第9話 唐突なる申し出


 ――――お父様なんて、大っ嫌い!
 少女は、心中で精一杯の叫びを何度も繰り返した。晴れる事の無い思いは、ただ胸の中を埋め尽くすばかり。しかしどれだけ胸の内で叫ぼうと、事態が変わる訳ではない。それこそ、言葉にした所で同じ事だ。けれど、気は収まらないのが現実。
(お父様は、わたくしの事などどうでも良いとお考えなのです。わたくしの事を知ろうとも、分かろうともして下さらないなんて、そうに決まっています!)
 悔しさに涙を浮かべながら、少女はバルコニーの手摺りを強く握り締める。
 日も暮れた、夜半。仰いだ夜空には数多の星が瞬いていたが、今日はそれを美しいとさえ思えない。少女は深く溜息を吐き出して、視線を落とした。
「お父様なんて……嫌いだわ」
 絞り出す様に漏れた呟きは、闇に小さく響いて溶ける。
 この時、彼女の心は決まった。

*

 それは、唐突な訪問だった。
「コルテス・ゲルトはいらっしゃいまして!?」
 薬屋「アルトバルド」の扉を勢い良く開け放ち、ひとりの少女が店へ押し入って来た。黄金色の髪をふわりと揺らし、彼女は店内を見渡す。菫色の大きな瞳は、彼女の求める人物――――コルテスの姿を探すべく、忙しなく動き回っていた。
 その視線が、店の奥に陣取る婦人を捉えてぴたりと止まる。僅かに戸惑う素振りを見せつつも、彼女はそのまま婦人の傍へと歩み寄った。そうして距離を詰めた所で初めて彼女に気付いたかの様に、婦人は少女を見上げて微笑む。
「あら、お客様?」
「はい。わたくし、ロザリーと申します」
 先刻までの強引な様子からは想像し得なかった丁寧なお辞儀をして、彼女は名乗る。
「薬師のコルテス・ゲルト殿とお見受け致しますが」
「ええ、確かに。私がコルテス・ゲルトです」
「無礼を承知で申し上げます。此処で薬師としての知識を学ばせて頂きたく、こうして参りました次第です。わたくしのこの願い、どうか受け止めて頂けませんでしょうか」
「ちょっと、それって……!」
 事の成り行きを呆然と眺めていたマルセアが、悲鳴の様な声を上げた。その横に立つスゥイティアは、ぽかんとした顔で状況に首を傾げている。
「どういうこと?」
「……スティ。貴方、本気で言ってますの?」
 同輩の言葉に、マルセアは頭を抱える。しかしスゥイティアはその反応の理由さえ、理解出来ていない様だ。天然此処に極まれり、である。
「つまり、彼女はお師匠様への弟子入りを志願したという事ですわ」
「じゃあわたし達の後輩になるって事だね!」
「気が早すぎます。まだお師匠様は返事をしていないでしょう」
 嬉しそうに目を輝かせるスゥイティアに溜息を零して、マルセアはふたりに視線を戻す。
 コルテス・ゲルトはその道で名を轟かせる、一流の薬師である。そんな彼女への弟子入り志願者は、少なくなかった。一時期は毎日の様に来訪者が居たが、コルテスがこれ以上の弟子を取らないと声明を出した事で、志願者は途絶えたという経緯もある。
 その様な状況下に於いて、彼女が抱える弟子は僅か三名。中でも正式な形で弟子とされている者は、スゥイティアとマルセアの二名のみだ。
 その鋭い観察眼のもと、様々な人材を篩い落として来たコルテスが、なぜこのふたりだけを弟子と認めたのか。そしてエレインの申し出を、何故すぐに受け止めたのか。其処には彼女なりの選定理由があるのだろうが、マルセアには基準が読めない。
 それ故に、彼女の申し出を受けるか否かも、推測は難しかった。
「貴方に、質問をしても構わないかしら?」
「ええ、勿論です。わたくしに答えられる事でしたら、何なりと」
「質問はひとつです。貴方はどうして、この選択をしたのですか?」
「それは、貴方に師事しようと決めた理由を答えよ、という解釈で構わないのでしょうか」
「ええ、そう捉えて貰って構いませんよ」
 その回答に、ロザリーは満足した様に頷く。
「わたくしは幼い頃、病魔に蝕まれておりました。長くは生きられぬかも知れないと、そう言われた事もありました。ですが、そんな状況下にあったわたくしを助けて下さった薬師様がいらっしゃったのです。まるで奇跡の様だと、誰もが言いましたわ。わたくし自身も、夢を見ているのかと何度疑ったか知れません。こうしている今でさえ、そう思うのです」
 つらつらと語るロザリーは、真っ直ぐにコルテスを見つめている。
「その薬師様の事は良く存じ上げませんでしたが、そのお陰でわたくしはこうして生きております。その喜びを噛み締める為、いつかわたくしも誰かを助ける事が出来る様になる為、わたくしは此処へ参ったのです。貴方は素晴らしい実力をお持ちと聞きます。そんな貴方の許で学べるというのならば、この上ない喜びでありますから」
 そう締め括って、彼女は言葉を切った。問いへの回答を反芻させているかの様に、コルテスは静かに目を伏せる。そうして訪れるのは、暫しの沈黙。
「……そうですか。分かりました」
 穏やかな声と共に、瞳が開かれる。
「いいでしょう。貴方を、弟子として迎え入れましょう。ようこそ、『アルトバルド』へ」
 こうして、コルテス・ゲルトに新たな弟子が生まれた。


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