第4話 結果の行方


「それではふたりとも、『ロゼリア・マルゴーの涙』をこの中へ入れて下さい」
 テーブル上のカップを示して、静かにコルテスが言った。緊張の浮かぶ面持ちで、ふたりはテーブルに近寄る。半透明の色をしたカップの中身が、ゆらりと揺らいだ。
 覚悟を決めて、それぞれがカップの中へと浄化した種を沈める。瞬間、液体がその色を変えた。スゥイティアは薄い桃色に。そしてマルセアは濃い白に。
 一見しただけでは、結果は分からない。しかし現れ出でた異なる二色が、ふたりの明暗を分けたであろう事は明白だ。どちらも失敗という可能性も、有り得ない話では無いが。
「ふたりとも、この色を見て結果は分かりますか?」
 試す様に、コルテスが問う。
「……いいえ」
 マルセアが答えた。スゥイティアも首を横に振る。
「では、その結果を試してみましょう。その方が、明確ですものね」
 コルテスはふたつのカップを手に取ると、窓際へと向かった。
 其処には、今にも枯れそうな植物が植えられている小さな鉢がふたつ。コルテスは各々にカップの中の液体を流し込んだ。ふたりは息を飲んで、コルテスの動作を見守る。
 液体が土に染み込むと、変化はすぐに訪れた。一方の植物のみが、弱々しく垂れていた頭を持ち上げたのだ。その不可思議とも言える光景に、ふたりは思わず目を疑う。それは常では有り得ない、奇跡的な変化だった。
「最凶の毒薬である『ロゼリア・マルゴー』は、正確な手順を踏んで浄化すれば奇跡の薬に変わる。貴方達が見たこれが、その威力なのですよ」
 目の前で見せられた奇跡。それは即ち、一方が正しく浄化されているという何よりもの証明だ。ならば、どちらがその奇跡を作り上げたのか――――。
「分かっていますね? マルセア」
「…………!」
 柔らかく告げられた言葉に、マルセアがハッとする様に顔を上げた。自信の失敗を恥じる様に俯いていたスゥイティアは、変質した場の空気に疑問を覚える。状況が読めないまま上げた視線の先で、戸惑いの色を浮かべるマルセアの姿が映った。
「わたくしの負けです。判定などせずとも、初めから分かっていた事ですわ」
 観念する様に、マルセアが声を絞り出す。スゥイティアは耳を疑った。マルセアが負けるなど、ある筈も無い。マルセアが失敗する、筈が無い。
「どうしてマルセアの負けなの? ねぇお師匠様、わたしが失敗したんですよね?」
「いいえ。スゥイティア、貴方は正しい浄化に成功しました。今見た物が、確かな証拠です」
「うそ……」
 スゥイティアは否定の言葉を呟いた。師匠から断言されたその言葉を、信じる事が出来ない。マルセアは自分よりも遥かに優秀で、失敗などする筈が無いのに。
「そんなの、何かの間違いです。だってマルセアは完璧なんだもの、わたしが成功してマルセアが失敗するなんて、そんなの絶対におかしいです。お師匠様、ちゃんと確認して下さい。きっと、そのコップの中身を取り違えただけで」
「――――お止めなさい!」
 マルセアが一喝した。常とは違う彼女の怒気を孕んだ声音に、スゥイティアは身を震わせて黙り込んだ。マルセアは深く溜息を吐き出すと、落ち着いた声で言い放つ。
「この結果は、間違い無く正しい物です。何故なら、わたくしはワザと失敗したのですから」
 その宣言に、スゥイティアは呆然と立ち尽くす。どうして意図的に間違える必要があったと言うのだろう。どうして、そうする事を選んだのだろう。考える程、分からなくなる。
「どういう事なのか、貴方の意思を説明して貰えますね?」
 静かに、コルテスが問う。マルセアは小さく頷いて、口を開いた。
「この数年間、わたくしは薬師としての修業を積んで参りました。出来る限りの努力をして、お師匠様の名に恥じない様にと。幸い、わたくしには共に修行に励める相手が居ましたから、時に辛い事もありましたけど、苦にはなりませんでした」
 マルセアの語りに誘発される様に、先刻まで彼女が口にしていた言葉の数々が蘇る。
 ――――どうして貴方はそう自分に自信が持てないのかしら?
 ――――どうしてそうやって自分を卑下するんですの?
 ――――浄化が成功したとしたら……その時は今の言葉、訂正して貰いますからね。
「もしかして……わたしの為?」
 ぽつりと口を突いて出た言葉に、マルセアが言葉を切る。
 あの時、言葉の意味が理解出来なかった。どうしてそんな事を言うのか、分からなかった。しかし今なら、マルセアの言いたい事が分かる様な気がする。
「マルセアは、わたしにもっと自信を持てって言いたかったんだよね? わたしがマルセアに勝てば、自信がつくって思ったから……だから、ワザと失敗したんだね」
 マルセアは何も言わず、ただ儚げに微笑むだけ。しかしそれは紛れも無い肯定の意味である事を、スゥイティアは的確に理解していた。
