第1話 地下倉庫にて 薄暗い地下倉庫。保管されている薬品の性質低下を抑制する為、室内灯の光はごく淡い物だ。それ故に、倉庫内はひどく薄暗かった。何かしらの灯りを持参しなければ、辺りを窺う事は出来ても詳細までは把握する事が出来ない。 右手に簡易ランプを持ち、左手に小さなメモを握り締めながら、スゥイティア・ローレルはその倉庫内を歩いていた。彼女は今、師匠に頼まれた薬品の材料を物色している所なのだが、これが一向に進まない。全ての頼りは預かっているメモのみ。しかし、目的の品がなかなか見付からないのだ。それなりの月日を薬師見習いとして学んだ筈の彼女であったが、最後の一品だけは聞き覚えが無いものだった。 何度も探して歩き回ったのだが、どれも見当違いなのか、一向に見付からない。こうなったら仕方が無いと、スゥイティアは片っ端から地道に探していく事にした。棚に陳列された瓶を手に取っては、それに貼られたラベルとメモの名称とを確認していく。手に取っては戻し、手に取っては戻し。その繰り返しだ。 「んー……『ロゼリア・マルゴーの涙』かぁ……。初めて聞くんだけどなぁ」 ぼやきながらも、手は動かし続ける。ここは地道な作業を続けるしかないのだ。 どれだけそうしていただろう、いい加減に飽き始めたスゥイティアの元に、救世主とも言うべき声が降り注いだ。 「一体何をしていますの? スティ」 呆れ混じりの声も気にせず、スゥイティアは天の助けとばかりに飛びついた。 「あ、マルセア! 良かった、助けてー!!」 「な、何ですの!?」 突然飛びついてくるスゥティアに、マルセアが動揺を見せた。服をがっしり掴んで離さないスゥイティアを何とか引き剥がし、彼女は状況の説明を求める。 「どういう事か、まず説明して貰えません? 状況が掴めませんわ」 「ねぇマルセア、『ロゼリア・マルゴーの涙』の涙って知ってる?」 「な……ッ、何ですって!?」 明らかに表情を変えたマルセアだったが、スゥイティアはそれに気付いていないのか気にしていないのか、念を押す様に言う。 「だからぁ、『ロゼリア・マルゴーの涙』だってば! さっきから探してるのに見付からないの。ね、マルセアは何処にあるか知らない?」 「どうしてそんな物を探してますの?」 「お師匠様に頼まれたの。ほら、このメモ。ここに書いてあるでしょ」 証拠とばかりにスゥイティアはメモを差し出す。それを受け取り目を通すマルセアは、変わらず渋い顔だ。 「……間違いありませんわね」 「でしょ? ね、何処にあるか知らない? 『ロゼリア・マルゴーの涙』」 「…………その名前は出さないでちょうだい」 あからさまな嫌悪を隠す事もせず、マルセア声を絞り出す。 そこで初めて、スゥイティアは彼女の様子に違和感を覚えた。マルセアの反応は、さっきから妙におかしい。「ロゼリア・マルゴーの涙」という単語が出る度に、マルセアが過剰反応するのだ。その理由が、スゥイティアには理解出来なかった。 「マルセア、どうかした? 顔色、あんまり良くないよ」 薄暗い部屋の所為かと最初は思ったが、どうやらそうでは無いらしい。彼女の表情の強張り様は、尋常では無い気がするのだ。しかしそれが何なのか、一向に分からない。 「何でもありませんわ。それよりスティ。貴方、それが何だか分かってませんの?」 「えー、知らない。初めて聞いたよ?」 「そんなに自信たっぷりに否定するなんて、本当に貴方って人は……! 薬師の最高峰と謳われたコルテス・ゲルトの一番弟子の言葉とは思えませんわ」 呆れやら怒りやらの混ざった声音で、マルセアはきっぱりと失望の声を漏らす。その声音に、スゥイティアが身を縮ませた。 「うぅ……だってぇー」 深い溜息ひとつ吐いて、マルセアは話題を戻す。 「まぁいいですわ。