第5話 事故


 時計に目を遣ると、時刻は黄昏へと向かいつつあった。
 橙色に染まり始めた廊下を、バートは足早に歩いていた。リィアの所へ顔を出した為、約束の時間は間近に迫っている。幾ら相手が部下とて、待たせる事は出来なかった。
 組織のトップに立つ者は、自分の権力を誇示したがる者が多くなりがちである。だが、バートは違った。自分が魔石保護監視団という組織のトップに立っているからと言って、相手の地位がどんなに低いからと言って、態度を変える様な真似はしない。そもそも、地位は単なる役職の別に過ぎない。もともとは同じ人間なのだ、何を変える必要があるのだろう。そういう認識なのだ。
 実際、魔石保護監視団にも階級の様なものはある。だがそれは全て形式的なもので、縦割り式の上下関係など、ほぼ無きに等しいと言って良い。それがこの組織における最大の特徴と言える。
 団員は全て仲間。その意識の下に皆が動く。それ故に、今まで内部の争いなど起こらなかった。だからこそ、国からも魔石に関する事柄を全て任せられる程の大組織へと成長したのかも知れない。
「――――団長!」
 バートの姿に気付いたらしい青年が、声を上げた。バートは彼に歩み寄り、小さく頭を下げる。
「すまない、待たせてしまった様だな」
「構いません。団長がお忙しいのは、充分承知しています」
 穏やかに、彼は答えた。魔石保護監視団属の科学者という肩書きを持つ彼は、魔石の調査に当たり、科学的にその調査を行なうのが仕事だ。その彼と、バートは約束を取り付けていた。
「さ、お入り下さい。相変わらず、綺麗とは言えない部屋ではありますが」
 彼の言葉に苦笑して、バートはそれに従った。
 狭い研究室には大量の書籍があちこちに散乱し、特殊な機械が所狭しと置かれている。ふたりの他に人は無く、室中は靴音ばかりがやけに大きく響いていた。
「……確かに、相変わらず忙しい様だな」
 部屋の様子に視線を巡らせ、バートは呟く。
「研究を続けて五年が経ちました。しかし魔石の謎は多く、未だ全てを解き明かせぬままです。あまりの発展の無さに、私も時々仕事を投げ出したくなる事もありますよ」
 冗談めかして言う彼に、バートは笑う。
「確かに、そうだろう。だが、焦る事は無いさ。これ以上有力者を増やさぬよう注意は払っている。早く全てを明らかに出来れば、それに越したことは無い。仮に悪影響を及ぼす物であった場合、被害を受ける前に手を打つ事も可能と言う事だからな。だが、それが全てでは無いだろう?」
「ええ。ただ、私は魔石が悪作用を及ぼす物とは思えないのです」
「では、あれは何だと?」
「全て私の推測でしかありませんが、あれは神が我々に与えた、平和への足掛かりでは、と」
「神か……」
 バートは小さく笑った。
「科学者が神を信ずるとはな。珍しい」
「いけませんか?」
「いや。信仰は自由だ、他人が口出しするものでは無いさ。ただ、苦労が多いのではないか? 宗教と科学は一般的に言えば相反する存在だろう」
「ええ、まぁ。でもそれは、私自身が選んだ道ですから。後悔はしていませんし、負い目を感じた事もありません。多少の矛盾が起き得る事も承知の上です」
「そうか。ならば信じた道を進むと良い」
 意志を持った彼の言葉に、バートは強く頷いた。
 こういった若者が自分の部下として存在してくれていて、良かったと思う。彼は有能だ。利発で知識もあり、そして何より自身の事を良く分かっている。何よりも、それが重要なのだ。
「ところでルイ、話とは?」
 バートは、話題の修正を図った。彼との約束は、話があると言われて取り付けたのだ。ルイと呼ばれた青年は、そこで初めて思い出した様に周囲を見渡した。
「そうでした。ええと、此方です」
 目的の話の種の在処を思い出し、ルイは案内する。その案内の通りに、バートは足許に散らばる書類を避けながら、部屋の奥にあるデスクへと移動した。
「現在開発中の魔石保護シールド発生装置です」
 本が散乱するデスク上から小さな筒状の機械を手に取り、ルイは言う。
「現在我が団が行っている防衛策は、魔石の周囲、半径一.五メートル地点で鎖による封鎖を行い、複数名の見張りを置く、という物です。ですがそれだけでは心許無い、というのが現状と判断して此方の開発に乗り出しました」
