第6話 意外な真実


「仕方ありませんわ。負けは負けですもの、それは潔く認めます」
 鈴紅のもとを訪れた叶架は、静かにそう告げた。
 紛れも無い、敗北宣言。それが叶架の口から当たり前の様に自然と零れ出て来た事に、美鈴は思わず呆然とした。自らの座席に座る鈴紅も表情にこそ明確に出ないものの、おそらく同じ思いを抱いたのだろう。言葉も無く、ただ彼女を見上げているばかりだ。
 あれだけ大袈裟に勝負宣言をした彼女の気性を考えれば、この結果に不服の意を唱えて再度噛み付いて来てもおかしくは無い。次こそはと息まいて、再度挑戦を申し込んで来る事を想定していたくらいだ。
 付き合いこそ薄いが、何度か彼女の言動を目の当たりにして来た身としては、そのプライドの高さは容易に推察出来る。それだけに、彼女の落ち着き様は意外な物だった。
 今回の勝負に際して、彼女なりに出来る限りを尽くしたのだろう。そうして導かれた結果を、叶架はしっかりと受け止めている。だからこそ今、彼女は清々しささえ窺わせるのだろう――――そう、美鈴は思う。
 しかし彼女の瞳に宿る静かな闘志は、この結論を最後にする事を良しとしていない。まだ自らが勝利を掴むチャンスを、狙っていた。
 不屈なる精神。鈴紅に向けられるその思いは、一体何処から湧き上がって来るのだろう?
「ねえ、ひとつ訊いてもいいかな。沢さん、どうしてそんなに鈴紅を気に掛けるの?」
「……い、いきなり何ですの?」
 突然振られた問いに、叶架が動揺を見せる。その一挙手一投足に隠された感情さえも見逃さまいと、美鈴は真っ直ぐに叶架を見据えた。思えば、その疑問はいつからか湧いていたのだ。どうして学科も違う鈴紅をライバルと定めているのか。第三者の視点から見ても、不思議である。
 戸惑う様に視線を彷徨わせていた叶架は暫しそうしていた後、観念した様子で口を開いた。
「簡単に言えば、橘鈴紅よりわたくしの方が優れていると思いたかったのです。受けている授業のレベルもわたくしの方が高い筈なのに、それなのに、どうしても勝てない。きっと、それがただ純粋に悔しかったのですわ。一族の誇りを自ら貶めている様で、悔しかったのです」
 全てを費やしたつもりだった。本当の実力を出した筈だった。そうして最善を尽くして挑んでも、勝てなかった。それを頭が認識した時、不思議と悔しさは生まれなかったのだと、叶架は呟いた。
 知らず奥に秘め込んでいた、本当の心。それを静かに語る叶架の口調は、ひどく穏やかだ。
「わたくしも、ひとつ訊きたい事がありますの。……橘鈴紅、貴方に」
「私に?」
 急激に話の矛先を向けられて、鈴紅が目を瞬かせた。叶架は頷いて、問う。
「貴方に実力がある事を、本当の意味でわたくしは認識しましたわ。その上で、理解出来ない事がありますの。それだけの実力を持っているのなら、今の学科は役不足ではありませんこと? 特殊魔術科に所属していてもおかしくない実力を持ちながら、どうして普通魔術科などに安住しているのか……それがわたくしには理解出来ませんのよ」
「そう言えば、そうね。どうして特殊魔術科に入らなかったの?」
 叶架の問い掛けに、美鈴も便乗した。確かに鈴紅の実力ならば、特殊魔術科のカリキュラムでも充分に追い付いてゆけるだろう。なのに基礎レベル中心止まりの普通魔術科に在籍しているという事実は、考えてみれば謎だ。どういう理由があるのか、問いたくなるのも分かる。
 美鈴は叶架と同じ様に、鈴紅の返答を待った。
「知らなかった。ただそれだけなんだ」
「…………え?」
 ぽつりと落とされた答えに、ふたりは揃って目を丸くする。叶架に至っては、何かを言いたそうに口をぱくぱくと動かしている。流石の彼女も、予想外の返答に何も言葉が出ない様だ。
 ふたりの真っ直ぐな視線を浴びて、鈴紅は困った様に俯く。
「知らなかった、って……他の学科がある事を?」
 補足する様に美鈴が問うと、鈴紅はこくん、と頷く。
「…………な」
 わなわなと震える叶架が、次の瞬間喚いた。
「なんですの、それはッ! 知らなかっただなんて!! 知らなかった……なんて……」
 他の生徒達が驚きの視線を向けたが、そんな事などお構いなしに叶架は崩れ落ちる。まさかそんな簡素な理由であるなど、誰が予想出来ただろう。だが、それが鈴紅ならば納得してしまうのも事実だ。
「何て言うか、鈴紅らしいかも」
 思わず、笑みが零れた。叶架は座り込んだまま、信じられないと愚痴を零すばかりだ。
 難しい事なんて、ひとつも無かった。到って簡単な、些細な理由。それに、叶架は振り回されていたという事になる。この事実を知っていれば、思い詰める様な事など最初から無かったのかも知れない。
 鈴紅は戸惑う様に視線を落したまま、事の成り行きを見守っている。
 叶架がよろよろと立ち上がり、鈴紅の机に手を突いた。ふぅ、と一息吐いてから、しっかりと鈴紅の目を見据えて宣言する。その声音は、いつもの彼女に戻りつつあった。
「……まぁ理由が何であれ、貴方に実力がある事を認めました。そして、わたくしの目標であった事もまた事実と認めます。ですから、いつか必ず、貴方に追い付いてみせますわ。今のわたくしでは無理ですけれど、いつかきっと、貴方を超えてみせます。覚悟なさい。橘鈴紅!」
 再びの、けれど意味合いの少し変わった宣戦布告に、鈴紅は応える。
「それは楽しみだ。だが、私も負けるつもりは無い」
「ええ勿論! 望む所ですわ!!」
 こうして芽生えた新しい好敵手関係に、美鈴は小さく微笑んだ。


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