第3話 兄と妹 翌日、放課後。 「うわぁ……凄い人」 再び店へとやって来た千歳は、店舗周辺の景観を眺めて感嘆の声を漏らした。 昨日の宣伝効果だろうか、店から伸びる人の列は長く続いている。まさに大盛況。初日にこれだけの人が押し寄せれるともなれば、暫くの間はこの店も安泰だろう。 「でも、これだけ客が押し寄せてるんじゃ商品が足りるか怪しいよねえ」 列の最後尾に並んだ千歳の横で、慶玖が他人事の様に呟いた。その一言に、千歳は動揺する。 現状で、自分達まで順番が回って来るかは微妙なラインだ。人手がどれだけ居るのかによっても違うが、現状を見るに、小さな店舗で対応し切れる人数を超えている気がする。途中で品切れを起こす可能性は、ゼロでは無い。そして、販売する物が無ければ店を開ける事は出来ない。つまり。 「それじゃ、途中で売り切れちゃったらお店にも入れないじゃない……!」 悲鳴にも似た叫びを上げて、千歳は思わず兄に掴み掛かる。 「ちょ、千歳ちゃん、僕に言われても困るんだけど」 「ケーキは昨日食べたし、別に買えなくても良いんだけど。でも、せめて、昨日のお礼くらいは言いたいじゃない」 「ま、その気持ちは分からないでも無いけどね」 いつも皮肉や揶揄で返す慶玖が珍しく此方の気持ちを汲み取ってくれた事に驚いて、千歳は思わず手を離した。解放された慶玖は何事も無かったかの様な顔で、服を直している。 「……意味も無く優しいなんて、なんか、気持ち悪い」 無意識に口を突いて出た言葉に、慶玖はにっこりと微笑む。その爽やかな笑顔が、逆に恐ろしい。 「そう? だったら優しさは無用って事で、これからとことん厳しく当たっても良いんだけど」 「すいません私が馬鹿でした」 反射的に謝って、千歳は慶玖に背を向けた。冗談では無く、この兄を敵に回したら何をされるか考えただけで恐ろしい。普段の揶揄が可愛く思えてくる程、手厳しい扱いを受けるに決まっている。そんな物は御免だ。 そんな風に思われていると知っているのか否か、慶玖は何処か楽しそうに言う。 「そんな冗談は置いといて。実は千歳ちゃんに、とっても良い話があるんだけど」 「良い話? 何よ、それ」 ちらりと後ろを振り返ると、面白い物を見る様な、無邪気な瞳と目が合った。一体何を企んでいるのかと疑った千歳の耳に、次の瞬間、衝撃的な一言が届く。 「実は昨日、あの後店に連絡してね、営業終了後に会って貰えるようアポを取っているのです」 「…………な」 予想外の言葉すぎた為だろうか、瞬時に意味が理解出来なかった。千歳はぽかんと口を開けて兄の顔を眺め、その言葉が導く結果を漸く頭が理解した時、開いた口が鯉の如く、ぱくぱくと開いては閉じてを繰り返す。咄嗟に出て来る言葉は、無かった。喜んでいいのか怒っていいのか呆れていいのか、感情に整理が出来ない。 暫くの間そうしていたが、やっとの事で表面に現れた感情は。 「そういう事は、早く言いなさいよ――――――――ッ!」 この状況を想定した上で敢えて今まで黙っていた、兄への純粋な怒りだった。 本当に、意地が悪い。心底悪いと思うが、それでも結果としては有り難い行動であった手前、千歳はそれ以上不満も文句も口に出来なかった。口にこそ出さないものの通りの展開になった事を喜んでいるだろう兄を、ただひたすら恨めしい顔で睨むだけ。さり気無い心遣いは出来るのに、何故それを素直に表現しないのか。激しく謎である。 しかしこれで、目的は果たせるのだ。今はそれを喜ぶべきだと思い直して、それ以上気にしないよう努める事にした。 「あれ、でも営業終了っていつ?」 「通常の予定としては、夜の八時だって。だから、それ以降に行くって伝えてあるよ。まぁこの調子だとそれより早く店仕舞いするかも知れないけど、一度帰った方が良いかもね」 言って、慶玖は列から外れようとする。しかし、千歳は動けなかった。 少しずつ近付いている店の入口。例え目の前でケーキが売り切れようと、そんな事は千歳には関係無い。もう一度この店のケーキを食べたいという思いは、真実だ。だが、それ以上に彼女ともう一度、話がしたかった。そして色々な疑問を尋ねたかった。自分の話を聴いて、貰いたかった。 少しでも早く売り切れれば、店は閉まる。そうすれば、八時を待たずして会う事だって可能かも知れない。強引で無謀な考えではあるが、一度そう思ってしまったら最後、もう他の選択肢が浮かばなかった。 「千歳ちゃん? どうしたの」 微動だにしない千歳の様子を不審に思って、慶玖が呼び掛ける。千歳は意志を持って、答えた。 「あたし、このまま待ってみる。慶玖は帰っても大丈夫だよ。