第10話 開かれる情報 「良かった、皆無事ね!?」 副社長一行が避難していた建物へ顔を出すと、気付いたシャンが駆け寄ってきた。自力で立つレイミンの姿に安堵した様子を見せた後、僅かな傷さえ見逃すまいといった気迫で彼女の全身を確認する。その様はまるで子を心配する母の様だ。そんな事を口にしたら、彼女は怒るだろうか。 外傷が無い事を確認すると、シャンはその小さな身体を優しく抱き留めた。 「本当に、心配したのよ。何かあったら、って思うと気が気じゃなかったんだから」 「…………ごめんなさい」 擦れる様な小さな声で、レイミンが呟いた。シャンは頭を振って、抱き締めたまま頭を撫でる。 「いいのよ。貴方の所為じゃない。こうして無事に居てくれるだけで、充分」 レイミンの瞳が、今にも泣きだしそうな程に潤む。シャンはそっと身を剥がすと、彼女の頬を温かな両手で包み込んだ。真っ直ぐに彼女を見つめ、言い聞かせる様に言葉を紡ぐ。 「だから、自分を責めちゃ駄目よ。ね?」 遠慮がちながらも、小さな頭が縦に振られた。それに頷き、シャンはメイに向き直る。 「貴方達も無事で良かった。見る限り、リュウも無事みたいだしね」 リェンの背で眠りこける姿を見て、呆れ混じりにシャンは言った。それに苦笑して、リェンは答える。 「きっと緊張の糸が切れたんでしょうから、暫くはこのままで」 「……そうね。貴方がそれでも良いと言うのなら」 幾ら特殊な環境下に置かれているとは言え、彼もまだ十代の少年に過ぎない。どんなに背伸びをしようと、本来持ち得る本質との間にズレが生じるのも無理は無い。彼の年頃であれば、もっとのびのびと好き勝手に生きていて良い筈なのだ。だが環境が、生い立ちが、それを許してくれない。悪いのは、社会か世界か。それはリェンにも分からない。 まだ素性も事情も何もかも知らないままだが、彼が精一杯日々を生きている事だけは分かる。だから、此処で叩き起こす様な無粋な真似はしたくなかった。 「――――取り込み中の所、悪いのだけど」 不意に、棘のある声が場を支配する。言葉とは裏腹に、これっぽっちも悪いと思っていない響きであったが、それを口にするのは憚られた。言わずもがな、ヤンリン副社長である。 「本日は此処でお開きという方向で、話は纏まりました。私は社に戻ります。貴方達は先程の件について綿密に調査の上、後日改めて報告する様に」 言葉の表現としては穏やか事務報告だが、その視線は鋭く此方を射抜いていた。 つつがなく進行していた筈の視察に幕を下ろす事となった謎の襲撃は、彼女の期限を損ねるのに充分であった。施設の管理者がこの場に同席していた事だけが、せめてもの救いと言えよう。流石の彼女も第三者の目を気にして、当たり散らす様な真似を避けた筈だ。此処が身内だけの空間だったとしたら。その先はあまり考えたくない。 「承知致しました」 メイの返答を合図にして、ヤンリンは建物を後にする。 「敷地内での調査の方は、ご自由になさって下さって構いません。どうぞ、宜しくお願い致します」 ヤンリンの後に続いた経営者はすれ違い様にぺこりと頭を下げ、そう伝言を残していった。 身内だけになった所で、漸くメイが安堵した様に長々と息を吐き出す。彼女の双肩には、その年齢が負うには大きすぎる重責が乗っているのだ。それを完全に取り払う事は出来ないが、少しくらい軽くする事は出来る。そう、信じたい。 「すぐ帰る、って訳にいかなくなっちゃった」 至極残念そうにそう零して、メイは手近にあった椅子に腰を下ろした。休憩室として利用されているらしい部屋には、当たり前の様にテーブルと椅子が設えてある。 「しかたないから、まずは状況確認でもしてみましょ。ほら、皆も座って座って」 早くも開き直ったメイが、横の椅子をぽんぽんと叩きながら言った。促されるまま、それぞれが身近な椅子に座る。未だ眠りの最中であるリュウは、少し離れた所にあった長椅子に寝かせる事にした。少々硬いベッドだろうが、この状況下では致し方無い。 「レイミン、何があったか覚えてる?」 静かに、メイが問う。その場に居る全員の視線を一身に受ける事となったレイミンが身を震わせたが、目を伏せてふるふると首を振った。そうして恐る恐る、言葉を発する。 「あの……リュウ君、が……その、急に……倒れて。それで……ビックリしたら、わたしも」 「すぐに気を失った、と」 言葉尻を引き取ったシャンの声に、レイミンはこくりと頷いた。 「ふたりが襲われた事から見ても、あの場所から狙撃した可能性がかなり高いわね。問題は、誰がどういった目的で狙ったか、って事だけど」 「それについて、気になる事があるんだ。あの時の……狙撃を受けた時に感じた事なんだけど」 メイの表情が、僅かに強張った。しかしそれには気付かない振りをして、リェンは続ける。 「メイ。君は、誰かに狙われる様な覚えはあるかい?」 「な――――なんで、そんな、こと」 明らかに動揺した様子で、メイはそれだけ呟いた。反応から察するに答えは明白であったが、リェンは敢えてその先には踏み込まなかった。詳しい理由は、彼女が話したい時に話せばいい。心当たりがあるかどうか、それが分かるだけで充分なのだから。 