第8話 To be alive


「心当たり、あるんですか?」
 恐る恐る問い掛けると、ツグミの表情には躊躇いの色が浮かんだ。言葉にする事を迷う様に、何度か口を開き掛けては閉じる。何度かそれを繰り返した後、ぽつりと言葉を落とした。
「……無い、と言ったら嘘になる」
 絞り出す様に発せられた音は、震えていた。彼女自身の動揺を表しているかの如く、擦れた響きが静寂に溶けていく。それは酷な問いかけをしてしまったのかも知れないと、後悔の念さえ抱く程に弱々しい物であった。
「でも、本当の事は僕にも分からない。分かるのは、あの子を殺したのが僕だって事くらいだ。その事実は、どうやったって変わらない」
 ツグミの口から飛び出した物騒な単語に、周囲の誰もが言葉を呑んだ。
「殺した、って……事故、なんですよね?」
 聞き間違いである事を確かめる様に、ハツネが問う。其処には、間違いである事を願う様な切実さも滲んだ響きがあった。しかしツグミは自嘲する様に笑うばかりだ。
「事故、ね……本当にそうだったのか、今となっては怪しいかもな。あの時の失敗に限定して言うなら、僕は意図的に引き起こされた物だと思っている」
 それは、初めての告白だ。今まで彼女だけが抱えていた疑惑。それが、初めて公になった瞬間だった。
「そんな……そんな事、今まで一度も」
「言ってどうなる。何を言っても結果は同じさ。事実は覆らない」
「違います。ちゃんと説明してください。あの時、何があったのか。ちゃんと教えてください」
 全てを諦観したかの様なツグミの口振りに、カナリアは真正面から食らい付いた。彼女の言い分だけを鵜呑みにして納得出来る様な、そんな簡単な話では無かった。嘘を言っている訳では無いだろうが、真実でも無い。それを信じたいだけかも知れないが、不思議と確信にも似た何かがカナリアの背を押していた。それに突き動かされるまま、数年越しの真実を追い求める。それが使命かの様に。
 その強い意志に気圧されたのか、観念した様にツグミはぽつりぽつりと語り始めた。
「あの子の……弟子の異変は、いつからか何となく感じてた。でも、理由を尋ねる事は出来なかった。訊く事が、怖かったのかも知れない。あの時に術が暴走して、膨大な力の波が僕を目掛けて飛んで来た瞬間、やっと察したんだ。僕を狙おうとしていたんだ、って」
「……初めて、聞きました。どうして、言ってくれなかったんですか」
 感情的にならないよう、高ぶる心を必死に堪えてカナリアは声を絞り出す。返すツグミの声は、感情が抜け落ちたかの様にひたすら淡々としていた。全てを諦めて、考える事を止めたのだろう。
「どんな理由があろうと、その結果自体は変えられない事実だろう。過程なんて、もう意味は無い。何か言い訳をして、あの子が生き返るとでも?」
「それは……」
 流石に否定する事が出来ず、カナリアは口籠った。それを気に留める事もせず、ツグミは続ける。
「僕は反射的に打ち返した。あの子が死んだのは、術の暴走そのものじゃない。それを僕が跳ね返したからだ」
 そう言い切ったツグミは、自虐的に笑う。後悔などという言葉さえ霞む程の、悔恨の念。それが、彼女の中には渦巻いていた。
「自分の弟子を信じる事が出来なかった。あまつさえ、迷わず自分を守った。その非は、僕にある。僕だけに」
「自分の身を守った、それの何がいけないんです?」
 重い空気を打ち破ったのは、ハツネの真っ直ぐな言葉であった。ツグミに、激情が宿る。
「君は話を聞いていなかったのか!? 僕は――――」
「誰だって自分の身を守るのは当然の事です。ツグミのした事は、言わば正当防衛じゃないですか」
 何も間違った事は言っていない、と自信を持って宣言するかの如く、ハツネはツグミの言葉を遮った。
「ツグミを狙ったお弟子さんが悪い、なんて言うつもりはありませんけど……でも、ツグミがそこまで責任を負う必要は無いと思います。言い方は悪いかも知れませんけど、ツグミは少し、悪く考えすぎじゃないでしょうか」
「な……」
 ハツネの言い分に、ツグミはただ、絶句する。其処に、ハクロウが割って入った。
「なるほど、それも一理あるか。結果は確かに変わらないが、物事は考え方次第って訳だ」
「師匠まで! 何を言って……」
「当時、若くして『賢者』なんて呼ばれるツグミを排そうとする動きがあったのは事実だ」
 反論しようとしたツグミを制する様に、ハクロウはそう言い切った。ツグミの動きが止まる。
「組合の爺さんどもは自分の権力を維持するのに必死でな。その場所を奪えるだけの実力を持ったツグミは目の上のたんこぶ、って所だったんだろうよ。だからどうにかして一線から退いて貰いたくて、あいつを利用して実行に……なんて可能性も否定出来ねえな。爺さんどもなら平気な顔でやりかねん」