それにしても、薬師ならば知っていて当たり前の常識ですわよ? 知らずによく今までやってこれましたわね。ある意味、感心しますわ」 思わず発せられた感心の一言に、スゥイティアは急激に笑顔を戻した。褒められる事に関しては異様に敏感かつ、素直なのだ。尤も、これは一種の皮肉なのだが。 「ね、マルセア。それって何なの? ここには無いの? お師匠様が書き間違えたのかな? ねぇ、どこに行けば見つかる?」 「質問はひとつずつに致しなさい!」 マルセアが一喝する。スゥイティアはびくりと肩を震わせ、口を噤んだ。静寂が訪れた室内に、マルセアの小さな溜息が響く。 「全く、貴方って人は……本当に仕方ありませんわね。わたくしが今から教えて差し上げますわ。一度しか言いませんから、良くお聞きなさいな」 「うん!」 スゥイティアは素直に頷いて、マルセアの説明に耳を傾けた。 ロゼリア・マルゴー。 それは、一千年もの昔に生きた女性魔導士の名だ。魔導の扱いに長け、その才能と実力は高い評価を得たと言う。しかしそれは後に撤回され、現在では歴史に記された名立たる悪党として伝説にすらなっている人物だ。 彼女は自身の持つ膨大な魔力を自由かつ好き勝手に扱い、極悪非道とも言えるやり方で悪事を働いた。その被害者達は非力ながらも力を合わせ、彼女に立ち向かったのだと言う。作戦が功を奏したのか運が味方したのか、ロゼリア・マルゴーは捕らえられ、人々の目の前で公に処刑される事となった。 処刑は小高い丘の上。処刑の施行を目前にして、彼女は最期に一筋の涙を流した。その雫は地に落ち、大地に染み、そこからは見る見るうちに未知なる植物が芽を出し、花を咲かせたと言う。美しくも禍々しい、紫色の花を。 その奇妙な所以で生まれた花は彼女の名を与えられ、涙を具現化した様な形の花の種はその名の如く、「ロゼリア・マルゴーの涙」と名付けられた。 ――――それが、一般に伝わる彼女の伝説である。 「貴方が探していたそれがどういう物なのか、それは分かりまして?」 「うん、たぶん」 「……そのたぶんっていうのは何ですの」 「悪党さんがその花を作ったのは分かるんだけど、どうしてその花がそんなに嫌なものなのか分からなくて。その花を作ったのが悪党さんだからなの?」 「それもあるのでしょうけどね」 マルセアは溜息を漏らす。やはりスゥイティアはこの花の事を何も知らないのだと、確信を持ったのだろう。 「この花の所以はさっき話した通りですけれど、それはあくまでも伝説に過ぎませんわ。真実は違うかも知れませんもの。その由来も含めて、現代まで多くの学者達が研究を致しましたわ。その結果、あの花が危険極まりない事が分かりましたの」 「え、危険なの?」 「ええ。花弁一枚……いいえ、その花をほんの僅かでも口にすれば、死に至りますの。貴方が探す、種の方もそうですわ」 「うそ、そうなの!?」 驚愕の表情で、スゥイティアは叫ぶ様な声を上げた。まさかそこまで危険な代物だとは、予想だにしなかったのだ。 「異名として、『呪いの花』と呼ばれていますの。彼女が最期に遺したとされるその花には、彼女の恨みが込められているのだという考えでしょうね」 「そんな物、どうしてお師匠様は必要なのかな?」 「流石にそれは、わたくしにも分かり兼ねますわ。あれは毒薬の比ではありませんもの、普通の薬品には使用する筈ありませんわ」 「でも、お師匠様が必要って言うんだし、何かあるのかも」 「まさかとは思いますけれど……仕方ありませんわ、本人にお訊きするのが最良の策でしょう。行きますわよ、スティ」 「え、あ、待って、マルセア!」 颯爽と身を翻して地下室から出て行くマルセアの後を、スゥイティアは慌てて追った。 |
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