「わたしの為にしてくれた事、凄く嬉しいよ。でも、こんな大切な時に、こんな……」
「判定を、下さねばなりませんね」
 コルテスの穏やかな声が、空間に涼しく響き渡った。非情とも言えるタイミングであったが、ふたりはそれを拒否する事が出来なかった。全ては済んでしまったこと。ひとつの結果を提示してしまった以上、あとは判定者であるコルテスの意思を待つのみだ。
 スゥイティアは服の裾を握り締めた。最早結論は出たも同然。スゥイティアは実力で浄化を成功した事が立証された。浄化の出来を見るならば、分かり切った答えにしかならない。
 しかし自ら成功を放棄したマルセアの立場を思うと、胸が締め付けられる思いがする。それは、一種の罪悪感だろう。こんな自分の為に、積み上げた物を捨ててでも退く事を選んだ同輩。その覚悟たるや、相当な物であった筈だ。スゥイティアには、到底真似出来ない。
 ちらりと窺い見たマルセアは、普段と変わらぬ様子に見えた。凛とした空気さえ纏って、どんな判定も迷わず受け入れる覚悟をその身に宿している。
「卒業試験の結果は……」
 スゥイティアは目を瞑った。それぞれが複雑な思いを抱えて、次の言葉を待つ。僅かな筈のその時間は、驚く程長い様にも感じられた。
「ふたりとも、合格です」
 宣言された結果に、ふたりは声を発する事さえ出来なかった。驚きと、そして安堵で。
 じわりと浮かび上がって来る感情にスゥイティアは目を潤ませ、マルセアは震える声で漸く声を発した。内心は恐らく同じ感情で占められているであろう彼女が、それを表に出さないのは流石としか言えない。
「その結論に至った経緯を、お聞かせ願えますか」
「いいでしょう。まずスゥイティア」
「は、はいっ」
「貴方は実力で浄化に成功しています。これに関しては貴方達の目で見た物が真実である以上、合格以外の判定を下す事はありません。それは分かりますね?」
「はい」
 マルセアが答える。スゥイティアも納得する様に頷いた。
「そしてマルセア。貴方は意図的に浄化を失敗に導きました。けれど純粋な浄化よりも難易度の高い事をしましたね」
「どういう事ですか?」
 スゥイティアは問う。浄化をするよりも上の事をした、という意味が理解出来ない。
「この植物をご覧なさい」
 言って、コルテスはマルセアの結果を確認した植木鉢をふたりに示してみせた。成功したスゥイティアの鉢とは違い、それは精気の抜け落ちた様な植物の姿があるだけだ。
「正式な浄化が出来ていない貴方の種では、この植物を治す事は出来ていません。浄化の手順を一歩でも間違えれば、奇跡の力は生まれない。そんな物を植物に与えれば、一瞬で枯れさせる事が出来ます。けれど、この花には何の変化も訪れていない。この結果がどういう事か……マルセア、説明して貰えますか?」
 説明と共に投げられた問いに、マルセアは躊躇いがちに答えた。
「それは……わたくしの勝手な都合の為だけに犠牲となる物を出すにはいかないと、そう思ったからです。この植物の様に結果を確認する為に利用した物が悪影響を受けないよう、わたくしなりの配慮は致したつもりです」
 その言葉に、スゥイティアは顔を綻ばせた。自分の予想より遥かに凄い事を、彼女はやってみせたのだ。そしてそれを、師匠は的確に見抜いていた。
「凄い、凄いよマルセア! そこまで考えてただなんて、やっぱりマルセアは凄いね!!」
「そんな事はありませんわ。成功で無かった事は事実ですもの」
「その心とそれを実現させた力が、貴方を合格の道へと向かわせたのですよ。私が手渡した資料には、純粋な浄化の手法しか書いてありません。けれど、貴方は無害な物質にする為の加工を施した。そうする為の知識と実力を、評価しない訳にはいかないでしょう?」
「……ありがとうございます」
 マルセアが深々と頭を下げた。コルテスは微笑む。
「おめでとうマルセア! 良かった……良かったよぅ」
 スゥイティアは込み上げる喜びを押さえ切れず、同輩に飛びついた。それを全身で受け止めて、マルセアは苦笑する。その瞳にも、うっすらと涙が浮かんでいた。
「ふたりとも、これからこの店を宜しくね」
「はい!」
 祝福の籠った師匠の言葉に、ふたりの声が重った。


 こうしてふたりは卒業が認められ、正式に店を継ぐ事が決まった。
 しかし失敗を起こすスゥイティア、その後始末を手伝うマルセア、そしてそれを穏やかに見届けるコルテスという関係図は、何ら変わる事はない。今までと何かが違うとすれば、それは内面の些細な変化なのかも知れなかった。


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