第22話 故郷への思い


「部屋は此処を使ってね。何か必要な物があったら言って貰えれば、用意するから」
「申し訳ありません。団長さん自ら私の為に案内まで……」
「いいのいいの、大した事なんかじゃないんだから」
 困った様に眉尻を下げる花南の姿に、リィアは首を振った。
「私が団長になったのだってつい先日の事だし、そもそも団長って言ったって形ばかりみたいな物だから。それにね、団内で同年代の女の子って、あまり居なくて。だから花南さんが来てくれて嬉しいの」
「団長さん……」
「リィアで良いよ。近しい人は皆そう呼んでるし」
「では、リィア……さん。あの、本当に有り難うございます。何から何までお世話になって」
「花南さんは大切なお客様なんだもの。丁重にお迎えするのは当たり前だよ」
 リィアは部屋の鍵を手渡し、花南はそれを静かに受け取った。これで、部屋の手配は終了だ。
 もうひとりの客人である昴の部屋の手配はハクロに任せてある。鍵は紅瑛に預けてあるので、最終的な案内は彼がするだろう。今頃ふたりは団内の何処かに出掛けている。ふたりは主従でもあるが、幼馴染の様な間柄でもあるというから、積もる話もあるのだろう。
「あのさ。ひとつ、訊いても良い?」
「な、なんでしょう」
 唐突に切り出したので、花南が動揺を見せた。どう言った物かと迷いながら、リィアは口を開く。
「やっぱり紅瑛の事、連れて帰りたい?」
 遠回しな表現も色々と考えたが、出て来た言葉は素直な心そのものだった。花南は驚きにも似た表情を僅かに見せたが、すぐに小さく頷く。
「……そうですね。私達が此処を尋ねた本来の目的は、それですから。でも紅瑛様のお気持ちも、分からない訳じゃないんです。大きな声では言えませんが、我が国の王室は少々自由が利き難い所がありまして。他国との関わりも薄いのです。そんな閉鎖的な環境が打破される事無く続く事が、紅瑛様にとっては苦痛に感じられたのだと思います」
 何処か言い辛そうではあったが、それでも花南は正直な思いを伝えてくれた。
「ですが紅瑛様がお戻りにならなければ、王室は揺らぎます。ですから、今はこうして此処にお世話になっていても、いつかはお帰りにならなくてはならない時が必ず来る筈です。そしてそれは、私達の役目だとも思っています。この様な事を、リィアさんにお話しするのは気が引けるのですが」
「ううん、気にしないで。私も素性を聞いた時に、いつかはそういう時が来る事を覚悟しなきゃ、って思ってたから。でも、花南さんはそれでも良いの? 紅瑛が戻る事は確かに国の為になるけど……それってまた自由を封じられるって事だよね。それを分かってて戻すのは私達も辛い筈だよ?」
「そうかも知れません。ですが私にとって一番大切なのは、やっぱり祖国の安泰ですから。紅瑛様が戻る事で国が正しく機能するのであれば、私は迷いません。それに、期待していますから」
「期待?」
「はい。先程紅瑛様にお会いした時、私達の記憶にあったお姿と少し違って見えました。きっと、此処にお世話になっていた間に心持ちが変わられたんだと思います。ですから、今後お戻りになられたとしても今までと同じようにはならない筈だと……そう、私は願望を抱いたのです」
「そっか。そうだと良いな」
 毎日顔を合わせていたリィアには気付かなかった変化を、彼女は一瞬で感じ取った。この場に居る事が、団で過ごして来た毎日が、彼にとって意味のある物だったのならば。それは、決して無駄などではなかったのだろう。島を出た事も。そして何より――――此処に辿り着いた事も。
「話、聞けて嬉しかった。ありがとう。これから暫く、宜しくね」
「はい、此方こそ宜しくお願い致します」
 そう改めて挨拶を交わした後。リィアはふと思い出した様に提案する。
「あの、ちょっと思ったんだけど。せめて此処に居る間は、花南さんも王宮の関係者とかじゃなくて、普通の女の子に戻っても良いんじゃないかな、って」
「普通の、女の子……?」
「うん。昴さんも此処では特別に、って口調変えてたでしょ? それと同じでさ。私も何て言えば良いのかよく分からないんだけど、 此処に居る間はふたりとも私達の仲間だから。すぐには難しいかも知れないけど、馴染んでもらえたらなって思って。ただそれだけなんだけど……」
「そうですね。そうかも、知れません。頑張ってみます、私も」
 そう言って浮かべた表情は、年頃の少女らしい、真っ直ぐな笑顔だった。

