第2話 言及と試験


「お師匠様。お尋ねしたい事があります」
 地下室の真上。薬屋「アルトバルド」の広間にやってきたマルセアは、開口一番に詰め寄った。店内に飾られた観葉植物に水をやっていた女性――――彼女達の師匠であるコルテス・ゲルトは、そんな弟子の声に手を止めて視線を動かす。その表情には慈愛にも似た温かさと、静寂の様な穏やかさが宿っていた。
「どうかしたのかしら?」
「お師匠様、この娘……スゥイティアに渡したメモの事でお話があります。地下倉庫から探してくる薬品のリストに、『ロゼリア・マルゴーの涙』とお書きになったそうですね」
「ええ、確かに書きましたよ」
「一体何にお使いなのです? あれは最凶の薬物と言われるではありませんか」
 コルテスの表情が、僅かたりとも動く事は無い。ただいつものように穏やかな微笑を湛え、マルセアの話を聴いているだけだ。
「その通りです、良く知っていますね」
「これは薬学を学ぶ者にしてみれば常識であると認識しておりますが」
「ふふ、貴方は頼もしいですね、マルセア」
 恐縮だと言う様に、マルセアが頭を下げる。スゥイティアはそれを見ながら、自身の知識力を恥じる様に指をもじもじとさせていた。
「確かに、『ロゼリア・マルゴー』に関わる物はどれも危険な要素を含んでいます。茎も、種も、花も、全て。どんなに素晴らしい良薬でも、それを混ぜれば毒薬へと姿を変える凶器です。ですが、そればかりが全てではありません」
「どういう事なんですか?」
 口を閉ざしていたスゥイティアが、疑問の声を上げた。だが彼女が問わなければ、マルセアが尋ねていただろう。「ロゼリア・マルゴー」の何たるかも知らないスゥイティアはおろか、マルセアにも師匠の言わんとしている事が理解出来なかったのだ。
「たったひとつだけ、その毒を浄化する方法があるのです。世間には知られていない、特殊な方法で。そしてそれは、一般としては秘密とされる方法なのです。きちんとした手順を踏んで浄化させれば、その凶器も素晴らしい良薬へと姿を変えるのですよ」
「お師匠様は、それを知ってるんですか?」
 純粋なスゥイティアの問いに、コルテスは頷いて見せる。
「ええ。『ロゼリア・マルゴーの涙』は最凶の毒薬にして最良の薬品なのです。この事をよく覚えておきなさい、スゥイティア、マルセア」
 コルテス・ゲルトは薬師の最高峰である――――そう高らかに謳われる所以はそこにあるのかも知れない。薬都市と渾名されるアルベデリアの街を隈なく探そうと、「ロゼリア・マルゴーの涙」から毒成分を抜き出す方法を知るものは無に等しいだろう。
「マルセア。貴方は先程、何に使うのかと問いましたね」
「はい」
「ではその問いに答えましょう。ふたりとも、少しお待ちなさいね」
 そう言うなり、コルテスは研究室として利用している一室へと移動し、そこから紙の束をふたつ持って戻ってきた。それを各々に手渡す。
「さて、ふたりとも手を出して」
 コルテスの指示通りに、ふたりは手を出す。そこにコルテスは小さな何かの欠片を乗せる。ワインレッドにも似た色のそれは、何なのかも判別出来なかった。
「お師匠様、これは?」
「『ロゼリア・マルゴーの涙』の欠片です」
「…………!!」
 予想外の事に、ふたりは揃って絶句する。最凶の毒薬が掌の上にあるのだから、無理も無い。しかしコルテスは至って冷静かつ穏やかに、説明を付け加えた。
「これからふたりには、その『ロゼリア・マルゴーの涙』を浄化して貰いましょうか。手順と必要な物は全てその資料に纏めてあります。足りない薬品は適宜お探しなさいな」
「お師匠様、どうして今そんな事を?」
「これは試験です。今までに私が教えた事を駆使して、浄化を成功させて下さい。その結果に得られる物が、答えです。私が教えられる技術は、全て伝達済みの筈ですよ。そしてこの浄化が、私が伝える最後の技術になります。ふたりとも、しっかりね」
 あっさりと告げられた言葉に、異様な引っ掛かりを覚えた。最後とは、一体どういう意味を持つのだろうか。ふたりは互いに顔を見合わせ、戸惑うばかりだ。
「どういう事ですか? それって……」
「卒業、という事です。但し、浄化が成功したらの話ですよ」
 何とも言えない感情が、渦巻く。確かに嬉しさもあるが、そればかりではない複雑な心持ち。これを上手く形容する表現が見付からない。
 嬉しい様な、悲しい様な、寂しい様な、辛い様な――――そんな感情が混ざった感覚に、スゥイティアはどんな顔をしたらいいのか分からずに俯く。マルセアもどうしたらいいのかと、複雑な表情を浮かべて困惑している。
 そんなふたりを見比べて微笑み、コルテスは思い出した様に言った。
「卒業の暁には、この店を任せようと思うのです」
 ふたりは師匠を見上げ、固まった様に動かない。そんなふたりを宥める様にコルテスは穏やかに微笑み、優しく口を開いた。
「任せる、とは言いましたが、今までと大きく変わったりはしませんよ。私も隠居するつもりはまだありませんから、心配は要りません。ただ少し、立場が変わるだけの事です」
 ふたりは頷いてみたものの、まだ心境は複雑なままだ。
「お師匠様、もしふたりとも浄化に失敗した場合は、どうなるのですか?」
「その時は、もう一度学び直せばいいだけです」
「では、ふたりとも成功した場合は……」
「ふたりに店を任せます。仲良く、協力し合って店を盛り上げて下さい」
 コルテスは、まるでふたりが成功したかの様に言う。ふたりは掌の上に乗った種の欠片を暫し眺めていたが、やがてそれぞれの心が決まったのか、決意の宣言を口にした。
「わたくし、やってみますわ」
「わたしも、頑張りますっ!」
「では、ふたりとも頑張って下さいね」
 師匠の激励の言葉を受けて、ふたりは互いに視線を交わす。そうしてそれぞれの自室に引き上げていった。その心境に差はあるも、その胸に秘めた根本的な意志は同じ。ふたりが一緒に店を継ぐという、頑なな意志があった。
 そして、互いに相手の成功を祈った。自分ではなく、相手の成功を。
 それがどういった結果をもたらすのか――――今はまだ、分からなかった。


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