第3話 みっつの審判


「じゃあ、出発の準備しないとだね。荷物取って来ないと」
 ルピナスの決意を聞いたトレニアが、張り切ってそう宣言した。そうして先を急ぐかの如く駆け出そうとする背中に、ルピナスは率直な疑問をぶつける。
「ちょっと待って。トレニア、貴方も一緒に行くの?」
「もちろん。僕だって“アリス”の案内人のひとりだから。それに“アリス”と一緒ならネリネの所にすぐ行けるし、僕としては都合が良いと言うか。そんな、個人的な理由もあったりするけど、でも役目はちゃんと全うするよ。ここ最近は、僕ひとりで“アリス”を案内してたし。……途中までだけど」
「ネリネ? 途中?」
 説明を聴いていた筈だったが、更なる疑問が膨れ出ている事に気付く。頭の中の整理が追いつかず、口を突いて出たのは気になった単語だけであった。しかしそれでも彼には言わんとする事が伝わった様で、トレニアは更なる説明を加えてくれる。
「ネリネは、僕の友達。ふたつめの扉の先で待ってるだろうから、進んでいけば必ず会えるよ。ネリネ、“アリス”に凄く会いたがっていたから。きっと喜ぶと思うよ」
「そうかしら。私は、そのネリネって子が待っている“アリス”じゃないもの」
 反射的に口にした言葉は、自嘲の様な響きを纏っていた。それに自身でも気付き、ルピナスは唇を噛む。彼らが求めているのは、自分であって自分では無い。そんな違和感が、ずっと拭えずにいた。皆に求められているかの様で、違う。実の所ルピナスを通して別の誰かを見ている。此処に居る事を望まれているのは、自分では無い。そんな、劣等感にも似た何か。それが、胸の内で燻っている。
 それを霧散させたのは、トレニアの真っ直ぐな言葉だった。
「大丈夫だよ。ネリネは、“君”に会う事を喜んでくれる筈だから」
「“私”に――――」
 心を見透かした様な一言に、ルピナスの心が騒ぐ。
 実際の所、心を読んだという訳では無いのだろう。純粋に此方を眺める表情は、驚く程に真っ直ぐで。相手の動向を把握して動く様なタイプには、到底見えない。しかしそういった些細な事を本能的に察知する才能があるのだろう。無意識の為せる業、と言うべきか。
 ルピナスは、納得する様に頷いた。彼の言葉が真実である事を、願う様に。
「そうね。楽しみにしてる。ところで、ふたつめの扉って?」
「あぁ、その説明がまだだったな」
 思い出した様に、アスターが呟いた。ルピナスは彼に視線を向け、説明を求める。
「“アリス”は城に辿り着くまでに、みっつの扉を潜って住人達と会う必要がある。それぞれの扉で審判を受けて、女王のもとへ導くべき“アリス”である事が認められれば先に進めるという寸法だ」
「審判? そんなの聞いてないんだけど」
「あぁ。今初めて言ったからな」
「…………」
 悪びれもなく言い切るアスターに、ルピナスは怒るより呆れて言葉を失う。ふたりの間に流れた微妙な空気を察して、弁明する様にトレニアとスイセンが口々に割って入った。
「難しく考える必要は無いよ。ふたつめまでは、審判なんてあって無い様な物だから」
「そうそう。審判なんて言い方がいけないのさ。要は話し合い、君は気楽に構えていればいい。皆、どちらかと言えば君の味方だからね。最後はまぁ……アレだけど」
 後半を曖昧な表情で濁したスイセンに、アスターは鋭い視線を向ける。
「出発前だと言うのに、不安を煽る様な事を言ってどうする」
「そうですよスイセンさん! 行ってみないと分からないじゃないですか!!」
「うん……最初にそれっぽい事言ったのは君だけどねトレニア君……」
 彼らの様子から察するに、最後の扉の先に居る相手が手強いという事なのだろうか。そう、ルピナスは推測を立てた。そもそも、過去の“アリス”達は無事に城まで辿り着けたのか――――その点について、事実を聞いていない事に気付く。意図的に伏せていたとは、思いたくないが。
