺そうとすると、思いの外あっさりと肯定の言葉が返って来た。そこに滲んだ声音からは、強すぎる程の意志を感じる。二度と同じ轍は踏まない。再び同じ思いはしたくない。そう心が叫んでいるかの様だった。ならば、その背を押すのが自分の役割なのだろう。カナリアはそう信じる事にした。
「その意気です! ……でも、魔法が成功するという事は、つまり合格という事では?」
 術が問題無く行使され、目的を果たす。それは即ち合格の絶対条件である。しかしツグミは否定した。
「術の成功と合格は必ずしも一致しない。成功した所で、彼女が合格する事は無いさ」
「どうしてです?」
「判定するのが僕だからさ。僕の一存で結果は決まる。術の結果がどうであれ、僕は認める気は無い」
「まあ、それは不正というのでは?」
「何とでも言えばいい。向こうが卑怯な手で来たんだ、此方も同じ様な手で返す。当然の事さ」
 諫めようとした声は、一蹴された。カナリアは小さく息を吐き出すと、呟く様に言葉を紡いだ。
「今はそれでも構いません。貴方が彼女の申し出を受けて下さっただけで、充分ですから」


「さっきも言ったが、僕からの説明は一度きりだ。だが失敗は絶対に許さない。それが教える条件だ」
「はい!」
 ハツネの朗々とした返事に顔色ひとつ変えず、ツグミは前置きも無しに説明を始める。
「物体浮遊と移動は簡単そうに見えて、強い集中力と緻密なコントロールを必要とする。それを忘れるな。試験は対象を浮かべ、指定の位置に移動させる。ただそれだけだ。一度だけ、僕が実現してやる」
 何とか平常心を保とうとしているのか、ツグミの口調はいつも以上に荒々しかった。しかし説明に不足は無く、ハツネも真剣に耳を傾けている。
 ツグミはガラスの空瓶を眼前の椅子の上に置くと、それに向けて掌を翳した。瞬間、かたりと動いた瓶が宙に浮き、そのままふわふわと空中を漂って離れたテーブルの上に着地する。危なげの無い、正確かつ確実な動きであった。賢者とさえ呼ばれたツグミの、実力。それは、今でも確かに存在していた。
「凄い……それをこんなに簡単に! 流石ツグミです!!」
「世辞は要らない」
 感動の誉め言葉も切り捨てて、ツグミは話を続ける。
「さっきも言ったが、この術は思ったよりも繊細だ。対象物に負荷を掛け過ぎると」
 瓶が、破裂した。テーブルの上には、細かい破片が飛び散っている。
「この通り、破壊する事もある。最初は箱か何かで練習するといい。何度もガラスを割られちゃ、困るからね」
「分かりました。では一度、試してみるので見てて貰えますか?」
「何故」
 驚く程の即答に、ハツネは目を丸くした。
「何故って……私、これでも初心者ですよ? 一度くらい見てくれても良いと思いませんか?」
「手本を見せただけでも充分に譲歩したと思うけどね」
「もう、ツグミはまたそういう事を言うんですから」
「事実だろう。そもそも僕は不本意なんだ、こうして此処に居るだけでも褒めて欲しいくらいだね」
 にべもないツグミにカナリアは助け舟を出そうとしたが、彼女は頑なだった。しかし。
「はいはい其処まで。教えると言い切ったのはお前だろ?」
「そう、だけど……だって、それは」
「理由はどうあれ、言ったのはお前だ。なら一度くらい見てやるのが筋ってモンだろ」
 ハクロウが割って入ると、途端にツグミの態度が弱々しくなった。矢張り、師匠と弟子なのだろう。流石のツグミも、未だに師匠と慕っているハクロウの言葉には逆らえない様だった。諭す様な声に、しぶしぶ頷く。
「……一度だけ、だからな」
「はい!」
 目を輝かせたハツネに気付かない振りをして、ツグミは小さな箱を棚から取り出すと、同じ様に椅子の上へと置いた。その間に、カナリアは手早くテーブルの上の破片を片付ける。
「これを、そこのテーブルまで動かすこと。いいね?」
「はい、やってみます!」
 大きく頷いたハツネは両手を目の前に差し出し、箱に向けて意識を集中させる。瞬間、かたりと音を立てて箱が揺れた。そうしてふわりと浮き上がった箱は、上下に揺れながらもゆっくりと移動を始める。
「……ほう、これは」
 其処に何か見える物があったのだろう、ハクロウが声を上げた。ツグミも、戸惑う様に視線を彷徨わせている。
「…………っ」
「どうかしましたか、ツグミ?」
「なんでも、ない」
 問い掛けは、あっさりと否定された。そうこうしているうちに、箱がテーブルの上に転がる様に着地する。
「ええと、どうでしょうか? ゆっくりですけど一応、ちゃんと移動は出来たと思うのですが!」
 恥ずかしそうに言うハツネに、ツグミは小さく息を吐き出す。
「力が入りすぎ。必要以上に力んでいるから、対象への負荷が大きくなりすぎて、箱が部分的に潰れてる。これがガラスだったら割れていてもおかしくない」
「なるほど。力のコントロール不足、ですね。そこに重点を置いて練習してみます、ありがとうございます!」
 記憶に刻む様に繰り返して、ハツネはぺこりと頭を下げる。
「……別に、礼を言われる様な事じゃない。これで僕の役目は終わりだからな」
 言い切って、ツグミはそのまま部屋から出て行った。
「行ってしまいましたね」
「ま、多少此方が仕向けた所があったとは言え、此処まで来れば上出来だろ。後は練習あるのみ、だな」
「はい、頑張ります! 私が無事に成功させたら、ツグミの気持ちも少しは変わるかも知れませんから!!」
 意気揚々と拳を握り、ハツネは言い切る。こうして、試験に向けた特訓の日々が始まったのであった。


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