第5話 There is my hope


 ツグミは、動揺していた。
 彼女の能力値には、薄々勘付いていた。自覚の有り無しに関わらず、先天的に強い魔力を持つ者は独特の気配を持っている事が多い。力のある魔法使いならば、一目見てそれを察知する事も出来る。だからこそ、ツグミも何となくは察していた。彼女が――――ハツネが、強い力を秘めている事に。
 だが、分からない。ハツネは魔法に関しては素人も同然で、どうして自分の弟子を志望するのかさえ首を捻りたくなる程なのだ。恐らく、彼女自身は自分の能力値すら知らないだろう。
 そんな彼女が初めて挑んだ魔法の行使を目の前にした時、流石のツグミも愕然とした。想像を遥かに超えた、魔力の強さ。それは、あの事故を彷彿とさせた。簡単に教えただけの粗削りであれだけ出来たのなら、丁寧な指導を伴えばすぐに才能は開花するに違いない。
 しかし、ツグミが動揺していたのは彼女の力にでは無い。それに、心を乱した自分自身に、だ。
 別に、自身が驕っていたつもりは無い。幾ら過去に賢者なんて仰々しく呼ばれていたとしても、それを誇らしく思えた事など無かった。誰かを護る事さえ出来なかったツグミには、無意味な称号の筈なのだ。それでも、自身を超えるであろう力の持ち主を目の前にして、心がざわつくなんて。
 自身でも気付かない心の何処かで、その名に縋ろうとする気持ちはあったのかも知れなかった。
「師匠も、こんな気持ちだったのかな……」
 思わず漏れ出した呟きは、隠そうとしていた本音だったのか否か。
 ――――と。
「呼んだか?」
「師匠!?」
 唐突な第三者の声に振り返ったツグミが、悲鳴にも似た声を上げた。その反応に驚く様子も見せず、ハクロウはひらひらと手を振ってみせる。ツグミは平静を装おうとしながら、ぶっきらぼうに問いを投げた。
「どうして此処に居るのさ。あの子の面倒、見てるんじゃなかったの」
「初っ端から俺が口出ししたら意味が無いだろ。まずはお前の指導した通りにやってみないとな」
 さらりと言い切って、ハクロウは真っ直ぐにツグミを見据える。
「で、どうしたよ。珍しく動揺していたみたいだが」
 本当に、敵わない。全然気にしていない様な素振りをしながら細かい所にも目を配り、世間話をする様な気楽さで此方を気遣って来る。この人は、昔からそうだ。自身には何の力も無いと嘯きながら、些細な気配りを積み重ねて周囲を支えている。それは、充分に才能だ。
 細やかなフォローも含めた対応能力の高さは、ツグミには到底真似出来ない芸当だ。それを、何度羨ましいと思ったか知れない。そんなハクロウだからこそ、ツグミは彼を師匠と仰いだのだ。魔法の技能だけでなく、彼の人間性に惚れた。だからこそ、彼が否定をする様になった今でも師匠と呼び続けているのだ。
「べ、別に動揺なんて……」
 そんな事は無い、という否定は言葉にする前に消えていく。代わりに出て来た言葉は、全く別の物だった。
「師匠。少し、話せる?」
「いいぜ。時間なら、まだ充分あるからな」
 躊躇いがちに発した誘いは、ふたつ返事で受けられた。何も聞かず頷いてくれる潔さも、相変わらずだ。もしかしたら、此方の思いも見透かされているのかも知れないけれど。もう、そんな事はどうでも良い。
 意を決して、ツグミは言い切った。
「師匠に、訊きたい事がある」


