第7話 読めない思惑


「どういうつもりなの?」
 低く、訝しむ様な問いを投げる。しかし相手は少々困った様な笑みを浮かべるだけであった。求めていた様な返答は無い。答える必要が無い、とでも言うのだろうか。何処か余裕さえ感じられる様な態度が、どうにも気に入らなかった。癪に障る、とでも言おうか。
「貴方の考えは本当に分からないわ。あんな集団を組織した事だけでも疑問しか無いと言うのに、事ある毎に重宝して……一体何の役に立っていると言うの。ただの雑用係じゃない」
「心外ですね。彼らの職務が雑用係だとしても、誰かの手助けにはなっているでしょう?」
 やっと返って来た言葉は、矢張り擁護の声であった。それはあまりにも予想通りの反応すぎて、最早苛立ちの感情さえも浮かび上がって来ない。
「それに、彼らの仕事は他部署の助っ人だけではありません。貴女も彼らのお陰で命を助けられた事がありましたよね? 充分に役立っている証ですよ」
「あれは彼らでは無く、私付きの護衛官による手柄よ」
 自身を引き合いに出された事がどうにも腹立たしくて、キッパリと断言してやる。どうやっても彼らを立てようとする彼とは、根本から相容れないのだ。
 自分より一回りは若い目の前の男が上司だなんて、どうかしている。内心で悪態を吐いた。
 確かに仕事の手際は良く、先見の明もある有能さは近くに居て実感する事もある。不本意ではあるが。しかし彼のその心中が読み取れない不気味さは、薄々感じていた。
(一体この男、何を考えているのやら)
 此方の感情を知ってか知らずか、彼は穏やかに微笑んでいる。その底知れない笑みの裏に、何を隠しているのだろう。世間の女性達ならば陰のある男性はミステリアスだなどと嘯くのだろうが、そんな良い表現をしようとは到底思えない。あれこれ考えれば止め処無いが、考えるだけ不毛だろう。今は、ひとまず忘れる事にした。
「明日の視察にも、あの連中を駆り出したそうね。専属の護衛官で充分だと言うのに、余計な事を……くれぐれも、私達の邪魔をする事だけはしない様に釘を刺して頂戴」
「ええ、勿論ですとも」
 ――――それもどうだか。
 内心呟いて、踵を返す。最後に一言、嫌味を残して。
「これ以上は無意味でしょうね。社長というのはお忙しいのでしょう? 私は退散致しますわ」
「お気遣いをどうも。明日の視察、充分にお気を付けて。報告、楽しみにしていますよ」
 逆に嫌味を返された格好になって、嫌が応にも苛立ちが増す。反論の言葉さえも出ず、そのまま黙って社長室を後にした。