 片手にすっぽりと収まる程のその機械は淡いシルバーで、二、三個のボタンのみが取り付けられているごくシンプルなデザインのものだった。
「これを一定の間隔で魔石の周囲に並べ、システムを起動させるとそれぞれが連動し、特殊なシールドを発生するという仕組みになっています」
「その耐久力は?」
「現在試験作動の段階ではありますが、それでも仮にこの施設が崩壊する程の付加を与えても耐えうるだけの耐久力を持ち合わせています。今後改良を加えれば、それ以上の物にはなるかと」
 魔石保護監視団はその扱う対象が特殊であるが故に、団の建物や設備にも最新の技術を応用して造られている。それが崩壊するという事は、想像も出来ない程の付加が掛かるという事だ。そしてそれにすら耐えうるとは、かなりの耐久力を誇るという事である。
「これを使用すれば人員を配置する必要も無く、内臓カメラにより、遠隔操作で周囲の状況も把握する事が出来ます。何か異常を察知すると、至急連絡が入る様にもなっています」
「なるほど……それは便利だな」
 バートは感心した。知らぬ所で、此処までの理想が形になっていたとは。想像もしていなかった。
「これが完成すれば団に有意義な結果を齎す筈です。それに……」
 それまですらすらと説明を形にしていたルイが、言葉を切った。
「今回の様なケースが今後再び起こるとも限りませんから。もう少し、早い段階で開発に乗り出していたら……そう、思わざるを得ません」
 リィアの事を言っているのだろう。だが今回の件は、彼らに非がある訳では無い。ある筈が無い。
「君が責任を感じる必要など、何処にも無い。魔石という物に関わっている以上、いつかは起きえた事だ。それが今だった、ただそれだけだ。私も、覚悟はしていたさ」
「団長……」
 覚悟を決める様に、ルイは意志の光を瞳に宿す。
「少々の時間を頂ければ、完成まで辿り着ける筈です。いえ、完成させます。絶対に」
 その言葉に、バートは大きく頷いてみせる。
「分かった。後は全て、君に任せる事にしよう。頼んだぞ」
「ありがとうございます。確かに、承りました」
 ルイが機械をデスク上に戻そうとしたその時、けたたましい程の電子音が鳴り響いた。
「――――何だ!?」
 バートは説明を求める様に、ルイに視線を寄せた。その声さえも、音に掻き消されて聞き取り難い。ルイは手にしたままの機械についたボタンを慌てた様子で押した。再びの静寂が戻る。
「どうやら、異変を察知したようです」
 簡潔に状況を述べ、ルイは今度こそ機械を置いた。
「その異変というのは、どんなものか分からないのか?」
「えぇ。残念ですが、現段階では異常の分析までは不可能です」
「ならば仕方ない」
 残念そうに呟いて、バートは部屋の入り口へと視線を向けた。
「ひとまず、団内で何か起きていないか早急に調べるとしよう」
「そうですね」
 同意の声を聞いて、バートはドアへと向かう。突如、背後から悲鳴にも似た声が上がった。
「――――団長!」
 声に振り向くと、燃え盛る炎が視界に入った。あまり明るいとは言えなかった部屋が、灼熱の炎の力で煌々と照らされている。バートは叫んだ。
「火事だと!? 先刻までは何の気配も無かった筈だ!!」
「団長、今は逃げましょう。此処は危険です、早く!」
 炎は散らばった科学書を媒介にして燃え移り、着々と勢力を広げていく。部屋は多くの機械で占められている。炎とその熱でショートを起こし、爆発に至らないとも限らないのだ。
 疑問を抱きつつも出口へ向かうふたりを阻むかの様に、炎の勢いは増していく。大して遠くは無い筈の扉が、何故か手の届かぬ程に遠く感じた。
 炎は次々と周囲の物を呑み込んでいく。熱と煙の所為だろう、意識が薄れ始めてきた。
「団長っ!!」
 自分を呼ぶルイの声が、何度も聞こえる。だがそれも擦れ、次第に耳まで届かなくなってきた。
 ドアまであと一歩。
 がくり、と膝から床に崩れ落ちた。身体に力が入らない。
「…………リィア…………」
 真っ白になってゆく頭の中で、バートは最愛なる娘の名を呟いていた。


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