第7話 語られる真実


「ひとつ、貴方に問いたい。貴方はロゼリア・マルゴーの全てをご存知か?」
 静かに、エレインは口火を切った。コルテスは、迷う事無く首を縦に振る。
「ええ、勿論知っています。歴史に名高い名ですからね」
「……悪名、として?」
「歴史書にはそう記されていますね」
 試す様な声にも顔色ひとつ変えず、穏やかにコルテスは言う。此方が全てを知った上で尋ねている事を、恐らく彼女は察している筈だ。しかしその姿は、隠す事など何もないかの様に堂々としている。まるで、見透かされているのは此方だと錯覚してしまいそうな程に。
 その思いを払拭する様に、エレインは首を振った。
「まるで、それが真実では無いと言っている様だ」
「そう、聞こえましたか?」
「少なくとも、私には」
 迷わず、エレインは頷いた。コルテスは困った様に微笑む。
「貴方は全てを知っている筈だ。歴史書に載る事の無い、真実も」
「そう断言出来る根拠は、どちらに?」
「貴方が、ロゼリア・マルゴーの血縁者だからだ」
 エレインの口から発せられた言葉に、スゥイティアとマルセアが息を呑んだ。ただコルテスだけが変わらぬ穏やかさで、笑みを浮かべている。場違いな程に。
「あらあら。どうしてその事を知っているの?」
 まるで他人事の様に、コルテスは言った。その発言は、エレインの言葉を認める物に他ならない。ふたりの弟子は、師匠の言葉から真実を悟った様だ。しかしその事実は到底信じられる物では無く、ふたりは互いに顔を見合わせて困惑するばかりだ。
「資料を見付けた。其処から調査をした結果、貴方に辿り着いたという訳だ」
「それは興味深いお話ですね。その資料とやらの中身、聞かせて頂けないかしら?」
 静かに頷くと、エレインは自分が知り得る限りの全ての真実を、語り始めた。
「私が見付けた資料とは、パメラ・マルゴーの手記だ」
「パメラ・マルゴー?」
 聞き慣れない名前に、ふたりは首を傾げる。
「彼女はロゼリアの妹だ。一般に知られる事の無かった名前だ、知らずとも無理はない。その彼女の元に、捕らえられる直前の姉から手紙が届いた。その内容は、薬の精製方法だった様だ。後にロゼリア・マルゴーの名が付けられる事になる花の、な」
「では、『ロゼリア・マルゴー』の浄化方法は、妹へと託されたという訳ですの?」
「そうだ。そしてパメラは姉の死後、この手紙を基にして最良の薬品を作り上げたらしい。肝心なその精製方法は記載されていなかったが、その粉というのは、恐らくこれなのでは?」
 掌に収まった小瓶の中身を眺めたエレインがぽつりと零す。
「手記にはこう記されていた。『奇跡の色、無の色彩に彩られた魅惑の薬。一度見れば燃え盛る焔、また見れば流れ落ちる海の雫。それは全て、同じとしない不可思議な色』。この様な不可思議な物、この世にふたつとあるまい?」
 無言で聴いていたコルテスが、納得する様に頷いてみせる。
「確かに、貴方の説明の通りです。私の知る限りにおいて、それは『ロゼリア・マルゴー』を浄化した物で間違いないでしょう。それを、貴方は何処で?」
「廃墟となった薬店から、手記と共に発見した。偶然と言って良いだろう」
「その店の場所と名前、訊いても宜しいかしら?」
「あぁ、場所はウェルドだ。店の名前は『アルトバルド』」
 そう口にして、エレインはハッとした。他のふたりも、同様に気付いた様だ。
「『アルトバルド』って、この店の名前と同じだよね?」
「偶然にしては、出来過ぎている気がしますわ」
「……どういう事か、貴方はご存知なのだろう?」
「ええ。私の店の名は、其処から貰っているのです。店を閉めると共に、受け継ぐ形で」
 懐かしむ様に、コルテスは言った。
「其処は私の師匠でもある母の店でしたから、手記と薬がその店に眠っていた事は、説明が付くでしょう? まさか其処に残されたままだとは、思いもしませんでしたが」
「どういう事だ?」
「パメラの手記は真実を遺す為、私達の一族が人知れず守って来ました。それがある時、行方が分からなくなったのですよ。ですがどうやら、母がしまっておいた場所を忘れていただけの様ですね。それを見付けたのが貴方だった事は、幸運なのかも知れません」
 コルテスは、ふわりと微笑む。失われたと思われていた物がこうして再び目の前に舞い戻った事に、安堵する思いがあったのだろう。
「それで、貴方がそれを私に提示して見せる理由は何かしら」
 静かに切り出された問いに、エレインは迷わず意見を口にした。
