第14話 焔を纏う女


 赤く染まった景色の中に、女は居た。虚ろな目をして、覚束無い足取りで歩みを進めている。彼女が一歩足を踏み出せば、その後を追う様に新たな火種が生まれていた。
 その様子を呆然と眺めていたハクロが、疑惑の残る顔で呟く。
「発火、能力者……?」
「目的の女性は発火能力者である可能性、高いんでしょう? だったら間違い無いんじゃないかな」
「でも、何か違和感があるんです」
「けれど確かに、あの方は目撃情報にあった特徴と一致致しますわ」
 手元の資料に視線を落としたシルヴィアが言う。静かな断定に、ビアンカが息巻いた。
「それなら話が早いじゃない。さっさと保護、しちゃいましょうよ!」
「でも、どうやって」
「それについては、僕に任せて頂けませんか」
 不意に割って入った涼しい声に、その場に居た全員が声の主を振り向いた。その視線の先には、黒髪の少年がひとり。冷静を絵に描いた様な落ち着いた素振りで、彼は言葉を続ける。
「僕が、彼女を保護します」
「レノ! 待ってたのよ、丁度良いタイミングね!!」
 目を輝かせたリィアが歓迎する。レノは僅かに微笑んで、頷いてみせた。
「噂をすれば、って所かしらねえ。ホント、良いタイミングだこと」
「彼女が発火能力者と仮定した上で接触を試みる場合、僕が一番適任かと。故に、リィアさんも僕を呼んだんでしょう。それとも、貴方が彼女をこの場に転移させてくれるんですか? 貴方にお任せしてしまうのであれば手っ取り早く済みますが……炎に関しての対策が取れていない上、些か一方的な対処法になりますね。対人の手段としては、あまり好ましいとは言えない物であると判断しますが」
「……相変わらず嫌味な奴よねえ、あんた」
「僕は真実を述べているだけですよ」
 ビアンカとの間に、不穏な空気が流れる。深く物を考える事を好かないビアンカと理知的な言動を常とするレノの相性は、あまり良いとは言えなかった。 レノに敵意は無く、ビアンカも本気で彼を嫌っているつもりも無いのだが、顔を合わせれば不毛な争いが生みだされるのは毎度の事だ。
「と、とにかく! 此処はレノにお願いしましょう?」
 慌ててリィアは提案し、それは無言の肯定として受け入れられた。
「それでは、行って来ます。それからシルヴィアさん、もしもの時は援護をお願いします」
「承知致しましたわ。お気を付けて」
 周囲からの期待の言葉を背に、レノは炎の中へと進んでいった。

*

 街を包み込む炎は、ひどい熱気を孕んでいた。それは全てを灰塵と化す、巨大な力だ。
 明瞭とした思考を歪ませるその熱波を遮る様に、レノは意識を集中させた手を払った。風を切る様な手の動きに追随する様に、細やかな煌めきが空中へ飛散する。その輝きに触れた辺りの炎が、揺らめいて身を細くした。冷気で対応出来る事は、間違い無い様だ。
 その煌めきの正体は、氷の粒である。魔石の力によってレノが有力者として手に入れたのは、氷を生み出す能力だった。熱気を纏う炎と対峙するには、冷気を纏う氷。それが、この状況下においてレノを適任者として定めた理由だ。保護対象の女性に近付く事が必須ならば、最も対応が取れるのは彼であると言える。防御や結界の能力を持つシルヴィアもある意味では相応しいと言えるかも知れないが、そこは本人達の性格もあるのだろう。
 レノは防御する様に、細やかな氷の粒を全身に纏った。この能力故に、何度か消火活動を手伝って来た経験がある。多少の炎ならば有効な手段であるが、しかし長期に渡れば流石に維持する事が難しくなる可能性が高い。街全体を覆う炎が相手ならば、早期決着が肝心だろう。
 意を決して、レノは女の背に近付いた。柔らかな声に、少しの焦りを乗せて問う。
「逃げないんですか?」
 ゆっくりと歩を進めていた女の足が、止まった。緩慢な動作で、此方を振り向く。漆黒色の瞳に、生者の輝きは感じられない。ただ底知れぬ闇を抱いている様で、不気味ですらあった。焦点の合っていない様な視線は、けれど確かにレノの姿を認めたらしい。女は口の端に笑みを浮かべた。
「逃げる…………どうして?」
 歌う様に発せられた声音は、彼女に纏う異質な空気とは不釣り合いな程に澄み切っていた。其処に含まれた、邪気の無い疑問と共に。
「どうして、って……見ての通り、町が燃えているんですよ? 危険じゃありませんか」
「危険なんて、あるものですか」
 女は言った。笑みを絶やさぬまま、光の無い双眸をすうっと細める。

「この町が、存在している事の方が――――危険よ」

 そうしてぽつりと落とされたその呟きに、レノは眉を顰めた。


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