第6話 来訪者


 薬屋「アルトバルド」。その店内で、歓喜の声が上がった。
「見て見て、マルセア! 芽が出てる!!」
 今にも飛び上がりそうな喜び様のスゥイティアは、小さな植木鉢を同輩へと差し出した。新薬の精製方法が纏められた論文に目を通していたマルセアは、眼前に押し寄せられた鉢の中、小さな若葉が芽吹いているのを目に留める。
「あら、本当。思っていたよりも早く、芽が出ましたのね」
「毎日大切にお世話して良かったね、マルセア!」
 満面の笑みを浮かべたスゥイティアは植木鉢を胸元に引き寄せ、愛しい物を抱き抱える様にした。そのまま、嬉しさのあまり小躍りを始める。柔らかな土から顔を覗かせた若葉も、今のスゥイティアには心なしか嬉しそうに見えた。
 それは、生命の植物と呼ばれている花の芽である。成長した淡赤の花弁を乾燥させた物を精製する薬に調合すれば、より効能を高めてくれるという稀有な効力を持つ花なのだ。それ故に、その栽培は容易では無い。細心の注意を払ってさえ、完全な形で花を咲かせる事が出来ないのである。そして完全ではない花は、調合した所で何の効能も発揮しない。
 そんな難易度の高い植物の栽培が、つい最近見習いを卒業したばかりのふたりが挑む、新たなる課題であった。
「ですがスティ。こうして芽が出たからと言って、油断してなどいられませんわよ? これからの対応こそが、この花には重要なんですから」
「分かってるよぅ。でも今くらい、喜んだっていいじゃない?」
「…………まぁ、今後の過程で気を抜かなければ構いませんわ」
「やったぁ!」
 許可を得て更に喜ぶスゥイティアは、若葉をまじまじと眺めて頬を緩めた。
 そんな祝杯ムードの漂う中、店の扉が静かに開かれる。戸に飾られた小さな鐘が、それを知らせる様にからんと音を立てた。
「あら、お客さんかしら?」
 穏やかに、コルテスが言う。来訪者は、コバルトブルーの瞳をちらりと向けた。その容貌を確かめる様にしかと見据えた後、確信を持った声音で言葉を発する。
「貴方が、コルテス・ゲルトで相違無いだろうか?」
「ええ、如何にも。お察しの通り、私がそうですわ」
 射抜く様な真っ直ぐな瞳を正面から受け止めながらも、コルテスはふんわりと微笑みを崩さない。急激に訪れた引き締まった様な空気に、先刻までの歓喜も忘れ、スゥイティアは固まった。マルセアも、動揺に事の成り行きを窺うばかりだ。
「まずはお名前を、教えて頂けるかしら?」
「エレイン・ブランシェット」
 コルテスの穏やかな問いに、エレインは簡潔に応じた。
「ミス・ブランシェットね。何処かで聞いた名前の様な気もするけれど」
「……エレインで構わない」
「ではエレイン。改めて訊きましょう、私に何かご用かしら?」
「単刀直入に尋ねよう。貴方は『ロゼリア・マルゴー』をご存知だろう?」
 その名に、マルセアは眉を顰める。物覚えの良いとは言えないスゥイティアも、先日聞いたばかりのその名は流石に忘れてはいない。災厄の花の名を。
「ええ、知っています。『ロゼリア・マルゴー』は呪いの花。僅かでも口にすれば死に至る、最凶の毒薬……でしょう? 薬師ならば知っていて当然とも言える名前ですからね」
「あぁ、その通り。そして、貴方はこれも知っている筈だ」
 頷いたエレインが、荷物から小さな小瓶を取り出した。それを、コルテスにも良く見える様に掲げてみせる。その小瓶の中身に視線を向けた一同は、その特殊さに言葉を失った。
 小瓶の中身は透明で、一見すると空の様に思えた。が、その瓶が傾くと中身に僅かな色が発する。揺れ動く中身の様子から、どうやら籠められているのは粉の様だと分かるが、不思議な事に瓶の角度によって見える色が異なるのだ。或いは白色に、或いは黄金に。不可思議な変色を伴うそれは、時にその色を消して無色にもなる。
 無色の粉。液体ならばいざ知らず、粉が無色であるなど、考えられない。
「透明の粉だなんて、そんな事ある筈がありませんわ」
 ぽつりと、マルセアが呟いた。薬に関する知識ならば大方頭に入っていると自負している彼女にも、この粉の正体は掴めない様だった。だが流石と言うべきなのだろうか、コルテスはそれ以上驚く事も無く、ただ静かにその小瓶を眺めていた。
「それを持つ方が居たとは、思っていませんでしたから。流石に、驚きましたね」
 笑みは崩さず、穏やかにコルテスが言う。
「それは『ロゼリア・マルゴー』から精製された薬、ですね」
 その答えに、スゥイティアとマルセアは息を呑む。
 「ロゼリア・マルゴーの涙」と呼ばれる種の浄化作業を行った事は、記憶に新しい。しかし、そこから精製された薬品を目にするのはふたりにとって初めての事だったが、最凶にして最高の植物名を出されてしまえば、この不可思議な性質も納得してしまう。そんな魔力めいた物が、「ロゼリア・マルゴー」にはあった。
「ご名答。良くご存知で」
 エレインは、僅かに口の端を上げて笑う。淡々と返る声は、何処か皮肉めいて響いた。
「そして貴方は、知っている筈だ。この薬の精製方法を」
「今現在、それを手にしている貴方は、それをご存知なのかしら?」
 静かに、コルテスは問う。エレインは暫し黙り込んだ。答えを言うべきか否か迷っているかの様な、そんな素振りにも見えた。少しの間があって、彼女はゆっくりと首を横に振る。
「……私は、知らない」
「そうですか。では、貴方の問いに答えましょう。答えはイエスです。ですがそれ以上を答える前に、貴方が私に何を求めているのか、それを教えて頂けませんか?」
「…………分かった」
 答えて、エレインは静かに口を開いた。


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