第2話 “アリス”の伝承


「まったくだよねー。人々の干渉を受けないのを良い事に世界がやりたい放題。仕舞いには他の世界も巻き込んでの大騒ぎ。ホント、“アリス”だなんて迷惑も良い所だ」
「ひゃぁっ!?」
 背後から唐突に聞こえて来た新たな声に、ルピナスは反射的に悲鳴を上げた。
 振り返る間もなく、声の主はルピナスを覗き込む様にして姿を見せる。ラベンダーの髪は特徴的な撥ねっ毛が印象的で、一目見て性別を図り兼ねる程の中性的な容姿だ。
「どうも。君が今回の“アリス”だね? 初めまして、僕はスイセン。どうぞ宜しく」
 ずいと差し出された掌を握って、ルピナスはあいさつに応じる。
「は、初めまして。あ、あと名前。私、ルピナス、だから」
 無駄とは思いつつも、最後に念押しをひとつ。矢張り無駄に終わったが、それでも訂正を入れなければルピナス自身が納得しない。これは既に、自分との闘いの様な物なのだ。
 ルピナスがひとり決意を固めている間に、アスターの機嫌は急降下している様だった。ただでさえ不機嫌そうに見える表情が、今やあからさまにご機嫌斜めだ。
「スイセン。お前は、勝手に家に入るなと何度言ったら分かる。戸を叩け。断りを入れろ」
「そんな細かい事気にすんなよ。ハゲるぞ〜?」
 アスターの鋭い忠告さえ、スイセンは軽口で笑い飛ばす。少しも気に留めていないだろう事は、呆然とふたりの遣り取りを眺めていただけのルピナスにも手に取る様に良く分かった。スイセンの性格を簡潔に表すならば、良く言えば豪胆、悪く言えば無遠慮、といった所だろうか。
 一方のアスターは、揶揄に益々ご立腹の様子だ。良くも悪くも真面目なのかも知れない。
「追い出されたくなかったらそれ以上余計な口を叩くな。今すぐ黙れ」
「やだねえ短気な人は。トレニア君もよくこんな気短男と一緒に居られるねえ」
「え。アスター、優しいですよ? 確かにちょっと気が短い事もありますけど、後はまぁ、慣れです」
 不意に話を振られたトレニアは、笑顔でさらりと言い切った。褒めている様で、何処となく貶しているのは気のせいだろうか。流石、彼らと付き合いがあるだけの事はある。彼らと上手く付き合うコツは、適度な距離感を保って余計な干渉をしない事なのかも知れない。
「あ。スイセンさん、お茶飲みます?」
「あぁ、大丈夫。お気遣いどうもー」
 呑気な会話を繰り広げ始めたスイセンに、アスターもそろそろ限界を感じつつあるのだろう。言葉に滲んだ感情が、怒りに呼応する様に鋭い棘を纏い始める。
「スイセン。お前は何をしに来た。用が無いなら帰れ。今すぐ帰れ」
「やだなぁホントに気が短いんだから。僕だって暇じゃ無いんだし、用も無く此処へ来たりしないよ」
「この前ただ茶を飲む為だけに出没したのは何処のどいつだ。此処は茶屋では無いと何度言わせる」
「やー、それは誰の事だろうねえ」
 アスターからワザとらしく目を逸らして惚けると、スイセンは空いた椅子に座った。
「……とまぁ冗談は置いといて、だ。新しい“アリス”が来たって耳にしてね。どんな娘なのか興味があってちょいと覗きにってワケさ。で、今は説明の途中って所? 毎度毎度ご苦労さん」
 言葉は労いそのものだが、心が籠っていないのは気のせいか。ルピナスがそんな感想を抱くと同じ頃、アスターの表情が更に険しくなった。どうやら意見は一致しているらしい。しかしこれ以上何を言っても無駄と悟ったのか、口を開く事はしなかった。代わりに、ルピナスは問い掛ける。
「ええと、スイセン……だっけ? 貴方も“アリス”の事を知っているの?」
「もちろん。“ワンダーランド”で“アリスの伝承”を知らない者は居ないよ」
 返答は当然とばかりに是であった。それと同時に発せられた単語に、ルピナスは首を傾げる。
「“アリスの伝承”?」
