第5話 薬都市アルベデリア


 広場に、人だかりが出来ていた。
 王都に隣接するという特性上、町には様々な見世物小屋や旅芸人なども訪れる。人垣が出来るなど格段珍しい事でも無いが、その集まりの様子は少しばかり異質だった。
 朗らかな町の賑わいを無視する様に、しんと静まり返った人々は、一様に息を呑んで様子を窺っている。彼らが取り囲む様に形成した輪の中央には、初老の男と若い少女。地に座り込んだ男の膝には擦過傷があり、僅かに血が滲んでいた。
 男の傍らに座り込んだ少女は傷の様子を確認しながら、荷物の中から乳白色の液体が入った小瓶を取り出した。それを彼の傷に少量振り掛け、掌で触れる。
 それは、まさに魔法にも似た不可思議さであった。
 彼女が手を離した時には、傷は綺麗に消えていた。初めから、傷など無かったかの様に。
「奇跡だ……!」
 人々から、感嘆の声が上がる。大きな拍手と共に。
 大きな歓声に包まれながら、少女は小瓶を片付けると冷静な顔で立ち上がった。そのまま立ち去ろうとする彼女を、治療を受けた男が慌てて呼び止める。
「お待ちください! ――――ありがとうございました。何とお礼をすれば良いのか」
「礼など必要無い。私が好きでやった事だ」
 凛とした、良く通る声だった。荒っぽさのある男染みた口調も、彼女には相応しい物にさえ思える。その涼やかな声に、人々は知れず聞き惚れていた。
「あの、それではせめて、お名前だけでもお聞かせ願えませんか」
「…………エレイン・ブランシェット」
 迷う様な少しの間を経て、少女は答えた。

*

 アルベデリアの町は、多くの薬屋で溢れている。扱う薬の種類や効能は店によって大きく違い、幅広い品数を揃える物から限られた目的に特化した物から、多種多様だ。
 この町に薬都市、などという呼称が付けられたのも、それが所以である。
 様々な薬屋が軒を並べる通りを歩いていたエレインは、とある店舗の前で足を止めた。看板には独特の筆遣いで「トルトレイドの魔術師」と記してある。
 其処は、一風変わった商品の取り扱いをしていると一部でも有名な場所だった。薬は薬でも、怪我や病気を治す薬では無い。 通常店に並べられているのは花火だが、爆薬や劇薬を中心に、時には麻薬の類まで取り扱っているという噂もある奇妙な店である。
 営業中である事を確認して店の扉を開くと、しゃらん、と涼しげな音がエレインを迎えた。
 店の中は、至って普通の雑貨店といった雰囲気に包まれていた。但し商品棚に在る物は、可愛らしい雑貨では無く豊富な種類の花火であったが。
「いらっしゃぁい」
 ドアベルの音色で客の来訪に気付いたのだろう、店の奥から声がした。だがそれは、まだ幼い少女の声だ。幾ら店頭に置いてある物が花火ばかりとは言え、物騒な物を扱う噂を持つ店には似つかわしくない。だが、エレインは表情を変えなかった。
 寧ろ、懐かしささえ思わせる様な顔で、静かに彼女の名を呼ぶ。
「……シャルル」
 静かに発せられた声は、しかし凛とした空気を纏って店内に響いた。
 奥から物をひっくり返す様な音が聞こえたかと思うと、床を蹴り破らん勢いの足音が近付いて来る。そうして姿を現した音の元凶は、間髪入れずにエレインへと飛び付いた。
「久し振り! 来てくれるなんて、思って無かった!!」
 喜びを噛み締める様に抱き付く少女こそ、この店の店主である。そして彼女が、今回エレインがこの町へやって来た目的のひとつでもあった。
「あぁ、久しいな。この店も、お前も、何も変わっていない様で安心した」
 彼女との最後の記憶は五年近くも昔の事だったが、彼女――――シャルルは、エレインの記憶に在る物と何も変わらなかった。そう、文字通りに。
 シャルルは著しい成長の無い、特殊な種族の生まれである。本来人として訪れる筈の外見の変化に、彼女達は逆らって生きている。それは一部の者から見れば羨望の対象であり、また一部にとっては恐怖の対象でもあった。人は不老や不死に憧れを抱くというが、当人達にとっては必ずしも喜ばしい現実では無いという訳だ。
「エレインは随分大人っぽくなったよね。良いなぁ、羨ましい」
 抱き付く腕を離さぬままに、シャルルは呟く。その頭を、エレインはそっと撫でた。
「それは仕方の無い事だろう。こればかりは、どうにもならない」
「あたしだって、それは分かってるけど……」
 理解と納得は全くの別次元だ、とでも言いたそうに、シャルルは抱き付く腕に力を込めた。そうして手を離した時には、再会の喜びだけに染めた笑顔で笑う。
「で、今日はどうしたの? 旅に出るとか言って町を出ていったっきり、五年も戻らなかったエレインがこんなにひょっこり現れるなんて、何かあった?」
「コルテス・ゲルトに会いに来た」
 簡潔に、エレインは答えた。シャルルは疑問に満ちた目でその名を復唱する。
「コルテス・ゲルトねぇ……薬師の神様への用事だなんて、よっぽどの事なのかしら」
「あぁ。直接会って話したい事がある。どうしても、問わねばならない事があるんだ」
 エレインの奥深くに色付いた静かな闘志に、シャルルは気付いたのかも知れない。小さく頷くと、彼女が構える店の場所を教えてくれた。
「今は詳しくは聞かないけど、話が終わって気が向いたら、ちゃんと教えてよね」
「あぁ、約束しよう」
 シャルルの言葉に頷いて、エレインは再び店の扉を潜った。


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