「副社長も、此処の経営者も、犯人の眼中には無いと思う。重要なのは恐らく最後の一発。あの弾丸は、確かに君だけを狙っていた。少なくとも僕は、そう感じた」 「分かるんだ、そんなこと」 苦笑する様に発せられた声は、何処となく弱々しく響いた。 「質問の答えだけど、覚えが無いって言ったら嘘になる。だけど、それだけよ。いつ狙われるかも知れない微妙な立ち位置に居るって事は自覚してるけど、現在進行形で誰かの標的になってるって自覚は無かったもの。リェンがそんな事言わなかったら、たぶん今でも気付いてなかったよ」 メイの立ち位置。まだ幼さが残る年齢ながら、特別執行課の責任者を荷う理由。 それを、リェンは知っている。否、それでは少々語弊があるかも知れない。断片であった情報が、この一件を機に繋がったと言うべきだろうか。 「君の言う微妙な立ち位置、っていうのは他の皆も承知している事なのかい?」 「ええ、そうね。特別執行課の人間なら、誰もが知ってる。だから、本当は貴方にも最初の時点で伝えなきゃならない。伝えておくべき……だったとは、思う」 「大丈夫。僕は知ってるから」 「…………!」 咄嗟に口を突いて出た言葉に、メイが声にならない声を上げる。リェンは内心失敗したな、などと思いながら、出来る限り穏やかな口調になるよう気遣った。 「君が、李社長の一人娘だって事は、僕も承知している。聞いた時は驚いたよ。以前名前は耳にした事があったけれど、まさかその年で責任者を務める身だなんて思っていなかったから」 「……何で知ってるの? それは、ほんの一握りの人間しか知らない秘匿事項の筈よ」 「社長本人から聞いたからね。責任者は自分の娘だ、って」 その言葉に驚いたのは、メイだけでは無かった。シャンとレイミンも困惑した顔で息を呑む。 「副社長に加えて、社長とも面識があるだなんて……貴方、一体何者なの?」 「何者……か」 思わず、といった体で発せられたシャンの問いかけに、苦笑交じりでそう呟く。難しい質問だ。自分が何者か、それを正しく表現出来る人間はそうは居まい。そしてこの場に、嘘偽りなく全てを語れる者が果たして居るのだろうか。 「今の僕は、一介の会社員に過ぎない。これは紛れも無い事実だよ」 「今の、って事は……昔は違うってこと?」 純粋なメイの疑問に、リェンは反応する事が出来なかった。無意識に発してしまった言葉に気付くとは、流石目聡い。感心しつつも、言及は避けた。教えると約束しておきながら、これだ。人間とは、どれだけ保身をすれば気が済む生き物なのだろうか。 「君が訊きたいのは、そんな事じゃ無いんだろう?」 何処かはぐらかそうとさえしている風に響いた問いに、リェンは自身でも呆れた。 遅かれ早かれ、いつかは彼女も知る事だ。それでも、言うべき言葉はすぐ声に出来なかった。一分一秒でも、告げる事を先延ばそうとしている自分に気付く。何と浅ましいのだろう。 メイは答えなかった。ただ黙って、自身の求めている答えが与えられるのを待っている。 「ひとつだけ、訊きたい事があるんだ。君達に伝わっている僕の情報は、どんな物なんだい?」 「……少しばかり腕の立つ人材が、助っ人として配属される、って」 僅かに迷う素振りを見せた後、メイはそう告げた。 「それだけ? 他には?」 あまりにも簡潔過ぎる説明に問いを重ねたが、メイは首を振った。本当に、それだけらしい。 「なんにも。だから、初めて会った時はちょっとビックリしたわ。だってリェン、どう見ても腕が立つ様に見えないんだもの。もっと強面の、ガタイの良い人が来るんじゃないかって思ってたから」 確かに、リェンは男性としては細身の部類だ。顔立ちもやや童顔気味で、酷い時は十代に間違われる事もあった。そんな人間を前に「腕が立つ」と言われても信じ切れないだろう。 「つまり僕個人の情報は、何も与えられていないんだね」 「そう。ただ、貴方の運動能力と対応力は充分に評価出来る、って強調されてた」 「……強調する程の事かと言われたら少々大袈裟の様な気もするけど。でも、そうか」 実際期待されている程の戦力になっているのか、自分では分からないけれど。それでも、そう伝えられていたのならそれに応えるしかあるまい。但しこれからそうさせてくれるかは、また別の話になる。自身の素性を洗いざらい話し終えた後に、それでも課の一員として置いて貰えるのならば、の話。 いつかは語らねばならない時が来るのだろうと、特別執行課への転属を告げられた時には既に覚悟していた。それがこんなに早くなるとは、思っていなかったが。 「どう、言葉にしていいか……僕自身、よく分からないんだけど」 そう、リェンは切り出した。いざ言葉にすると、時系列や表現に困る。一体どれだけ複雑な身の上なのだろうと、自分自身でも呆れる程に。 「分かり辛い事や疑問に思った事があれば、その都度訊いて欲しい。正直、説明が上手く出来る自信が無いんだ」 「ん、分かった」 神妙な顔でメイが頷いたのを確認すると、リェンはゆっくりと語り始めた。 |
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