「で、何だよ。俺に訊きたい事、ってのは」
 場所を移動したふたりは、空き部屋に並んで座っていた。向かい合って座るのは、ツグミが拒んだ。正面を向いて話す自信が、どうしても無かったからだ。だから、顔を見ずに話が出来る様に、椅子を並べた。
 そのお陰か、少しだけ冷静な自分に戻れた様な気持ちを抱いたまま、ツグミは問う。
「あの子の能力値、師匠はどう見た?」
 どう表現したものかと迷ったが、存外あっさりと言葉は形になった。
「才能のあり無しで言うなら、ある。本人の知識がまだ浅い分、今は原石って所だろうが、練習を重ねれば化けるな。何の知識も無いまま感覚で術を扱える様な天才では無いが、努力型の秀才にはなれるだろうさ」
 一切の迷いも無しに、ハクロウは言い切った。その的確な返答からも、彼女の能力値の高さが窺い知れる。
「……ふぅん」
 さも気にしていないとばかりの態度を装いながら、ツグミは相槌を打った。それに苦笑したハクロウが、言う。
「それくらい、お前も見抜いてるだろうが。本当に訊きたいのは、そんな事じゃねえんだろ?」
 やはり、お見通しか。思ったが、言葉にはしなかった。
 図星を突かれた以上、どう足掻いても無意味だろう。そう結論付けて、ツグミは無駄な抵抗を諦めた。
「……師匠は、どう思った? 僕が、弟子になりたいって言った時」
 それは、流石に予想外の問いだったか。やや面食らった様な顔をしたハクロウだったが、すぐに破顔する。
「いきなり何を言い出すかと思ったら……そんな事か」
「僕は真剣に訊いてるんだ」
 笑われる覚えは無い、と抗議すると、分かってるとばかりに頭を力強く撫でられた。目深に被ったフード越しではあったが、外していたらきっと髪の毛はぐしゃぐしゃになっていただろう。
 昔は良く、こうして頭を撫でられた様な気がする。褒める時や慰める時など状況は様々だったが、それでも触れた掌の温もりは今でも忘れない。どんな時であっても、師匠の気持ちは充分に伝わっていたから。それすら懐かしくなる程に、気付かないうちに距離を取ってしまっていたのだろう。
「……そうだな。驚いた、ってのが一番最初の感想だな。何でお前みたいな天才が俺みたいな中途半端な奴の弟子になろうとしてるんだって、何度も考えたモンさ」
「師匠は自己評価が低すぎる。少なくとも、僕が師事しようと思ったのは師匠だけだ」
 ツグミは即座に反論の声を上げた。
 純粋な魔法の技術だけなら、ハクロウ以上の魔法使いは多く存在している。単純に技術の向上を目的として弟子入りするならば、他の人物を選んだ方が上達は早かったかも知れない。だが、それをツグミは求めていなかった。既にある程度の魔法を習得し、神童とさえ呼ばれる事もあったからでは無い。その性格に、人間性に、惹かれる物を感じたからだ。それはツグミにとって、魔法の技術よりも比重が大きかった。
 この人の傍で学びたいと、そう思わせる物を感じた。だから師事した。それだけの事だ。
「そりゃ嬉しいね。だが、実際師匠としてお前に出来た事なんて大して無かっただろ。弟子入りする前から魔法は充分に使えていたし、大体の事は感覚で掴んでいたからな」
 そう、ツグミは感覚型の天才だ。原理など理解しないうちから、直感だけでほぼ正確に術を行使する事が出来る。師匠と仰いでいながらも、実際にイチから魔法を教えて貰った事は数える程しか無かった。細かな修正や苦手な部分をカバーする手段を指導して貰った事の方が多いが、それすらも数回程度。傍から見ればそれは本当に師弟と呼べるのか、疑問に持たれる事だろう。
「そんな事無い。師匠は僕の為に色々してくれた。それは、魔法に限った事じゃ無いから」
 誰かを師匠とするのは、何も魔法だけでは無い。それ以外にも、日々を生きていくに必要な事を教えて貰った。だからこそ、ハクロウは紛れもなくツグミの師匠なのだ。誰が、何と言おうとも。
「そっか。お前が後悔してない、ってんだったらそれで良いさ」
「師匠こそ、僕を弟子にした事、後悔してない?」
 口にした瞬間、ハクロウの表情が僅かに変化した。さり気無く発したつもりだったが、察知能力の高い師匠の事だ、此方の思いに気付いたのだろう。それが、本当に問い掛けたい事であるという事実に。
「何を馬鹿な事を言ってんだ。後悔なんて、してる訳ねえだろ。してたら、今頃此処には居ねえよ」
 ふ、と笑って、ハクロウは言い切る。清々しい程に真っ直ぐな、迷いの無い瞳で。お世辞でも無く、本心としてそれを口にしている。それが分かっていても、ツグミは素直に受け止める事が出来なかった。
 自身の能力値を遥かに超越した者を弟子に迎えるなど、何を考えているのか。師匠として呼ばれる事を恥ずかしく思わないのか。そう、陰口を叩く者が居た事を、ツグミは知っている。弟子が自分より有能だなんて可哀想に。そう、憐れむ者も居た。その原因を作ったのは、ツグミだ。ツグミが、ハクロウを師匠と定めたからに他ならない。だからこそ、僅かながらも罪悪感はあったし、それを師匠が気にしているのならば申し訳無いと思う気持ちもあった。今まで面と向かって、問い掛ける事は出来なかったけれど。
 ハクロウも、それなりに才を持った人間だ。何だかんだと言いながらも今現在、魔法協会でもそれなりの発言権を持つ重鎮として存在している。だが、自身の存在がその足枷になっているのではないかという不安は、正直あった。ハクロウが、ツグミの師匠という名乗りをしなくなってからは特に。
「……でも」
「確かにお前の才能は、俺には眩しすぎたかも知れない。でもな、其処には恨みも妬みも無い。お前みたいな才能の塊が、俺みたいな奴を師匠と呼んでくれる。それだけで、俺は充分に幸せ者だよ」
「師匠……」
 それは、初めて聞いた師匠の本音だった。ずっと抱えていた靄を一瞬で晴らしてしまう程の、輝きに満ちた言葉。それを語るハクロウの表情は本当に穏やかで、其処に僅かな誤魔化しも嘘も存在しない事が分かる。
「俺が自ら師匠を名乗らないのは、もう師匠として出来る事は無いと思っているからだ。俺以上の実力者を前に、俺はあいつの師匠だなんて宣言するのは申し訳無いだろ」
「そんな事無い! 師匠は、これからもずっと、僕の師匠だ」
「そう言ってくれるだけで充分なんだよ、俺は。こんなにも実力差があれば、いっそ清々しいってモンだろ。まぁ俺にもそれくらいの才があれば、なんて考えも無くはないが、それはそれで色々と面倒そうだしな。これぐらい緩やかに自堕落に生きてる方が、俺には合ってるんだよ」
「師匠はすぐそうやって茶化すんだから」
 拗ねる様に言うと、ハクロウが申し訳なさそうに笑う。そうして再びツグミの頭に手が置かれた。掌の重みで自然と頭が下がり、視線が下を向く。
「優秀な弟子を持てた事を、光栄に思う。それが、俺の感情の全てだよ」
 表情を見る事は、出来なかった。いや、そもそも見せない様に手を置いたのかも知れない。気付くと、頭から掌は離れていた。だが、そんな事はどうでも良い。一番大切な物は、受け取ったから。
「……師匠の気持ちは、分かった。僕も、僕なりに考えてみる」
「ん。別に、慌てなくていいさ。お前がしたいようにするのが一番だからな」
「師匠。話してくれて、ありがとう」
「おう。……一応言っておくが、さっき言った事、他のヤツに言いふらすなよ?」
 照れ隠しにも似た念押しに、ツグミは笑って言った。
「もちろん、分かってるさ。これは僕だけの、宝物にする」


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