*

 施設を結ぶ、渡り廊下という名の橋。其処から見える景色は、時間によってその印象を変える。夕暮れ時となった今では、眼下に広がる街並みを紅い陽射しが柔らかく包み込んでいた。丘の上に建つ団の施設の中でも、其処からの見晴らしは一等級と言われている。
 団員達も愛するその景色を眺めて、昴は目を細めた。
「此処は、良い所だな。辿り着いてまだ僅かだが、それはよく分かる」
 零された言葉が孕んだ意味を捉えて、紅瑛は苦笑する。彼の脳内に浮かんだのは恐らく、故郷との比較だ。だが認可された正式な物とは言え、この団は民間組織に過ぎない。それと一国を治める王宮では、普通に考えれば比較の対象にすらならない筈だ。
 しかし、彼がそう呟きたくなる理由を、紅瑛もまた把握していた。
「だからこそ、俺は今此処に居るんだよ」
「なるほど。それも故郷から飛び出したひとつの理由、って訳か」
「まぁな。人目がある以上さっきは本音を避けたが、でもあの理由が間違ってる訳じゃない」
「分かってるさ」
 ふたりだけの空間であったからこその、告白。それを、昴は即座に肯定した。
 ふたりの故郷でもある嘉藩島は、小さな島国だ。独自の伝統と文化を誇りに思い、それらを守り続けてゆく事を何よりも重んじている。その為外来の物に対する目は自ずと厳しくなり、新しい物を取り入れる事を避けがちな傾向にあった。ゆえに大陸の国々からは、時に閉鎖的だと呼ばれる。
 自国の文化を守る事自体は、決して悪い事では無いのだ。しかし嘉藩島王宮の場合は、それが少々顕著すぎる。ふたりは王宮に関わる者として、一般市民よりもそれを強く感じていた。
「俺は従者の身だから、町に行けば少しは気晴らしにもなる。けどお前はそうもいかない。常に王宮に縛られて、他の文化に触れる事も無く生涯を終えるのかと思えば……そりゃ飛び出したくもなるさ」
 心を読んだかの様な、的確さだった。紅瑛は頷く。
「別に、故郷が嫌いな訳じゃない。でも、窮屈に思う事はあった。何かが違うって思った事も沢山あった。そうして飛び出して、此処に辿り着いて……そして知らなかった事を色々と学んだ。何が違ったのかも、少しは自分なりに理解出来た。だから、俺は今此処に居る事を後悔してなんかいない」
 選択は間違っていなかったのだと。そう口にして初めて、紅瑛は自分の思いと正直に向き合った事に気付く。無意識に避け続けて来た、自身の本音と。
「そういう訳だ。迎えに来て貰って悪いが、暫く帰るつもりは無いからな」
「お前がそう決めたんだって言うなら、俺はもう文句は言わないさ。その代わり、俺は俺でこの場所にしがみ付く。今後自分がどうするべきなのか、国がどうあるべきなのかも含めて学ぶ為にな。そして故郷に戻った時には、此処で見たありのままを伝えるつもりだ」
 其処に宿るのは、静かな決意。それを、紅瑛は素直に受け入れた。
「勝手に島を出た俺に、口出し出来る事なんて無いだろ」
「ま、お前に迷惑を掛ける事だけはしないから安心しとけ。何にせよ、暫くの間世話になるぞ」
 ハッキリと言い切って、昴はずいと手を差し出す。再会の喜びと、そしてこれからへの期待を込めて。ふたりは強く握手を交わした。
「あぁ。きっかけは何であれ、久し振りにお前と話が出来るのは嬉しいよ」
「俺もだ。当分の間は周囲の目を気にする事無く、お前に対等な口の効き方が出来るって訳だしな」
 そう言って笑う昴の表情は、いつになく清々しく見える。
 それが日頃の気苦労から解放されたからなのかと思うと、紅瑛は苦笑するしか出来なかった。


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