第12話 秘匿された事実


「え、っと、これは、あの、その」
 何か言おうと試みた千歳であったが、混乱した頭は思う様に働いてはくれず、上手く言葉を形作ってはくれなかった。
「ビックリさせてごめんなさい。私の配慮が足りなかったわね」
「あ、いえ! 悪いのはあたし達の方で!!」
 困った様に眉尻を下げたさくらの言葉を、千歳は即座に否定した。僅かに驚いた顔をして、さくらは言う。
「ありがとう、千歳ちゃん。取り敢えず、場所を移動しましょう? 準備は整ったから、食べながら話でもどうかしら」
「それは、この状況の説明を頂けるという事で?」
「ええ、ちゃんと説明するわ。信じてもらえるかどうかは、たぶん別の話になると思うのだけど」
「――――分かりました。お願いします」
 先刻まで 今の今まで冷静な顔をして黙っていた慶玖が、口を開いた。彼にしては珍しい。こんな不可思議な光景を目にすれば、好奇心を絵に描いた様な顔をして質問攻めにしていてもおかしくはない筈なのに。現実離れした物を目にしているからこそ、逆に冷静なのかも知れないが。真実は千歳には分からない。
 先刻までとは別人の様な顔をして、慶玖は小さく頭を下げた。その姿に、千歳は違和感を抱く。それは扉の向こうに何があるのかと、子供の様に瞳を輝かせていた人間と同一人物とは思えない程に冷静だった。人は想定外の事が起きると混乱するか、逆に冷静になるかの二択だとすれば、ある種当然の反応と言える。
 言えるのだが、違和感は拭えなかった。それが何による物なのか、千歳自身も分からないのだが。
 考えると余計に混乱してくる様な気がして、千歳はそれ以上考える事を止めた。今は扉の向こうに見える光景の真実を知る方が先だ。ふたりは促されるまま、店の隅のテーブルに戻る事にした。