「あら、もしかしてまだ聞いてない?」
「これから話をする所だったんだ。自分で邪魔をしておいて何を言う」
 ここぞとばかりに鋭い声が飛んで来た。それを興味深そうに受け止めて、スイセンは胸を張る。
「ほぅ。じゃあお詫びに僕が説明してあげよう。アリスの伝承”っていうのは、“ワンダーランド”に伝わる噂みたいな物さ。僕達が今居る此処は女王が治める“ハートの国”なのだけど、彼女はひどく癇癪持ちでね。自分の気に入らない事があると、その元凶を処刑する事を厭わないような所があったんだ」
「そんな勝手、許されるハズが無いじゃない! 私、そういうの嫌いよ」
 不快感を露わに、ルピナスは言い切った。権力を盾に横暴な振る舞いをするなど、許される事では無い。ましてや個人的な感情だけで他人の命を弄ぶなど、許してはいけない。例えどんな理由であったとしても。それが国を治める者であるならば、尚更だ。
「まぁ、当然の反応だね。君の意見は正しいよ。でも彼女は女王だ、平民である僕達が正論を言った所でどうこう出来る存在じゃない。それだけは、理解して欲しいな」
「……分かってるわ。でも、納得はしないし出来ない」
「うん、それで良い。本当に正しいのは君だ。その心を捻じ曲げる必要は無いからね」
 静かに頷いて、スイセンは肯定した。先刻までとは打って変わった穏やかさに、調子が狂う。
「――――さて、話を戻そう。ある日、見知らぬ少女がやって来たんだ。彼女の名前は、アリス」
「それが、一番最初の“アリス”だったわけね?」
「ご名答。彼女は違う世界から来たという。だけど何故此処に来たのか、そしてどうやって戻るのかが分からない。だからアリスは“ワンダーランド”を見て回り、手掛かりを探す事にしたのさ」
「手掛かりは、何かあったの?」
 問うと、スイセンは首を振った。
「残念ながら。巡り巡ったアリスは城に辿り着いて、女王に謁見する事になったんだけど……まぁさっきも言った通り、女王の性格には少々難があった訳だ。そしてアリスは真っ直ぐに物を言う性格だった」
「そんなの、ぶつかるのは目に見えてるじゃない!」
 ルピナスの叫びは、悲鳴に近かった。その後の光景など、容易に想像出来る。
「お察しの通り、アリスは女王の振る舞いを見て、真っ向から反発した。勿論女王は怒り心頭、即座にアリスを処刑しようとしたが、アリスは決して折れる事はしなかった」
「強い人なのね」
「あぁ。アリスは自分が間違っているとは、これっぽっちも思っていなかったんだ」
 呟く様に言うその言葉には、懐かしむ響きが滲んでいた。それをスイセンは目の当たりにしていたのだろうか。そう思い至る事が出来る程に、その口調は懐古的であった。
「それで、アリスは……どうなったの?」
「アリスは死を前にしても恐れる事無く、自分の主張を曲げなかった。自分の正しさを信じ続けた。その意固地なまでの信念に、遂には女王の方が折れたんだ。女王はアリスに好意を持ち、行く宛のない彼女を城に招いた。真っ直ぐなアリスの意見を政治にも取り入れる様になって、女王による恐怖政治の時代は終わったんだ。でも、ある日アリスは姿を消した。忽然とね」
「――――え?」
 唐突な幕引きに、ルピナスは呆然とする。いつの間にか、物語を聞いているかの様な錯覚に陥っていたらしい。そして物語はハッピーエンドであると、そう信じ込んでいる自分に気付く。
「元の世界に帰ったのか、何らかの理由で身を隠したのか……推測は尽きないけど理由は不明とされてる。女王はアリスを失った事で精神バランスを崩してね。今はもう抜け殻の状態だって専らの噂さ。これが、我々の間に伝えられている“アリスの伝承”っていうワケ」
 スイセンはそう締め括った。違和感を覚えて、ルピナスは眉を顰める。
「ちょっと待って。『今』? それって昔話の様な物じゃないの?」
