第7話 突然の訃報


 魔石保護監視団設立以来前代未聞の事件が、広々とした団内に、少しずつ広まり始めていた。何処からか漏れ出した情報には幾許かの虚偽が含まれてはいたものの、それでも確実に、僅かな時間でそれは伝わっていた。
 魔石保護監視団長、バート・ヴァレンフィールドの死。
 それは強い衝撃と大きな悲しみを伴って、多くの人物に届いていた。
 団員のひとり、シルヴィア・ロビィは、その知らせを速やかに団員達へと通達する役目を負っている。それは彼女にとって苦しい仕事であったが、責任を放棄する事は出来なかった。特に今は。
「それって、本当なんですか?」
「ええ。メアリ医師からの情報ですから、間違いは無いと思いますわ」
 沈痛な面持ちで、シルヴィアは答えた。彼女自身、この事実を聞いた時は目の前が真っ暗になったものだ。絶望にも似た、深い悲しみから彼女が生来の空気を取り戻したのは、自身よりも深い絶望を抱く少女の存在に気付いたからである。
 突如届いた訃報に何の感情も抱かない者は居なかった。ひとりとして例外は無く。それは決して悪い事では無い。ただ、どれだけの時間を使って、今までの心を取り戻すのかが人によって違うだけ。
「何があって、そんな……」
 回り切らない思考回路で呟くハクロに対し、紅瑛は傍から見れば通常と変わらない様子で問う。
「あの爆発が原因なのか?」
 シルヴィアは頷く。
「ええ、恐らくは。まだ詳しい事は調査中らしいのですが、可能性が高い事は確かですわね」
 施設そのものを大きく揺るがす程の爆発。それは過去に経験が無く、誰もが戸惑いを覚えていた。町でも恐らく、大きな騒ぎが起きているかも知れない。
 団の施設は、町を見下ろす小高い丘の上に建てられている。この影響が町そのものに被害を及ぼしたとは考えにくいが、その立地条件故に、多くの人物が目撃している可能性は高かった。
 事後処理と原因の調査、心のアフターケアに至るまで、やらねばならない事は山積みだ。これからが一番大変な時になるのだろう。いつまでも悲しみに暮れている暇など、無いのかも知れない。
 けれど人の心は、そう簡単に切り換えられる程単純な物では無い。辛い事を無かったかの様に忘れる事も、全て過去の事だと割り切る事も、難しいのだ。この事件を忘れる事はそう易々と出来る筈も無く、人々の心を破るには大き過ぎた。
「リィアさんには、伝えたんですか?」
「……いいえ。後でメアリ医師が代表してお話しするそうですわ。明日にでも、と仰っていました」
「そう、ですか」
 ただそれだけを呟いて、ハクロは黙り込む。
 皆、思う事は同じだ。自分はまだ良い。素晴らしい統率者を失った事は、時期が経てば次第に記憶の底へと封じ込まれていくだろう。誰かを後任として団長に据え、慌しく過ごす事になれば、きっと。
 しかし彼女はどうだろう。彼女にとってバートは、団長などという役職など関係ない存在だ。たったひとりの肉親、たったひとりの父親。それを失った悲しみは、誰よりも深いだろう。
 母を亡くした寂しさを、父が補ってくれていた。母の分の優しさを、たったひとりで与えてくれた。その父までもなくした今、リィアは独りだ。その辛さを、分かり合うには差がありすぎる。どんな言葉も、慰めにはならないのかも知れない。
「……わたくし達には、わたくし達にしか出来ない事をするべきなのですわ」
 シルヴィアはそう呟いた後、僅かに苦笑した。
「尤も、それこそが一番難しいのが現状ですけれど」
 確かにその通りなのだ。やるべき事の多さに反比例するかの如く、気力ばかりが削られていく。
 先行きが、異様に長く感じられた。

*

 耳を澄ませど、何も聞こえて来ない静寂の夜。施設を繋ぐ橋――――渡り廊下と呼ばれるその道を歩く自分の足音だけが、高く響いていた。残りの仕事を片付ける筈であったが、今日は手が付きそうにも無い。シルヴィアは諦めて、足を止めた。
 いつもの活気は何処にも見えず、人は皆静まり返っている。その悲しみを孕むかの様に空は闇に満ち、その色で周囲を包み込んでいた。すっかり日の落ちた夜の空気はひやりと冷たく、動揺の消えない心に深く染み入って来る。
 美しい銀色の髪が、夜風に舞ってふわりと流れた。煌々と輝く月だけが、慈愛の光を送っている。傷つき疲れた、人々の心を癒すかの様に。
「……ヴィア」
 不意に名前を呼ばれて、シルヴィアは振り返った。そう愛称で呼ぶのは、団内でもたったひとりしか居ない。物心付く前から一緒に居る、幼馴染みだけ。
「ビアンカ」
 彼女の名を、呼ぶ。
 ビアンカは軽く目を細め、小さく笑った。明るい金の髪が、月光を受けて輝いて見える。何処か憂いは見受けられるものの、普段と変わらぬ彼女の様子が、シルヴィアの目には羨ましく映った。
 ――――彼女は、強い。
 そんなシルヴィアの心境を知る由も無い彼女は橋の縁に身体を預け、外界の景色を悠々と見遣る。そして、いつもと変わらぬ口調で呟いた。
「やっぱり皆、驚いてるわね。まぁ、それは当たり前の事なんだろうけど」
「当然の反応ですわ。皆さん、あの方の事を本当に慕っていましたもの」
「ん、そうね。あんたも、顔色悪いわよ? 今日はゆっくり休みなさいな」
「ええ……そうする事に致しますわ」
 そう頷く事しか出来ない。今は何をやっても、上手くいかないだろう。
「難しいけど、誰かが先頭切って進んでいかなきゃならないのよね」
 呟く様に言って、ビアンカはふと表情を歪めた。
「……ねぇ、ヴィア。あたしを非情だと思う? 父の様に慕った人の死を前にしても、悲しむ素振りを見せないあたしを、血も涙も無い人間だと思う?」
「いいえ」
 迷わず、否定した。
「貴方がどれだけあの方を慕っていたか、充分認識しています。ですから、心の奥底でとても傷付いている事も分かっているつもりですわ。ただそれを表に出そうとしていないだけ。それは強さでもあり、弱さでもあるんでしょうけど」
「何でもお見通しねぇ」
「貴方と過ごして来た時間の長さは、伊達ではありませんもの」
 和やかな空気が流れる。ほんの少しだけれど、心が軽くなる様な優しい時間。此処で彼女に会う事が出来たのは、幸運だったのかも知れない。
「貴方は強い……誰よりも強くて、そして誰よりも弱い。だから、無理だけはしないで」
「ん、ありがと」
「いつかは全て乗り越えて、笑わなくてはならない。人それぞれ時期は違うけれど、貴方はきっと早く訪れる筈ですわ。その強さがあれば、きっと」
「買い被り過ぎじゃないかしら」
「そんな事、ありませんわよ」
 小さく笑って、夜空を見上げた。漆黒の空に、小さく輝く星を見つける。
「こんな時でも、いいえ、こんな時だからこそ笑うべきなんですわ。笑う事が悪い訳ではなく、その人を忘れずに居る事の方が何倍も大切な事ですから」
「…………それ、リィアに言ってあげなさいよ」
「そうですわね。もう少し経って、彼女も落ち着いたら、その時はきっと」
 少しずつ、本当に少しずつ、心が真実を認めていく。まだ時間はかかるけれど、いつか皆が再び笑える日々は、思った程遠くないのかも知れない。


BACKTOPNEXT