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第2話 目覚めの時 そっと近付いて覗き込めば、それはまだ幼い顔立ちをした年若い人物であった。シルクベージュの髪は細く柔らかそうで、触れればさらりと解けてしまいそうだ。 「おとこの……こ? 何でこんな所に?」 その疑問は尤もであった。薬屋の奥の部屋で少年が眠る場に遭遇するなど、普通に考えてあり得ない。 しかしこの場に居るという事は、この店もしくは店主の関係者なのではないだろうか。それに、先刻の物音の原因がこの場であるとしたら、そしてそれによって彼が倒れているのだとしたら、彼の容体が心配だ。 「あ、あのっ、すいません、大丈夫ですか……!」 「――――誰か居るのですか!?」 「え? あ、あのっ、私、その」 少年に向かって手を伸ばした矢先に飛んで来た鋭い声に、スピカは慌てて振り向こうとし、そして。 「きゃぁっ!」 盛大に転んだ。眠る少年に激突しなかった事だけが、不幸中の幸いだろう。 「うぅ、痛ったぁ……」 打ち付けた腰をさすりながら、スピカは入口へと視線を上げる。そうして、見知らぬ男性と目が合った。ハニーブラウンの髪の、穏やかな風貌の青年だ。しかしそのペールグリーンの瞳は、今は鋭くスピカを射抜いている。 「此処は立ち入り禁止区域の筈ですが。どうして貴方は此処に居るのです?」 問い掛ける声は、氷の様に冷たかった。圧倒的に不利な状況である事は分かっていたが、弁明をしなくてはならないだろう。少なくとも、悪意があって立ち入った訳では無い事を伝えたいが、果たして素直に納得してくれるのか。そんな不安で、胸中が支配される。 「あ、あの、勝手に入った事は謝ります。ごめんなさい。私、お店に用があって来たんです。一応声を掛けたんですけど、応答が無くて。そうしたら奥から大きな音がしたから、もしかしたらお店の方に何かあったのかも知れないと思って……思わず。ごめんなさい……」 精一杯の誠意と共に、現状に至るまでの説明を言葉にする。厳しい表情が揺らぐ事は無かったものの、彼は黙って此方の言い分を聴いてくれた。 「事情は分かりました。貴方の訪問に気付かなかった私にも非はあります。ですが、此処に居るべきでは無い者が、此処を知るべきでは無い者がこの場に居る。それを見過ごす事は出来ません」 「ええと、それは……そこで眠っている……」 「詮索は無用です」 問い掛けは、鋭い一言で切り捨てられた。 「現状は言わば事故の様なもの。ですから、それはもう咎めません。ですので、貴方の為すべきは此処で見た物を今すぐに記憶から消去し、誰にも口外しないこと。ただそれだけです」 幾ら悪気が無かったとは言え、見てはいけない物を見てしまったのかも知れない。思いながら、スピカはぶんぶんと首を縦に振ろうとして、不意に聞こえた涼やかな声に動きを止めた。 「その辺にしておきなよ。彼女、戸惑ってる。それに、寝起きに聞こえてくるのが叱責というのは、あまり気分が良いと言えないからね。その辺りで手心を加えてやってくれないかい?」 青年の表情が、みるみるうちに驚きに変わってゆく。スピカは彼に倣う様に視線の先をなぞり、そうして目を見開いた。其処には、先程眠っていた少年が、半身を起こした状態で座っている。 「シリウス……!」 半ば悲鳴にも似た声を穏やかな笑顔で受け止めて、少年はひらりと手を振った。 「やぁ。君は変わらないね、アトリア。元気そうでなによりだよ」 「何故。……いえ、この日が来る事は承知していました。ですが、今この時とは」 アトリアと呼ばれた青年の表情が、明らかな動揺に変わっていた。しかしそれを意に介さず、少年は問う。 「第三者の介入は、予想して無かった?」 「此処は他人の立ち入りを禁じていたのです、考えた事さえありませんでした」 「何事も不慮の事態という物は存在するからね。君がそれを考えなかったなんて、珍しい」 揶揄う様に言って、少年は笑う。青年の方と言えば、身を縮めるばかりだ。一見すると少年の保護者とも見える彼だが、遣り取りを見ている限りではその立場は逆転している様に思える。 「確かに貴方の残した言葉は正しかった。しかし、それがこの様な形になるとは誰が想像出来ますか」 「まぁ、ね。僕自身、この形までは予測していなかったけれど……何か、介入でもあったかな」 呟きながら立ち上がるとスピカに歩み寄り、その手元を指差してみせた。それに導かれる様に、スピカの視線も自然とそれを追う。そうして目に入ったのは、自分の掌の下で元の形を失ったラインの跡。先刻まで発光していた筈のそれは、今やチョークで引かれたただの線でしか無かった。 「ほら、其処。彼女の手の所。擦れて消えてるだろう? それで、術が途切れたってワケ。物理的な理由としてはそれだね。これが無ければ、僕はまだ眠っていた可能性が高そうだ」 消えてしまったライン。元の形を崩してしまった事実に、頭が真っ白になる。 「あ、あの。もしかして私は何かとんでもない事をしてしまったのでは……!」 「あぁ、いや。そういう訳じゃ無いよ。君のお陰で僕は目覚める事が出来たんだし、そういう意味では寧ろ、感謝すべき事なんだろうから。詳しくは場所を変えて説明しよう。アトリア、お茶の準備を頼むよ」 「……承知致しました」 小さな礼ひとつを残して、アトリアは迷い無く部屋を出て行く。スピカの処遇に言及する事無く。 纏まり切らない頭の中、スピカはただ少年を眺める事しか出来なかった。シルクベージュの淡い髪に、ブラウンレッドの瞳。中性的ですらあるその面立ちは淡々とした言動と相まって、不思議な神秘性すら漂わせていた。 不躾にもまじまじと眺めるスピカに文句のひとつも言わず、少年は立ち上がると手を差し伸べる。 「手を貸すよ。立てる?」 差し出された掌は白く細く、そして美しかった。無意識のうちに、動揺が胸中を支配してゆく。 「あ。はいっ、大丈夫ですっ、ひ、ひとりでもっ」 ぶんぶんと手を振ってスピカは立ち上がろうとしたが、平常心を保てぬ足がもつれて転びそうになる。それを支えたのは、細い腕だった。予想もしていなかった展開に、スピカの意識が弾け飛ぶ。 「ほら、だから言っただろ。遠慮しないで」 「……………………はい」 ハッキリとしない意識の中、素直に差し出された手を取る。引き寄せる力は、細身の身体から生まれる物とは思えない程で。幾ら少年と言えど、男性の力の強さを思い知る。 無事に立ち上がったのを確認すると、少年はドアの前まで歩き、そうして振り返った。 「案内するよ。ついて来て」 その言葉に、スピカはただ頷く事しか出来なかった。 |
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