「伝承に出て来る女王は、現在この国を治める女王ダリアその人だ。……まあ、現状を見る限りでは治めているとは到底言い難いが」
 無言で説明を聴いていたアスターが、皮肉と共に補足する。
「『伝承』なんて言うから私、ずっとずっと昔の出来事なのかと思っちゃった」
「実際、昔の様な感覚なのさ。僕達にとってはね。初代のアリスが居なくなった後、何人もの少女達がこの“ワンダーランド”に迷い込んで来たんだ。そんな彼女達に案内を続けるうちに、時間の感覚も狂い始めたと言うか。ねえ? アスター君」
「……何故俺に訊く」
「べっつにー」
 睨まれたスイセンが、楽し気に口笛を吹く。
「それじゃあもしかして貴方達、今まで来た“アリス”に会ってるの?」
「あぁ。全員にな」
 短く、アスターが答える。
「一番最初の、伝承のアリスにも?」
「……あぁ」
 何処か渋い表情で、アスターは再び頷いた。其処に、トレニアが割って入る。
「此処に来た“アリス”を、女王に会わせるのが僕達の役割なんだ」
「女王に? ……って事は私も、その女王に会いに行かなきゃならないの?」
「そういう事になるな。この説明も、その一環に過ぎない」
 肯定の言葉に、ルピナスは黙り込む。トレニアが首を傾げた。
「どうかしたの? “アリス”」
「“アリス”じゃなくてルピナスね」
 反射的に訂正してから、ルピナスは呟く。
「だって、伝承に聞く女王って癇癪持ちって話じゃない。自分が絶対。意見に反する者は許さない。そんな人、どう考えたって私もそりが合わないと思うんだけど」
「おぉ、自分の性格よく分かってるねえ」
 感心した様子で、スイセンが言う。誉め言葉と受け取って良いのかは甚だ疑問だが、嫌味では無い事は分かった。手放しで喜びたい、という言葉でも無かったが。
 方向性がズレ始めた会話に、アスターが口を挟んで軌道修正する。
「話を聞いていなかったのか? その女王も今では心神喪失状態だと言っただろう」
「あ、そっか。……でもそんな状態で会いに行っても意味が無いんじゃないの?」
「それは分からないよ? 例え抜け殻状態だったとしても、女王は今でも“アリス”を求めてる。“アリス”に会えば、正気に戻るかも知れないしね」
「……なるほど」
 それも一理ある。女王の精神状態が崩れた事が“アリス”の行方不明による物ならば、本人を目の前に連れて来る事が一番の薬になるだろう。但し、それが本当の“アリス”であったならば、だ。少なくとも、それはルピナスの事では無い。効果があるのかは、疑問であるが。
「消えた“アリス”を見つけ出し、女王のもとへと連れて行く――――それが、僕らの役目。“アリス”が目の前に居る以上、臣下としては役目に準じるのがが妥当じゃないかい?」
 此方の考えを見透かしたかの様に、スイセンが言った。軽快な軽口で此方を翻弄したかと思えば、鋭い観察眼を披露して見せる。その移り変わり様は、同じ人間とは思えない程で。堅物を絵に描いた様なアスターが苦手としているだろう事も、納得がいく様な気がした。
「お前が臣下とは、お笑い種だな」
「失礼な。こう見えても王室には貢献してるつもりなんだけどねえ。一応、最後の魔術師名乗らせて貰ってるんで。……という訳で“アリス”、君はどうする? 定められたルートを辿る形で申し訳ないけれど、城への道程を進んでくれるかい?」
「言い回しは問い掛けであり、お願いであるけれど、実の所、選択肢は無いって事でしょう? 良いわ。初代の“アリス”がもし本当に故郷に戻ったんだとしたら、私にも帰る希望は持てる筈だし」
 何も分からないままじっとしているよりは、ずっと良い。ルピナスは意を決して、そう断言した。


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