「そう言えば、さっき『途中まで』がどうこう言ってたわよね。それが関係してるの?」
「あ、ええと……うん」
 問いを投げると、トレニアが歯切れ悪く頷いた。
「さっきも言ったけど、ふたつめの扉までは審判なんていう程の何かがある訳じゃないんだ。でも、みっつめは違う。審判って言うなら、みっつめの扉の事を言うんじゃないかな」
「なるほど。つまり今までの“アリス”達は其処で苦戦した、って事ね?」
「苦戦なんて物じゃ無いよ。瞬殺さ」
 スイセンは言い切った。嘘も偽りも無く、爽快な程に。
「初代を除いて、過去の“アリス”は城まで辿り着く事が出来なかった」
「な――――」
 ルピナスは言葉を失った。城までの道程を案内され、向かう事を望まれた少女達がひとりも辿り着く事が出来なかったとは。そこまでの結果は、正直頭に無かった。
「ちょっと、それってどういう」
「これ以上は、今話しても仕方の無い事だろう」
 ルピナスは問い詰めようとしたが、即座にアスターが切り捨てた。
「確かに過去の“アリス”達は城に辿り着く事が出来なかった。だがその事実と、お前の道程は別の話だ。過去の“アリス”が出来なかったからと言って、お前も出来ないという訳では無い。違うか?」
「……違わない、けど」
 彼にしては饒舌とも取れる説得に、ルピナスは頷く以外の道を見出せなかった。
 話を中断された事に納得をした訳では無い。しかし、彼の言う事が間違っているとは思わなかった。過去の“アリス”達と自分は違う。ならば彼女達が出来なかった事を、自分が成し遂げるという未来もあるだろう。どちらの結末を掴むのかは、自分次第だ。
「ならば、準備が出来次第出発するぞ。先刻の話は、その時がくれば説明もする」
「なら、いいわ。今はそれで納得してあげる」
「それじゃあ僕、準備して来るね」
 ぱたぱたと足音を立てて、トレニアは階段を駆け上がっていった。
 それを見送りながら、スイセンが纏める様に口を開く。
「ま、色々言ったけど君の思う通りに進めば良いさ。君を此処に呼び寄せた思惑はあるかも知れないけどね、進む道を決めるのは君自身の意思が全てなんだから」
「……そうね」
 ルピナスはすっかり温くなってしまったお茶を飲み干す。熱が逃げてしまっても、それに宿る風味は損なわれる事が無かった。要は、それと同じ事だ。変化が起きてゆく中にも、決して変わらない物がある。自分自身を見失わなければ、必ず。道は開けると信じて、進むしかないのだろう。
「まだ色々混乱はしてるけど、前に進めそうな気はするわ」
「それは良かった」
「ならば、トレニアが戻り次第出発するぞ」
 立ち上がったアスターが自身も支度を始めるのを見て、ルピナスはぱちりと目を瞬かせる。
「あぁ、貴方も一緒に行くのね」
「“アリス”の行く先を見届けるのが俺の役割だからな。同行させて貰う」
 悪気は無いのだが、少々棘のある言い方だっただろうか。そう思ったのも束の間。アスターは全く気にする素振りも無く、淡々と言葉を返した。表情に出ないというのは果たして利点なのか欠点なのか。深く考え始めそうになって、ルピナスは思考をシャットアウトした。今重要なのは、そんな事では無い。
「そう、分かったわ。ええと、確か貴方は……」
「アスターだ」
「宜しく。アスター」
 掌を差し出すと、彼は僅かに戸惑った顔をした。しかし、すぐにその手を握り返す。
「あぁ。宜しく頼む」
 そうして、ふたりはしっかりと握手を交わした。


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