*

 空は晴天。降り注ぐ日射しが暖かく、心地良い。
 特別執行課の面々は、揃って副社長一行の到着を待っていた。本来ならば本社に出向くのだが、どういう理由か副社長の意向で特別執行課の専属ビルで出迎える形になったのだ。其処にどんな意図が含まれているのかは、読めない。
 気の晴れない思いを払拭しようと試みるリェンであったが、それはどうにも難しかった。植え付けられた苦手意識が、気の持ちようというだけで簡単に克服出来る筈が無い。しかし出来る限り気にしないよう心掛ける事くらいは、出来るだろう。たぶん。
 その横で、メイは精一杯の笑顔を張り付ける事に必死だった。
「……メイ。顔、引き攣ってるわよ」
「んんんー」
 シャンの指摘に、メイは言葉にならない呻きを漏らした。重要人物を迎えるが故の緊張なのか、それともリェンに似た感情を抱くが故なのか。それは分からないが、出来るだけ存在を消そうとするリェンと違い、少しでも印象を良くしようと試みるメイの方がよっぽど大人なのかも知れない。そんな風に思うと、思わず自嘲の笑みが零れた。
「あんなオバサン、別に愛想よくなんかしてやる事ねえんだよ」
 不満そうな顔をして、リュウが呟く。メイは表情を作る事も忘れて反論した。
「そういう訳にはいかないの。あの人の機嫌次第で、此処の存続だって変わるかも知れないんだから。あたし達の立ち位置は特殊なんだし、少しでも印象は良くしておかないと」
 精神的にはメイの方が大人の様だ。幼くとも、責任者という肩書きを与えられているだけの事はある。いや、その肩書きこそがそうさせているのかも知れないが。一方で、感情直結型のリュウはまだ子供らしさが失われていない。それは彼の年頃を思えば当然なのだろうが、特別執行課の一員として働くには少々不便な質と言えた。
 そんなリュウも居場所を奪われる事は避けたいのか、そのまま口を噤んだ。不服そうにそっぽを向いて、だが。反論が無いのを納得と受け取り、メイは再び笑顔作りに戻ろうとした。
 ――――と。
「……来たわ」
 僅かな緊張を孕ませたシャンの声に、周囲の空気が引き締まった。
 姿を現した黒塗りの高級車が、ゆっくりとしたスピードで向かって来る。それは特別執行課勢揃いで出迎えた玄関先で止まり、先に車を降りた運転手が慣れた様子で後方のドアを開いた。ゆったりとした所作で車中から降りたのは、たっぷりとした身体を高級な服と装飾品で存分に着飾り、自慢気に胸を張る中年女性。彼女の実年齢を思えば多少は若く見えるだろうが、それでも特別執行課の面々が正直な感想を言うならば「派手好きなオバサン」だ。
 藤楊林 ( タン・ヤンリン ) 。言わずもがな、リー・カンパニーの副社長だ。
「全員揃ってのお出迎え、ご苦労様」
 欠片も感謝の心が見えない口調で、彼女は言う。皮肉とさえ受け止める事の出来る、嫌味を帯びた喋り方だ。実際、嫌味そのものなのかも知れない。
「お待ちしておりました、副社長。本日は宜しくお願い致します」
 代表として、メイが丁寧なお辞儀と共に挨拶した。本番に強いのだろうか、何処から見ても自然な笑顔を浮かべている。それは心から歓迎しているとでも言わんばかりの、満面の笑顔だった。勿論、その心中を知る由は無いが。
「分かっていると思うけれど、私達の邪魔だけはしないで頂戴」
「承知しております。我々の仕事は副社長に害の及ばない様にお守りする事だけです。有事の際以外は副社長の視界の外で、控えておりますのでご安心ください」
 丁寧なメイの返答には、若干の棘がある様にも思えた。それを察知したのか、ヤンリンの片眉が僅かに動く。しかし彼女は言葉を飲み込んだ様だった。
「……まぁ良いわ」
 ふたりの遣り取りをハラハラしながら見ていたリェンは、彼女が言葉を呑んだ理由を瞬時に悟った。その視線が、真っ直ぐに自分を捉えていたからだ。背筋が凍る。出来る限り陰に隠れてやり過ごすつもりだったが、ヤンリンの観察眼から逃げられる事など出来ないと悟った。
「あら、貴方。此処に配属になったのね」
「ええ。昨日付けで辞令がありまして」
「そう。経理課では用済みという訳かしら。ご愁傷様」
 ヤンリンはけらけらと笑う。棘のある嫌味は、明確な敵意を感じさせた。しかしその原因が自分にある事も、リェンは理解しているつもりだ。痛い程に。
 反論が無い事を不服そうにしながらも、ヤンリンは視線をメイに戻す。
「それで、今回の配置は?」
「お傍には三人、残りは遠方にて警護させて頂こうかと」
「ま、ほぼ普段通りって訳ね……それで、彼の配置は何処に?」
「彼…………ええと、それはリェンの事……ですか?」
「ええ、そう。そこの地味な男の事で間違いないわ」
「彼は遠方での警護担当となっておりますが」
「なら、変更なさい」
「…………へ?」
 予想外の指示に、メイが思わず間の抜けた声を上げた。どういうつもりなのか、その意図は彼女にしか分からない。その場に居た誰もが、動揺の色を隠しもしなかった。
「彼には私のすぐ傍で警護して貰うわ。これは命令よ、今すぐ編成のやり直しをなさい」
 命令、と言い切られてしまえば従う以外の道は無かった。メイは素早く意思を伝える。
「あぁ。……心配掛けてごめん」
 どの道、逃げる事は許されない。全ての非は、自分にある。だからこそ、余計に。
「ん、頑張って。あたしも傍に居るから」
 小さな励ましだったが、縮こまっていたリェンの背を押すには充分だった。
「決まった様ね。ならば早く向かいましょう、時間を掛け過ぎたわ。先方もお待ちよ」
 言うなり、ヤンリンは車に乗り込んだ。此方の都合などお構いなしに、そのまま車は発進する。
「……誰の所為で遅くなったと思ってんだよ」
 そんなリュウの呟きは彼女に届く事など無く、その場には苦笑だけが残った。