どの道、時間には会えるんだから無理しなくても良いし」 「…………」 ほんの数秒後。慶玖は黙って、千歳の横に戻って来た。その予想外の行動に、千歳は目を丸くする。 「このまま千歳ちゃんを置いていったら、本当に暴走するとも限らないしね。僕が付いておかなきゃと思って」 「ぼ、暴走なんてしないわよ! ちゃんと順番だって待つし、迷惑が掛かる事なんてするつもり無いんだから!!」 「ハイハイ、それは良かった」 さらりと受け流す慶玖に頬を膨らませながらも、千歳は大人しく待つ事にした。 そうして待つ事約一時間。時刻は夕刻六時前。 予想外にも商品は尽きる事無く列は進み、遂に店内へと辿り着いた。一歩店内に足を踏み入れれば、こちらは予想に漏れず、内装は桃色を基調にした可愛らしい雰囲気が広がっていた。ファンタジーの世界にでもありそうなその装いは、いかにも女性受けが良さそうである。 千歳は辺りを見回して、店の隅に置かれた白いテーブルと二脚の椅子に目を留めた。 此処で買ったケーキを、その椅子に座って食べられたならどんなに幸せだろうなどと、想像するのは容易な事であった。しかし此処は洋菓子店であって、カフェでは無い。仮にカフェとしても成り立たせる事を検討しているにしても、数が少なすぎる。謎ばかりの浮かぶそれらの品に、千歳は首を傾げた。 しかしそんな疑問も、目の前のショーケースを見れば吹っ飛んだ。色鮮やかな洋菓子達がその中には鎮座し、選ばれるのを誇らしげに待っている様だ。その造形の美しさに、千歳は目を奪われる。凄いなどという陳腐な言葉では表し切れない感動が、其処には詰まっていた。順番が回って来ると、千歳は思わずガラスに貼り付く。 ふたりの姿には、桃色の髪の女性も気付いたらしい。少し驚いた様な顔をした後、彼女はふわりと微笑んだ。 「あら、貴方達は昨日の……わざわざ並んでくれたの?」 「ウチの妹が、どーしても並ばないと気が済まないって言ってきかないもんですから」 「あたし、そこまで言って無い!」 ガラスに張り付いたまま、千歳は主張する。似た様な事は考えていたが、声には出していない。 「取り敢えず恥ずかしい真似はやめて、ガラスから離れようか、千歳ちゃん」 「…………う」 あまりの感動に我を忘れていたが、まだ周囲には他の客も沢山居るのだ。千歳はハッとして、立ち上がった。桃色の髪の女性に視線を合わせ、ぺこりと頭を下げる。 「昨日は、ありがとうございました! ケーキ、とっても美味しかったです!!」 「それは良かった。気に入って貰えたのなら、私も嬉しいわ」 「それで、折角だから他のケーキも食べたいんだそうで。買いに来ました。それと昨日ご連絡させて頂いた通り、良ければ色々お話を聞かせて貰えたら有り難いんですが。勿論、お店が終わってからで」 「ええ、喜んで。貴方達は私の初めてのお客様ですもの」 「じゃあ、改めてまた時間に伺います」 「あのっ! 終わるまで待たせて貰っちゃ駄目ですか!?」 話を手短に纏める慶玖を遮る様に、千歳は叫んだ。流石の慶玖も、呆然とするばかりだ。 「ただ、端の方で様子を見させて貰えれば、それで良いんです!」 「ちょっと、千歳ちゃんてば、何言ってんの。そんな無茶なお願いなんて」 「決してお仕事の邪魔にはならない様にしますから!」 無謀だと思いながらも、どうしても譲れなかった。引けなかった。後は、彼女の判断を仰ぐしか無い。 唐突な頼みに驚いた様子の彼女が、何かを察した様に頷いた。 「分かったわ。それじゃあ、其処の椅子を使って。ケーキしか無いけれど、良かったら食べながら待っていて?」 「良いんですか? 本当に?」 「ええ、勿論。さ、お代は要らないから、いくつでも好きな物をどうぞ」 何故此処まで優しく、好意的に接してくれるのかは謎であったが、ひとまず今はそれに甘える事にする。千歳は欲張りと呼ばれるのも覚悟で、ショーケースの中から目に付いた物を三つ選んだ。 「千歳ちゃん……一気にそんなに食べると太るよ?」 「いいの! 今日だけは特別なの!!」 そう、特別だ。体重の事なんて、気にしてなどいられない。 呆れた様に溜息を吐いた慶玖がケーキをひとつだけ選ぶと、桃色の髪の女性はそれらをトレイの上に載せてテーブルへ運んだ。促されて、ふたりはそれぞれ椅子に座る。 「後で、何か飲み物も用意させるわね。じゃあ、もう少し待ってて頂戴」 そう言い残し、彼女は次の客の応対に戻ってゆく。それを眺めながら、千歳はひとつめのケーキに手を伸ばした。 |
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