第1話 眠れる森の少年


 鬱蒼と繁る森の中を、ひとりの少女が歩いていた。
 彼女は空の籠を腕に提げ、そして手書きのメモを頼りに先へと進んでゆく。しかしその足取りは確かとは言い難かった。それも無理のない事だろう。彼女の居る場所は整備された道を持たぬ森の中。油断したが最後、気付かぬまま見知らぬ方向へ歩みを進める事も充分に考えられる。
「なんで、こんな森の中に……」
 恨み言の様ば呟きを漏らしながら、少女――――スピカ・クウェイルはメモに視線を落とす。其処には簡易的な地図と、其処へ辿り着く為の細かなアドバイスが記されていた。明確な目印を持つ町中と違い、森に於いては普遍的な目印を見出す事は困難を極める。その不可能を可能へと導く為の手掛かりが、師匠から託されたそのメモであった。
「コレ失くしたら、私きっと帰れなくなりそう……」
 深い溜息と共に再び呟きを零すと、スピカは気を取り直して周囲に視線を配る。そうして漸く視界に飛び込んで来た物に、彼女は目を見開いた。
 それは、小さな小屋だった。
 飾り気の無い至ってシンプルな木造の家屋は、其処が住まいも兼用している事を容易に想像させる。入口の傍にひっそりと置かれた看板が無ければ、ただの個人宅だと認識してもおかしくは無かった。
「此処が、師匠( せんせい )の言っていた薬屋、ね。たぶん」
 看板に書かれた文字を確かめて、呟く。其処には店の名がある訳でも無く、ただ簡潔に「薬屋」とだけが書かれていた。店名が無い事には若干の疑問も感じるが、こんな辺鄙な場所に薬屋がもう一軒存在するとは考えにくい。目的の店で間違いないだろうという確信を胸に、スピカはドアノブに手を掛けた。
「こんにちはー。どなたか、いらっしゃいますかー?」
 ドアの隙間から店内を覗き込み、問い掛ける。しかし客の姿はおろか、店員の姿も其処には無い。呼び掛ける声は、静まり返った店内に寂しく響いた。彼女の声に、反応する気配も無いままに。
「留守……な訳無いわよね。幾ら森の中って言ったって、鍵も掛けずに出歩くなんて不用心すぎるし」
 僅かな迷いはあったが、そのまま店の中に足を踏み入れる。大方、店の奥か居住空間あたりに用事があって出払っているだけなのだろう。そう勝手な当たりを付けて、スピカは待つ選択をした。
「お店の人が居ない事には用件も伝えられないし……戻ってくるまで観察でも」
 言い訳をする様に呟きながら、店内を見渡す。薬屋と言っても一般の薬屋とは違い、此処は魔術に関係する薬品を主に取り扱う薬屋である。周囲に置かれた品々は彼女が見知らぬ物も多く、決して広くは無いその空間は魔術という分野の未知さを存分に体現していると言えた。
「何かしらコレ。見た所植物か何かを乾燥させた物みたいだけど――――」
 ふと目に留まった品に手を伸ばし掛けた瞬間。大きな荷物を落としたかの様な壮大な物音が響き渡った。
「ひゃぁああ! ……な、なに!?」
 反射的に情けない声を上げてしまってから、その場に誰も居ない事に安堵する。
「店の奥……から聞こえて来た気がするけど。もしかして、何かあったんじゃ……」
 カウンターの奥にある扉は、恐らく店の奥に繋がっているのだろう。それをじっと見つめながら、どうするべきか思案する。余計なお世話だという思いと、もし何か取り返しのつかない事態が起きていたらという思いが、次々に浮かんでは消えていった。どちらが正しい選択なのか、分からない。分からない、けれど。
「何かあってからじゃ、遅いもの。だから、すみません、お邪魔します……っ!」
 その場に居ない店員に謝罪をひとつ述べて、スピカは扉へと駆け出していた。
「あの、どうかしましたかー? 何か、あったんですかー?」
 店に入った時と同様、ドアの隙間から奥へと呼び掛ける。しかし、返事は無い。侵入を咎める声も、助けを求める声も返らない。さっきの物音は気の所為だったのかとも考えたが、止まる理由にはならなかった。そのまま廊下に足を踏み入れ、奥へと進んでゆく。
 灯りの無い廊下は薄暗く、初めての身では手探りで進むしか無い。恐る恐る、といった足取りでゆっくりと進んでゆくと、不意に木の軋む音が響き渡り、スピカは声にならない声を上げた。
「ひゃぁ…………っ!」
 まるで、幽霊屋敷にでも忍び込んだ気分だ。小刻みに揺れる心臓を押さえ、動揺の隠せないままに原因を探る。すると、先程通り過ぎたらしい部屋の扉が薄く開いている事に気付いた。薄暗いとは言え、部屋が、扉がある事に気付かない事があるだろうか。そんな疑問は浮かんだが、全てを冷静に把握出来る状況に無い事を考えれば見落とすのも無理は無いだろう。
 一瞬の迷い。けれどそれはすぐに打ち砕かれた。
「あの、誰かいらっしゃいますか……?」
 問い掛けと共に、室内を覗き込む。そうして飛び込んで来た光景に、スピカは言葉を失った。
 其処は、広くは無い倉庫、の様な場所。木箱が積み重ねられている様はまさに倉庫で、説明としてはそれが適切だと言えた。しかし木箱が置かれているのは部屋の奥の一部のみで、殆どは床が露わになっている。そしてその床には緻密な文字と記号の羅列。円を書く様に配置されたそれは、所謂魔法陣と呼ばれる物に相違ないだろう。そして僅かに発光するその陣の中心には――――人、が眠っていた。


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