「悪しき魔女とさえ呼ばれた、彼女の遺した方法で精製した薬品。それが無害な良薬である意味が、私には解せない。彼女が何を思って妹にそれを遺したのか……それを貴方がご存知であるならば、教えて頂きたい。それを願って、私は此処へ来た」
「確かに、ロゼリア・マルゴーの伝説を知る者は皆、あの劇薬の花は彼女の恨みの権化とでも言うのでしょうね。一般的な認識で考えれば、そう思い至るのも尤もです」
 何処か寂しそうに微笑みながら、コルテスは続ける。
「ですが、現代に伝わるロゼリア・マルゴーの伝説に狂いが生じていたとしたら?」
「それは……私達の知る話には、虚偽が紛れているという事、なのか」
「ええ、そういう事になりますね。正しく言うのならば、彼女にまつわる言い伝えは全てが間違い。真実とは程遠い、真逆の話ばかりですよ。私達一族は、ロゼリアが密かに遺した日記の記述を知っています。公にされる事の無い、真実の記述を」
「真実の、記述?」
「ええ。全てはたったひとりの魔女が仕組んだこと。彼女の気紛れで起こされた壮大な偽りが、こうして一千年もの間語り継がれる事になるなんて……一体誰が想像したのかしら?」
 何の迷いも無くさらりと言葉にされた声の中、不穏に響く物があった。
 何万という人間に信じられている伝説が全て仕組まれた偽りであるなど、誰も考える事が無かっただろう。それすらも、その『魔女』とやらの思惑通りだと言うのか。
「その魔女、とは?」
「歴史の中に埋もれてしまって、名前までは伝わらなかったのですよ」
 その言葉の真実性には正直疑わしい所があったが、エレインはそれ以上問う事をしなかった。コルテスは続ける。
「彼女は……ロゼリアは、自分の死後に花が残る様に意図して術を組んだ。その花が凶悪な毒を帯びた物である事も、浄化さえすれば最良の薬品になる事も、全て緻密に計算した上で処刑に臨んだのです。そして自身の血族にだけ、浄化の方法を遺した」
 お伽噺の絵本を読み聞かせる様に、コルテスはゆったりと語る。
「悪党の血縁者として疎外されるであろう一族への詫びの心も籠めて、彼女は自身の命と引き換えにその素晴らしい遺産を残す事を選んだ様ですね」
「それが、真実だと言うのか」
 ぽつり、口から零れた言葉は動揺にも似た響きを纏っていた。
 簡単に伝えられた、真実のロゼリア・マルゴーの物語。それは、今まで信じて来た物を破壊されるのにも似た感覚だった。――――いや、事実そうなのだろう。
 しかしこの場で真実が伝えられたとしても、世間一般におけるロゼリア・マルゴーの認識は揺るぎはしない。彼女は世紀の大悪党。それが公にされた真実。長き時を経て積み重ねられたそれを覆す事は、容易な事では無いだろう。
「ええ。史実と現実は必ずしも一致しない、という事でしょうね」
 コルテスは静かに答える。大した事では無い、とでも言うかの様に。
 しかしそれがどういう事なのか、エレインには分かる。薬師の最高峰に送られる、名誉ある称号――――「魔女」と呼ばれるその名を、コルテスが得られる事は無いのだ。現在の世に、彼女がロゼリア・マルゴーの末裔である事実が残る限りは。
 コルテスに魔女の称号を与えようという動きは、恐らく過去にあった筈だ。しかしその素姓を洗われた際にその事実が発覚し、話は水に流されたのだろう。捻じ曲げられた現実を、誰もが信じて疑わない限り。彼女は一介の薬師に過ぎない。
 純粋に務めを果たす者が先祖の業によって制約を課せられるなど、果たしてあって良いものだろうか。それが冤罪であるのならば、尚更のこと。そう思うと、自然と小瓶を握る掌に力が籠もった。その事実に、エレインは驚く。
 いつから、自分は彼女の側に立って物を考える様になっていたのか、と。
(不思議な人だ……)
 こうして話をして真実を知って、そうして気付けば、物の見方が変わっていた。それを変えたのは、隠されていた真実の威力なのか。それとも、彼女自身なのか。
「これは、私が持つべき物では無い。貴方に、返却すべきかと」
 言って、エレインは小瓶を差し出す。コルテスは静かに首を振った。
「いいえ。これは、貴方がお持ちなさい」
「しかし、私が持つ理由など」
「良いのです。私が、貴方に持っていて欲しいだけなのですから」
 そう宣言して、コルテスは差し出すエレインの手を自分のそれで優しく包み込んだ。見上げて来る視線に宿る、穏やかながらも強固な意志に気圧される様に、エレインは頷く。
 それを確かめたコルテスは、嬉しそうに微笑むのだった。


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