 カナリアは魔法組合の実情とやらを知らないが、組合に不信感を抱くには充分過ぎる程であった。流石に全員に黒い噂があるとは思わないが、権力の固執はよく耳にする話題でもある。
「だからって……」
「それには俺にも責任がある。そんな動きがある事を知っていながら、ああなるまで気付けなかったんだからな」
「どうして師匠が謝るのさ。悪いのは全部僕で、師匠は何も」
「悪くないって? 悪いに決まってんだろ」
 言葉尻を引き取って、ハクロウは言い切る。真っ直ぐにツグミを見据えて、ハッキリと言葉を紡いだ。何処か逃げていた過去と向き合う様に、真摯な思いをぶつけるかの様に。
「俺が事前に気付けていれば、何かが起きる前にちゃんと動いていれば、最悪の事態は免れたかも知れねえんだから。それに、お前がこうして身を隠す様に過ごす事にもならなかった筈だろ」
 ツグミが隠居生活を送る道を選んだ事に、ハクロウは後悔の念を抱いていたのだろう。師匠として彼女の能力を認め、羽ばたく事を願っていた彼だからこそ、ツグミの選択は辛い物だったに違いない。彼自身は、そんな素振りを一切見せようとしなかったが、言葉の節々からはそれを充分に感じ取れた。
「別に、僕はこの生活を悪いと思った事は無いし、好きでしてるだけだ。あの件とは、関係……ない」
「ま、お前がそう言うんなら別に否定はしないが」
 それが強がりだと分かっていてツグミの言い分を否定しないのも、彼なりの優しさなのだ。
 しかし次の一言を発した瞬間、その場の空気は一変した。
「ただ、ひとつだけ訂正はさせて貰うぜ。あの事件……いや、事故か。それにお前の非は無い。一切な」
「そんな訳ない! そんな事があってたまるか!! あれは、僕が……!!」
 悲鳴にも似た叫びが、ツグミから瞬間的に溢れ出る。一気に火が付いた様に、感情が燃え上がった。それ程にまで彼女の心を支配している出来事なのだと、思い知る程に。それを宥めながら、ハクロウは続ける。
「お前の気持ちは分かるが、まあ聞け。確かにあの一件は、お前を狙って起きた物だろう。これは恐らく、間違いない事実だ。だが、それは十中八九あいつ自身の意思じゃない。そして、あいつの死因もお前じゃない。あれは、発動した術の負荷に耐えられなかった事で起きた事故だ」
 ツグミに非の無い事故。そう、ハッキリとハクロウは指摘した。その事実に、ツグミは動揺する。
「なんで……どうして、そんな事が言えるの。師匠が、なんで!」
「何言ってんだ。連絡を受けて一番に吹っ飛んで来たのが俺だぞ」
「え……」
 分からない、とでも言う様に、ツグミは呆然とした。記憶が抜け落ちているらしい。
「状況が状況でしたからね」
 フォローを入れる様に、カナリアは言う。
「ツグミが覚えていないのも無理は無いですよ。あの時は、ショックで疲弊し切ってましたから」
 大きな物音に気付いたカナリアが現場に辿り着いた時、ツグミは動揺で説明も困難な状態であった。それ故、状況を判断して動いたのはカナリア自身だ。事故の瞬間に何が起きたかこそ分からないが、その後の様子は記憶している。ハクロウが駆け付けた後は彼に現場を任せてしまったが。
「事故後の現場には、大きな魔法が行使された痕跡が残っていた。あいつの……弟子の能力値以上のな。自分の能力値を超える術を自前の魔力だけで行使する事は不可能だ。つまり、外部から力が供給されたって事になる。それが扱えずに、術そのものが暴走して起きたのがあの事故、って事だろう」
「そうだとしても、僕に非が無い理由が無い」
「理由ならあるさ。あいつにそれらしい外傷が無かったからだ。膨大な力に耐え切れなかった事による傷跡は認められたが、お前が跳ね返したという力を受けた形跡は何処にも無かった」
「でも、僕は確かに……!」
「お前の言った事も間違ってはないんだろうさ。でも、それがあいつに当たった訳じゃない。状況的にはそう見えても仕方が無かった。そういう事なんだろう。周囲には相当な衝撃があったみたいだからな」
「そんなの、今更言われたって……信じられる訳無いじゃないか……」
 弱々しく、ツグミは吐き出した。今にも消えてしまいそうな、儚さで。
「信じるかどうかはお前次第だけどな、確かにこの目で見た事だ。結果は否定させねえよ」
「だったらどうして……今まで言ってくれなかったのさ……」
「お前が今の選択をしたのは、あくまでも弟子を喪った事による物だと思ってたんだよ。自分が殺しただなんて、まさかそんな風に思ってたとは知らなくてな。説明が遅くなったのは悪かった」
 真摯な態度で、ハクロウは頭を下げた。ツグミはまだ、明らかになった事実を受け止め切れていない様だった。
「それでも……僕は……」
「あの日、あの事故の前、あの方に声をお掛けしたんです。何か、悩んでいらっしゃる様子でしたから」
 俯くツグミに、カナリアはそっと語りかけた。自分だけが知っている事実を、伝える為に。