 早々に出発していったリムジンを追う形で、特別執行課の専用車も出発した。
 ヤンリンには既に、複数の護衛官が付いている。彼女は自身の専用護衛官しか同乗する事を認めていない為、目的地までは別の車両で追従するのが定番だ。ちなみに当たり前と言えば当たり前だが、ハンドルを握るのはシャンの役目だ。
 副社長を乗せる高級リムジンには負けるが、特別執行課専用車も充分に高級車と呼べる代物である。旧型の古い車両にはなるが、それでも乗り心地は悪くない。
 その、車中。
「どういう事なんだよ」
 後部座席に座るリュウが、不機嫌さを隠す事も無く呟いた。苛立つ様な視線は、助手席に座るリェンに真っ直ぐ向けられている。その刺す様な鋭さに、リェンは身を縮めた。バックミラーで彼の様子を確認する事さえ、出来ない。
「解雇どころか、逆に指名してきやがったじゃねぇかよ!」
「それは……」
 リェンは言い澱む。弁解しようとは思うのだが、その理由など推測すら出来ない。単なる彼女の気まぐれか、それとも何かの意図があるのか。それすらも結論に至らない。何と説明すればリュウが納得してくれるのか、見当も付かなかった。ただひとつ言うならば、昨日の自身の説明に偽りは無いという事だけ。しかし現状、それを説明する事は難しいだろう。
 一向に始まる気配の無い弁明に、リュウは苛立ちを露わにする。
「お前の話、何が本当か分かんねぇよ!」
「……でも」
 リュウの右、運転席の真後ろに座るメイが、ぽつりと声を漏らした。
「少なくとも、会った事があるっていうのは間違いないわね。さっきのは、どう見ても初対面じゃないもの」
「確かに、そんな口振りだったわね。リェンの事を認識していたし」
 シャンが言葉を挟む。
 副社長は、社員の前に滅多に顔を出さない事で有名だ。営業業務こそ自ら行うが、内部では姿を知らない社員も多いという。姿も名も、無駄に晒すのを厭う人なのだと専らの噂だ。必要無い人間、自身の知らない人間にまで名を覚えられるのは居心地が悪い――――そう考えているのだ、と。そんな彼女が一介の社員に過ぎないリェンの存在を認識していた事自体、彼らには不思議なのだろう。メイはその立場上、その理由の断片は耳にしているのかも知れないが。他の面々にしてみれば、リェンの存在は疑惑を抱くに充分だろう。
「でもワケあり、なんでしょう?」
 苦笑する様に、シャンが言う。空気を察して、何かを悟った様だ。
「安心して。此処に居る面子を見ても分かるでしょう? 皆、似た様なものだって。だから、不用意に問い詰めたりはしないわよ。問い質される辛さは、知っているもの」
 その言葉には、流石のリュウも異論を唱える事は出来ない様だった。シャンの言う通り、彼にも色々と抱える物はあるのだろう。悔しそうに顔をしかめ、そのまま黙り込む。
「ありがとうございます。それと……すみません」
「気にしないで。今は仕事に集中しましょう。他の事に気を取られているうちに何か大事件が起きていた、なんて事になったら、それこそ大問題ですもの」
 その言葉を合図にしたかの様に、シャンはアクセルを更に強く踏んだ。


BACKTOPNEXT