第18話 彼女の要求


 小さなテーブルを前にして大人しく座っているマリナ・ロズウェルの表情はひどく穏やかで、その瞳には凛とした精気が宿っていた。調書や伝聞で聴いていた様子とは、明らかに様相が違う。初めて顔を合わせるリィアですら、すぐにそう判断出来た。
 向かい合う形でリィアが席に着くと、マリナは軽く頭を下げる。
「勝手な願いを受け入れて下さり、こうしてお会い頂けたこと、感謝します。貴方が、団長さん?」
 確かな口調で真っ先に礼を告げた彼女は続けざま、確認する様に問う。それも無理ない事だろう。団長を呼べば、自身よりも年若いと思われる少女がやって来たのだから。
 彼女が団長という存在に何を求めているのかは知らないが、その想像を根底から覆しただろう事は間違いない。それに関しては申し訳無い思いすら感じたが、 リィアが現在の団長である事は変え様の無い事実である。ならば自信を持ち、誇るべきだ。リィアは真っ直ぐにマリナを見据え、宣言した。
「はい。私が現在この魔石保護監視団団長を務めております、リィア・ヴァレンフィールドと申します」
「……随分と、お若い団長さんなのね」
 世間話でもする様に、マリナは言う。嫌味こそ無かったものの、それでも胸に小さく棘が刺さる。しかしそれを窺わせないよう表面を取り繕って、リィアは静かに答えた。
「先日急逝した先代の座を、私が継ぎました。頼りなく見えるとは思いますが、どうかご容赦下さい」
 平静な声に隠された自嘲の念に気付いたのか否か、マリナがハッとした。
「御免なさい、そんなつもりは無かったの」
 申し訳無さそうにそう詫びた彼女は、穏やかな面持ちで続ける。
「寧ろ、貴方の様な人が来てくれて良かったと思っているわ」
 それは、意外な返答だった。思わずぽかんとしてしまったリィアに向けて、彼女は微笑む。
「貴方になら、きっと頼める。わたしの唯一の希望を託せる。今、そう確信したわ。だから貴方にお願いしたい事があるの、わたしの頼みを聞いて貰えないかしら?」
「返答は詳細の後でも宜しいならば、お聞きしますが」
「時間は限られていると思うから、簡単に言わせて貰うわね」
 マリナは頷いてから、ゆっくりと口を開いた。
「言葉にすれば簡単な事なのよ。捜して欲しい人が居る、ただそれだけ」
「探し人、ですか? それなら私達じゃなくても……」
「貴方たちじゃなければならないの! そうじゃなきゃいけない、理由があるの」
 リィアの言葉は必死とも言うべき声音に遮られた。言葉に詰まったリィアをよそに、彼女は言う。
「捜して欲しいのは、炎を扱う能力を持った女性よ」
「炎……?」
 町を包んだ炎が、脳裏に蘇る。未だ鮮明に浮かぶ熱と、全てを呑み込んだ鮮やかな赤。
 団内ではマリナがその一件に関与している可能性を見込んでいたが、その捜し人が元凶である可能性も否定出来なくなったという事だ。但し、一瞬で消えた炎の謎は未だ正式に解明出来ていない。それを明らかにしないうちは、断定的な事は何も言えないだろう。
「その炎は間違いなく本物でしたか?」
「ええ。この目で確かに見た事があるもの」
「幻覚の類いや、炎がある様に見えているなどという事は? 町を包んだ炎の様に」
「町の炎? 町が、火事にでもなったの?」
 目を瞬かせて、マリナは言う。その表情にも声音にも、疑問以外の気配は読み取れない。それは、本気で知らない事が窺える問いだった。彼女への疑問点は、益々増えるばかりだ。
「……いえ、私の勘違いだった様です。お気になさらず」
 咄嗟に、それ以上の言及を避けた。今は既に、町は通常の様子を取り戻しつつある。仮に彼女への説明を行ったとして、痕跡の欠片も残らない町の状況では信じる事は不可能だろう。ならば、余計な事は伏せておくべきだとリィアは判断した。
「先程炎の能力者と仰いましたが、その方の名前や容姿などは?」
「名前はシャリー・トルヒア。赤い髪の女。今は……もう、隻眼になったのかしら」
 口調こそ淡々として変わらぬ物であったが、其処に浮かんだ感情の色にリィアは眉を顰める。其処に在るのは、仄暗い感情。隠し切れない負の感情が、少しずつ表に滲み出ている。それは恐らく、第三者が気軽に足を踏み入れてはいけない領域だ。
「……貴方が彼女を捜す目的を、尋ねても構いませんか」
 問う声が、思わず強張った。マリナは笑みを浮かべ、迷う事なく言い切った。
「決まっているでしょう? 復讐よ」
「復讐だなんて、どうしてそんな……」
 意図せず口を突いて出たリィアの言葉は、マリナの心に火を点けるには充分だった。
「あいつは全てを壊した。わたしから何もかも奪っていった。だから復讐するのよ!」
 語気荒く言い放ったマリナは椅子を蹴る様に立ち上がり、対面に座るリィアの腕に手を伸ばした。細身の女性とは思えぬ力で掴まれ、リィアは痛みに顔を歪める。
「わたしが受けた苦しみを、あの女にも味わわせてやるの。絶対に、絶対に……!」
「…………ッ!」
 掴まれた腕に、鋭い痛みが走る。思わず出掛かった呻きを、リィアは意地で呑み込んだ。
 予想外の行動に呆然と見届けるしか出来なかった団員が、我に返ると慌ててマリナを引き剥がそうと動く。ふたり掛かりで両脇からマリナを抱え込み、何とかリィアから離した。先刻までの穏やかさが嘘の様に暴れるマリナの瞳には、今や狂気しか残っていない。
 ――――これが、話に聞いていた本来のマリナの様相だと言うのだろうか。
「これ以上の会話は不能でしょう。この場は、我々にお任せ下さい」
 団員のひとりにそう告げられ、リィアは頷く事しか出来なかった。


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