第8話 どうして


「……今、何て?」
 目の前が真っ暗になった。思考が鈍る。突然に訪れた衝撃は、一瞬にして全身を駆け巡った。メアリは表情を歪めたまま、けれどリィアから視線を逸らさない。これが真実なのだと、言い聞かせる様に。
「団長が、お亡くなりになったの」
「そんな、まさか」
 震える声で、そう呟くのがやっとだった。身体中の力が抜けて、思い通りにならない。上体だけ起こした身体が、力を失って揺らぐ。頭の中が、まるで殴られたかの様にガンガンと響く。どう振る舞っていいのか分からずに、ただ視線ばかりが点々と宙を彷徨う。
 聞き間違いなどでは無い。そんな嘘を吐く理由だって無い。けれど、一体どうして。
 何故、そんな事に――――?
「昨日……貴方が眠っている間の事だったのよ。事故が起きて、団長はそれに巻き込まれて」
 それ以上を口にするのを躊躇う様に、メアリは言葉を濁した。
 事故、だなんて。
 つい先刻まではすぐそこに居たのに。温かな手で、優しく触れてくれていたのに。それがこんなにも簡単に、失われてしまうなんて。
 あの時――――不意に呼び止めたあの時、何故かあのまま消えてしまいそうな不安に襲われた。自身でも知らぬ間に、この事を予感していたのかも知れないけれど。
 あのまま、引き止めておけば良かった。何が何でも、引き止めていれば。
 我侭だと言われても、物分かりの悪い娘だと叱られても、それでも傍に留める事ができたならば、こんな事にはならなくて済んだのかも知れない。今となっては、そればかりが悔やまれる。
 今更どうしようも無い事だって、分かっている。それでも、心がそれを認めようとしない。
「リィア……」
 メアリが何か言おうと口を開きかけたが、何の言葉も出てこない様だった。
「……ごめんなさい、今はひとりにさせて……」
 何とかそれだけを絞り出す。メアリは小さく頷いた。ベッド周りのカーテンを閉じ、そのまま医務室を去る。ただひとり残された部屋の中、リィアは未だ呆然と虚空を見つめていた。
 身体の力はもう全て抜けてしまって、起こしていた上体が布団に沈む。瞳からは大粒の涙が零れ落ち、頬に跡を残していく。それを隠す様に、震える両手で顔を覆った。
 何も無くなってしまった。
 心の支えも、拠り所も、全て。
 在るのは、ただの空虚のみ。
 ひとり取り残された、孤独のみ。
 どうすればいいのか、分からなくなっていた。

*

「……情けないわね。こんな時に上手い言葉ひとつ掛けてあげられないなんて」
 閉じた扉の向こうのリィアを思い、メアリはひとり呟く。
 人を労わる余裕さえも失っている自分を、悔しく思った。それだけ自身にも衝撃があったという事だろうか。それは確かに、否定出来ない。
 彼は支えで、目標で、憧れだった。戸惑っていた自分を救ってくれた、大切な人。自身の全てを愛する事を、教えてくれた人。メアリにとってさえも、それはまるで父親の様な――――そんな、大きな存在の人だった。それが、こんなにも呆気無く消えてしまうなんて。
「団長、貴方はどうして皆を置いていってしまったの……?」
 ぽつりと漏らした呟きは、誰も耳にも届かずに空気に溶けた。

*

 静寂の夜が過ぎた朝も、未だ団内の活気は薄らいでいる。それでも多くの人間が自分なりの心の整理を付け、幾分か動揺は少なくなって来ている様子だ。
 シルヴィアは、現在までの調査内容が纏められた資料に目を通していた。
 昨晩は早めに就寝したものの、あまり良く眠れなかった。その為、今日は太陽の昇り切らぬうちから起き出して、こうして資料整理を始めている。少しでも早く落ち着きたかったから。
 未だに、事故の詳しい原因が分かっていない。それが悩みの種だ。
 事件発覚から直ぐに、団内の調査員達が原因解明に勤しんでいるのだが、一番の原因とされるものが何であるのか、突き止められずに居る。
 当事者であり、唯一の目撃者であるルイの証言によれば、研究室の内部から突如として火の手が上がったという。しかし、その火災の原因が無い。爆発は、炎の熱による機械のショートであると断定されたのだが。現場には炎が発生する様な条件は無かった、とルイは断言している。何も無い所から突然、発火したとでも言うのだろうか。
 調査は続いているが、どうにも目立った発見は見込めそうに無かった。どうにも、謎が多すぎる。
「一体、どういう事なのかしら」
 先刻から、その言葉ばかり口にしている。資料から目を逸らし、小さく息を吐いた。
「…………あら」
 不意に聞こえた驚く様な声に、シルヴィアは戸口に視線を向ける。
「もう仕事してるの? 随分早いじゃない」
 欠伸を噛み殺しながら、ビアンカが呟いた。シルヴィアは、ただ苦笑を浮かべる事しか出来ない。
「昨日の夜はちゃんと寝たの? やっぱり顔色が良くないみたいだけど」
「勿論、ちゃんと床にはついたのですけれど、矢張り早くから目が覚めてしまいましたわ。中々眠る事も出来なくて……予想はしていましたけど」
「んでもう仕事って訳なの? あんまり無理すると倒れるわよ」
「そういう貴方だって、いつもより早起きじゃありませんこと?」
「……まぁね」
 答えて、ビアンカは不意に表情を曇らせた。その表情の変化に気付いたシルヴィアは、首を傾げつつも彼女の次の言葉を待つ。
「メアリが、話したそうよ。今回の件」
 言葉が出なかった。ただ、その意味を理解しただけで、反応の仕様が無かった。止める訳にもいかない事であるし、進んで言うべきだとも言えない。ただ、状況を受け止めるだけ。
「大丈夫、なのかしら」
 ぽつりと呟いた言葉は、自身が思っているよりもひどく小さな声だった。それでもビアンカの耳には届いていたらしく、彼女は小さく肩を竦めた。
「少なくとも、まだ素直に納得は出来ないでしょうね。どれくらいの時間が掛かるのかは推測すら出来ないけれど……大丈夫よ、きっと」
「そう、ですわね」
「今日はあたしも手伝うから、面倒な事はさっさと終わらせちゃいましょ」
 暗い話を打ち切る様な清々しさで、彼女は言う。
「今日は、ってビアンカ、貴方の本来の仕事はこれでしょう?」
「それを言われると流石に困るわね。ま、誰にでも得手不得手はあるって事で」
「…………もう」
 呆れながら一息吐いて、シルヴィアは資料の確認を進めていく。ビアンカも少々面倒そうでありながらもそれに倣った。
 ――――長い一日は、まだ始まったばかり。


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