第4話 最後の魔術師


 トレニアの準備が整うまでは、少々の時間を要する様だった。手持無沙汰になったルピナスは、そこで漸く周囲を観察出来る余裕が生まれた事に気付く。屋敷に入ってからは目まぐるしく話題が進んでいって、注意深く話を聞いていなければ理解が追い付いていかなかったのだ。
 ぐるりと首を巡らせれば、壁のあちこちに掛けられた帽子の数々が目に入る。多種多様の色やデザインに溢れるその様子は、まるで美術館に飾られた絵画の様であった。トレニアは帽子屋として機能していない様な事を言っていたが、内装はどう見ても現役と言っても良い様に思える。
「アスター。貴方、帽子屋なのよね?」
 白黒ハッキリしないと気が済まない性格は、こんな時でも発揮するらしい。気付けば、ルピナスは問いを投げていた。唐突な問い掛けに、しかしアスターは顔色ひとつ変える事無く肯定する。
「そうだ。いや……だった、と形容する方が正しいか」
「過去形? 今は違うってこと?」
「聞いて驚け、このアスター君てば女王陛下お抱えの帽子屋だったんだよ」
 補足とばかりにスイセンが割り込む。アスターが、余計な事をとでも言いたそうに眉間に皺を寄せた。
「それも過去の話だ。女王が今の状態になって以降、表舞台に出る事は無くなったからな。帽子なんて物は不必要になり、俺はお役御免という訳だ」
「何も其処まで自虐的な言い方しなくても良いと思うけどねえ」
「事実だろう。提供する相手が居なくなった以上、全ては過去の事に過ぎない」
「でも、今でも作ってはいるのでしょう? 奥の机の上にあるそれ、作り掛けの物よね」
「――――――――」
 僅かに、アスターの表情が変わった。その胸中に生まれた感情こそルピナスには分からなかったが、先刻の指摘は彼にとって予想外だった様だ。ルピナスは続ける。
「それが誰の為の物かは私には分からないけど。それが例え自分の為だったとしても、作り続ける事が出来る程の思いが込められている事は確かでしょ? 女王の為だけの帽子屋じゃ無い筈だもの」
「……どうだかな。送る相手の無い物に意味は無いと思うが」
「意味があるのは、作る事の方でしょう?」
 ルピナスは、真っ直ぐに言い切った。本心から出た言葉だったが、アスターはそう捉えなかったのだろうか。何処か驚く様な、困惑する様な、形容し難い表情で押し黙る。動揺したのはルピナスの方だ。
「な、何? 私、何か変な事言った?」
「お前は――――いや、何でもない」
 何かを言い掛けたアスターだったが、躊躇う様な素振りを見せるとそれ以上の言葉は閉ざした。彼の態度は気になったが、人の内面に不用意に触れる事は避けるべきだろう。深追いするなど以ての外だ。誰にだって、触れられたくない物のひとつやふたつ、あるのだろうから。
「お待たせしましたー」
 準備の整ったらしいトレニアが、小さな鞄を手に戻って来た。掛かった時間の割に少ない荷物に、ルピナスは思わず目を瞬かせる。大きなリュックでも背負ってくるかと思っていたので、若干拍子抜けだ。しかし移動の事を考えると荷物は軽いに越した事は無い。旅慣れている者はいかに最小の荷物に纏めるかの術を知っているというが、トレニアもそうなのだろうか。
「随分と少ないのね、荷物」
「うん。長旅じゃないし、手ぶらでも良いくらいなんだけどね。用意しておくに越した事は無いというか」
「なるほど」
 長期にならない事が分かって、ルピナスは安堵する。言われるがまま道を辿る事に決めたは良いが、どれだけの時間を必要とするのかは把握出来なかった。しかし過去にも“アリス”を導いた事があるという彼が言うのだから、何日も歩き通し、などという事は無いのだろう。
「アスター、荷物はいつもの通りで良いよね?」
「あぁ。懐中時計は持ったな?」
「安心して、ちゃんと大切にしまってあるよ」
「なら問題ない」
「今回こそ、使えたら良いね」
「……そうだな」
 気になる会話の様な気がして口を挟もうとしたが、スイセンの陽気な声に阻まれた。
「ん、これで準備はオッケーだな。それではお三方、道中お気を付けて」
「貴方は行かないの?」
「ん? まぁね。一緒に行って欲しいってお言葉は有り難いけど、僕には僕の役割があって仕事があるんだ。残念だけど、君とは此処でお別れだ」
「……一緒に行って欲しいとは言ってないけどね」
 思わず漏れた言葉は、スイセンの耳まで届かなかった。本当は聞こえていたのかも知れないが。
「まぁでも、機会があればまた会う事もあるだろう。何せ、神出鬼没だからね。僕は」
「自分で言うか、普通」
「でも間違って無いよ。スイセンさん、いつも突然出て来るし」
「あー……それは確かに否定しないけど、ね、っと」
 旧知のふたりのツッコミに苦笑しつつ、スイセンは人差し指でくるりと円を描いた。そのまま流れで指を鳴らす。ぱちんという軽快な音が、静かな室内に広がった。さり気無い動作であったが、何処か目を引く様な動き。思わず、ルピナスは目を奪われていた。
「よし。玄関をひとつめの扉がある場所に繋げておいた。潜ればすぐ、最初の目的地だ」
「ちょっと! 貴方、そんな事が出来るの!?」
 スイセンの有り得ない言葉に、ルピナスは衝撃を受けた。先刻入って来たドアを開けたら別の場所に辿り着くなど、常識で考えて有り得ない。奇跡か、それこそ魔法でなければ。
「スイセンさんは“ワンダーランド”で唯一魔術を扱える人なんだ。こう見えて、凄い人なんだよ」
「こう見えて、は余計だと思うんだけど……」
「それが不服なら、せめて敬われる様な振る舞いをするんだな」
 分かり易く拗ねて見せるスイセンを、アスターが冷静に切り捨てる。
「僕のアイデンティティをそう簡単に捨てる事なんて出来ないよ。ま、でも結局は実力が全てさ。無いよりはあった方が――――と、まぁ僕の話はそこまでだ。いつまでも此処で世間話をしている場合じゃ無いからね。いってらっしゃい、“アリス”。君の行く先が、どうか幸福でありますように」
「ええ、ありがとう。また、会えると良いわね」
「会えるさ。必ず、ね」
 何処か確信を持つ様な声で、スイセンは言い切る。何処からその自信が来るのかと不思議に思いはするが、スイセンが言うと本当にそんな気がして来るから尚の事不思議で仕方がない。それも一種の魔術効果なのだろうか。違う様な気がするけれど。
「それじゃあ、行ってきます」
 繋がったという景色は一体どんな物なのだろう。期待を胸に、ルピナスはドアノブに手を掛けた。

*

 手を振り扉の向こうに消えていく姿を見送って、スイセンは息を吐き出す。
「……どうやら成功だったみたいだな。でも、問題はこれからだ。さて、どうするのかねえ。坊ちゃまは」


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