 そうして着席した三人の間には、形容し難い空気が流れていた。テーブルの上には、労働の対価として用意されたケーキと紅茶が並んでいる。それを目の前にした千歳としては嬉々としてフォークを手に取りたい所であったが、実行するのは憚られた。それは、あまりにも空気が読めない行動の様な気がしたからだ。
 慶玖は少し前までの態度が嘘の様に黙り込み、難しい顔をしている。さくらは変わらぬ穏やかさを纏っていたが、僅かに困惑の色が見えた。やはりこの展開は、彼女にとって予想外なのだろう。
「ええと、何から話せば良いのかしらね……」
 頬に手を当てて、困った様にさくらが言った。的確な言葉を探す様に、口を開き掛けてはまた閉じるのを繰り返す。想定外の出来事に、上手い説明が見付からないらしい。千歳は益々身を縮ませる。手伝いに来た筈が、これでは迷惑を掛けただけではないか。そうなった原因は兄の方にあるのだが、こうなれば千歳とて同罪だ。
 さくらは目の前のカップに手を伸ばし、乾いた唇を湿らせる様に赤茶色の中身に口を付けた。
「まずは私の身の上話をする方が先なのかも知れないわね」
 漸く道筋が立ったらしい。さくらはそう告げると、カップをソーサーに戻した。食器の触れ合う音が、やけに大きく響く。
「こんな事を言って何の冗談だって思うかも知れないけど……私、この世界の人間じゃないの」
「――――え?」
 想像もしていなかった言葉を告げられて、千歳の思考は固まった。確かにさくらの鮮やかな桃色の髪や人間離れした美貌は漫画やアニメの世界から飛び出して来たかの様ではある。あるのだが、本当に「異世界から来た」と言われて困惑する程度には千歳の思考回路は現実的であった。
 だが、彼女が嘘は言っていない事も同時に理解していた。だからこそ、戸惑いが強くなる。
「……あの、本当に、本当、なんですよ、ね?」
「ええ。信じられないのも無理は無いと思うのだけど、事実としてそうなの。並行世界、と言うのかしら……此処と凄く近い所に存在している別の世界があって、其処が私の故郷になるわ」
「ぅわ、ファンタジー……」
 フィクションの世界でしか存在しない筈の現実を前に、千歳の理解力のキャパシティは既に限界を迎えようとしていた。それに気付いた慶玖が、溜息と共に漸く口を挟む。
「現実逃避するにはまだ早いよ、千歳ちゃん。――――後は僕から幾つか質問させて頂いても?」
 真っ直ぐな視線を正面から受け止めて、さくらは素直に頷いた。
「ええ、勿論。何でも訊いて頂戴」
「では早速。その、並行世界とやらの住人である貴方はどうして此処に?」
「動機、って事かしら。そうね……正直な所、深い理由がある訳では無いの。見ての通り、私はこうして自分の作ったお菓子を誰かに振る舞って喜んで貰いたかった。それが一番の理由かしら」
「ですがそれは、貴方の故郷でも可能なのでは?」
「そうね……全くの不可能、という訳ではないのだろうけど」
 歯切れ悪そうに、さくらは言う。
「私は自分の好きな事をしたかっただけなのよ。でも、周りがそれを許してくれなかった。あまりに意見が合わない物だから……だから、ちょっとだけ反抗の気持ちで飛び出して来ちゃったと言うか……」
「家出、みたいな物ですか?」
 思わず口を挟んだ千歳に、さくらは頷いて見せる。
「そうね。表現としては一番近いのかも」
「家出で異世界に行くなんて、ちょっとスケールが違いすぎる気もするんですけど」
「それくらいしないと、出来ないと思ったの。異世界渡りの事は偶然知ったに過ぎないんだけど、知った時はもうこれしか無いって考えてしまって。今振り返ると、ちょっと無謀だったとは思うのだけどね」
 苦笑しながら、さくらは言う。しかし夢を叶えた彼女の表情は、決して暗くは無かった。
「理由は分かりました。それで、先刻の光景の説明を頂いても構いませんか?」
 さくらの返答にコロコロと表情を変える千歳に反して、慶玖は事務的に次の質問を口にする。必要以上に感情を削ぎ落したかの様な兄の様子には疑問もあるが、余計な口を挟んで流れがややこしくなるのも困る。そう考えた千歳は浮かびつつあった言葉をぐっと呑み込んで、さくらの回答を待った。
「ウチで作っているケーキは、私の手作り。それには違いないのだけど、私ひとりの手では作れる量に限界がある。だから、魔法をね。少しだけ使っていて。それが、貴方達が目にしたあの様子という訳なの」
「まほう」
「貴方達の世界で言う、機械化? そんな感じで捉えて貰えると分かり易いのかしら」
「なるほど」
 想像を超える言葉の数々に、千歳の相槌は完全に語彙力を失っていた。
「貴方達からすると非日常の事になるから驚かせてしまうと思って、伏せておいた方が無難だと思っていたのだけど……逆効果になってしまったみたいね。大方、スィリーンが入るなって厳重に注意をしたんでしょう? やっぱり、入るなって言われれば言われる程入りたくなるものね」
「そうですね……それは否定しません。気になると言って開けたのは、僕ですから」
 それは少々、意外な一言だった。慶玖の本心こそ見えないが、すんなりと首謀者の立場を買って出た事に千歳は驚く。普段の彼ならば、調子の良い事を言いながらさらりと千歳に罪をなすり付けて来る事など朝飯前だからだ。さくらの前でそれをするのを無意味と判断したのか、それとも。十数年の付き合いをしている筈なのに、時々よく分からなくなるのが兄である事を千歳は久々に実感していた。
「驚かせてしまった事には違いないわね。ごめんなさい。もし不信感がある様なら、辞めて貰っても――――」
「いえ! 大丈夫です!!」
 咄嗟に遮って、千歳は声を上げていた。食い気味の否定には、さくらも驚いた顔で目を瞬かせている。
「確かにちょっと驚きましたけど……でも、あたしの気持ちに嘘は無いです。さくらさんの作ったケーキは確かに美味しくて、大好きですから。だから、さくらさんさえ良ければこれからも、お手伝いさせて貰いたいです」
「千歳ちゃん……」
「そうですね。僕も、もう少しお付き合いさせて頂けたらと。魔法だなんて、興味もありますし」
「慶玖君も……ふたりとも、良いの?」
 躊躇いがちに発せられた問い掛けに、千歳は大きく頷いた。
「勿論です! というか、こっちがお願いしたいくらいなんですから!!」
「……まったく、千歳ちゃんてば調子が良いんだから」
 いつもの調子でそれだけ言って、慶玖はぺこりと頭を下げた。
「宜しくお願いします」
「ふたりとも……ありがとう。此方こそ、これからも宜しくね」
 安堵の表情でそう告げて、さくらは満開の花の如く微笑んだ。


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