第5話 決着


 あれから数日。
 試験期間という非日常を越え、生徒達は馴染みのある日常を取り戻した毎日を送っている。彼らと同様に平凡な日々を過ごしつつも、叶架の心中は穏やかでは無かった。
 試験には、出来る限りの力を尽くして臨んだつもりだ。努力の甲斐もあって、手応えも確かに在った。しかし胸の内に広がるのは絶大なる勝利の確信では無く、拠り所の無い不安。努力さえも軽々と超えられる事への恐怖。それは日を追う毎に強くなり、叶架を苛む。
 負の感情は、広がり易いものだ。ほんの些細な心配は、様々な憶測を結び付けて巨大化していく。手を打てるうりに制御しようとしない限り、それは膨らみ続け、いつしか律する事さえも出来なくなってしまう。
 既に、渦巻く感情は自身でどうにも出来ない所まで来ていた。その事に、叶架は気付かない。
 ふと廊下に大きなざわめきが広がって、叶架は思わず身を震わせる。
 ――――結果が、貼り出されたのだ。
 そう気付いた瞬間、心臓が跳ねあがった。拳に握った掌に、知らず力が籠もる。
 クラスメイト達がこぞって廊下に飛び出していく中、叶架は動けないでいた。

*

 廊下から悲鳴にも似た複数の声が上がり、鈴紅は僅かに視線を動かす。何事かと思ったが、直ぐに理由を察した。そうすれば、悲喜こもごもの喧騒も気にはならない。
 気にも留めずに手元の本に視線を再び落とすと、美鈴が呆れた様に息を吐き出した。
「……もう。随分と余裕なのね」
 聞き様によっては嫌味にも取れる台詞だが、彼女が口にするとそんな意味合いは全て剥ぎ取られてしまうから不思議だ。鈴紅は答える。
「今確認しようが後で確認しようが、結果は変わらない」
「それはそうだけど! でも、今回は鈴紅だけの問題じゃないのよ?」
 そう言うなり、美鈴は紙に書かれた文字列を視界から追い出す様に本を閉じた。そうして鈴紅の腕を取り、強引に立たせる。彼女の性格を考えれば驚きもしない行動だが、それを失念していた鈴紅にとってはどれも唐突の出来事だ。動揺のあまり為す術も無く、そのまま廊下へと引き摺られるのだった。


 廊下に掲示される結果は科の区別無く、きっかり上位百名まで。
 美鈴は其処に滑り込む程度の位置に、鈴紅はそれよりも上に名を連ねているのが常だ。叶架の状況は知らないが、彼女の口振りから推測しても、恐らく掲示されてはいるだろう。
「あ、あたし百ピッタリ」
 美鈴が声を上げる。下から探した方が早い、と宣言した直後の事だ。
 美鈴自身で滑り込む程度と称しているものの、一番下に名前があるとは珍しい。口に出さずとも、その思いは彼女に伝わってしまったらしい。苦笑にも似た表情で、美鈴は頭を掻いた。
「今回はふたりの結果が気になっちゃってさ。ちょーっと疎かになっちゃったかなぁ。あ、でも鈴紅の所為とかじゃないからね? 自分のコントロールが出来なかったあたしの責任。次は挽回出来る様に頑張るよ」
 そう言い切る美鈴は、鈴紅の名前を探す事に躍起になっている。
 今は結果を把握せねばと視線を上げた鈴紅のすぐ横で、再び声が上がった。
「…………あ。見付けちゃった」
 どちらの、と訊くよりも早く、美鈴は言う。
「沢さんの名前、あったよ。途中までに、鈴紅の名前は無かった」
 美鈴の証言を頼りに、更に上まで視線を昇らせ――――そして、橘鈴紅の名を見付け出す。
「どうやら今回も、鈴紅の勝ちだったみたいね」
 呟いた美鈴の声は誇らしげでありながらも、何処か残念そうな響きを持っていた。


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