「何か言いたそうにしてらしたのですが、結局聴くには至らなくて……今思えば、ご自身の身の置き方に葛藤していらしたのかも知れません。其処は、想像する事しか出来ないのですが」
「え……そんな事、今まで一度も」
「ええ。その後すぐにあんな事になってしまって……慌ただしくしているうちに、忘れてしまったんです。でも、今のお話で思い出せました。あの方は、本当にツグミを慕っていらしたのだと、私は信じています。あの方の表情に、仕草に、貴方を恨む要素無かったと、そう断言出来ます」
 弟子と過ごしていた温かな空間を、カナリアは覚えている。本心を聴く事は不可能だが、それでも、あの穏やかな時間に、通わせた心に、嘘は無かったと信じたい。
「それなら尚更、僕はあの子を助けるべきだった。僕は、あの子の師匠だったんだから」
「師匠だって出来ない事はあります! 師匠だって人間ですもん、万能じゃない筈です!!」
 それでも反論しようとするツグミに、今まで成り行きを見守っていたハツネが耐え切れない様子で割り込んだ。
「そうそう。俺だって、お前にしてやれた事なんてたかが知れてるだろ。師匠だからって完璧って訳じゃない」
「そんな事は無いし、それとこれとは」
「ツグミはいっぱい傷付いたと思います。悲しみも、悔しさも、部外者の私は一緒に分かち合ってあげられないけど……でも、これだけは言えます。ツグミは今もこうして此処に居ます。そのお陰で、私は今此処に居られてます。それは幸せな事だなって、そう思うんです。今こうして生きている事を大切にしても、ツグミが幸せでいても、バチは当たらないんじゃないでしょうか」
 彼女なりの真っ直ぐさで、彼女なりの思いをぶつける。その意見には、カナリアも全面的に同意だ。
「そうですね。あの方の事を忘れろだなんて言いませんし、言うつもりもありません。ですが……少しだけで構いません。背負いすぎている荷物を、ほんの少しだけでも下ろしてみるのはどうでしょう?」
 ツグミの気持ちも分からなくはない。だからこそ、此方の気持ちを押し付ける様な事は出来なかった。それ故に、提案という形で落ち着いた。あとは彼女がそれに乗ってくれるかどうかだ。
「だな。一気に気持ちを切り替えろ、なんて事は言わねえが、お前ひとりで全部背負い込もうとすんな。少しくらい、俺らにも背負わせろ。あいつを大切に思ってたのは、俺達も同じだからな」
「私がお弟子さんだったら、ツグミには笑っていて欲しいと思います。自分の為に誰かがずっと苦しんでいるのは、辛いですから。それにこの数日間、練習は大変だったけど楽しかったですし。ツグミにも、幸せな時間だったって思って貰えていたら……なんて、そんな考えの方がバチが当たっちゃいますかね」
 照れ隠しの様にぺろっと舌を出して、ハツネは苦笑する。その姿に、ツグミがふうっと息を吐き出した。
「…………僕の周りは揃いも揃ってお人好しばかりだ」
「だな。そうじゃなきゃこんな頻繁に様子見に来たりしねえよ」
「そうですね。そうじゃなくては貴方の傍にこうして居ませんよ」
「ふふ。愛されてますね、ツグミ」
「……うるさい」
 ハッキリと明言こそしなかったが、ツグミにも思う所はあったのだろう。空気が、軽くなった様な気がした。
「ええと、自ら話題を変えておいてなんですが……私の試験、どうでした?」
 ハツネが恐る恐る問い掛けを口にする。其処で漸く、今が試験中であった事を全員が思い出した。
「それは……」
「やっぱり駄目でしょうか……自分としては、結構いい線いってたかなーなんて思うんですけど」
 ツグミは考え込む素振りを見せた。沈黙を恐れる様に、ハツネは早口で捲し立てる。
 ――――と。
「……合格だ」
「え? 今なんて?」
 肝心な事を聞き逃したハツネに、ツグミが声を荒げた。
「合格だと言ったんだ! もう二度と言わないからな!!」
「え――――」
 合格の想定をしていなかったのか、ハツネはぽかんとする。その手を取って、カナリアは賛辞を贈った。
「やりましたね、ハツネさん! おめでとうございます!!」
「おめでとさん。努力の甲斐あったな」
 祝福の声に状況が呑み込めて来たのか、みるみるうちにハツネの表情が明るくなっていった。
「はい! ありがとうございます……!! これから宜しくお願いしますね、ツグミ!!」
「弟子として認める以上、手加減はしないから。それは覚悟する事だね」
 それは照れ隠しなのか、いつも以上にぶっきらぼうな言い回しであったが。
「はい、勿論です! 頑張りますっ!!」
 ささやかな出会いが少しだけ、ほんの少しだけ、何かを変えていった。色褪せていた世界が、少しだけ色付き始める。そしていつかまた――――世界は、色彩に満ちていく。
 彼女達の物語は、此処から新たな一歩を迎えるのであった。


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