第11話 打ち明けた思い


「さ、どうぞ。開けてみて」
 会場として使われている部屋の扉の前まで案内すると、スゥイティアはそう促した。
 ロザリーは言われるままにドアノブに手を掛け、緊張に支配された心を落ち着かせようと、軽く深呼吸をする。自身の為に催される宴など、今回が初めての事では無い。それなのに、無性に鼓動が早まるのは何故だろう。そんな事を、思う。
 しかし自身に問うた所で、答えは出ない。いつまでもこうしている訳にもいかないと、意を決してロザリーはノブを回す。彼女の覚悟に反して、扉はいとも簡単に開いた。
 その扉が完全に開き切るよりも早く。耳に届いた破裂音に、ロザリーは身を竦めた。
「――――きゃぁっ!?」
「いらっしゃい、ロザリー! 歓迎するよ!!」
「…………え?」
 上がった悲鳴とほぼ同時。背後から掛けられた歓迎の声に、ロザリーは目をぱちりと瞬かせ、咄嗟に頭を庇っていた手を下ろした。周囲を見渡してみれば、部屋の中にはコルテスとマルセアが不思議な物体を手に並んでいた。
「どういう、事ですの?」
「どういうって、歓迎のお祝いだよ? ……もしかして、こういうの初めて?」
 スゥイティアが、きょとんとした顔で覗き込んで来る。ロザリーは頷いた。
「え、ええ。ところで、それは何ですの?」
「クラッカーのこと?」
「くらっかー?」
「うん。此処にある紐を引くと、ぱぁんってさっきみたいな音がして、こういう紙の紐が飛び出る仕組みになってるんだ。もしかしてロザリー、クラッカー初めて見る、とか?」
「お恥ずかしながら、そうなのです。こういった祝いの方法がある事も、今知りました」
「……随分と珍しい方ですのね」
 驚いた、という様にマルセアが呟く。それに苦笑を返し、ロザリーはぺこりと頭を下げる。
「歓迎のお言葉、ありがとうございました。とても嬉しいですわ」
 部屋の中央に置かれたテーブルの上は、彼女達の手作りと思しき料理の数々が並んでいる。室内の装飾も、彼女達の手による物だろう。紙で作った花の数々や輪飾りで溢れたそれは決して豪華と言える物では無いが、それでも彼女達なりに手を尽くして飾り付けてくれた事は手に取る様に伝わって来る。
 こんな温かみのある歓迎を受けたのは、初めてだった。自分の為に開かれた祝いの数は多くあったものの、この様な優しい気持ちに包まれた物は無かった。自分という個人を認めてくれた、その事実が無性に嬉しい。言葉にした謝辞は、心からの本音だった。
「改めて、歓迎しますよ。ロザリー。今日は貴方の為の宴です、存分に楽しんで下さい」
「ありがとうございます。お言葉に甘えて、楽しませて頂きますわ」
 師匠の歓迎に頭を下げて、ロザリーは微笑む。それに頷いて、コルテスは彼女を室内に招き入れた。後ろで様子を見ていたスゥイティアも後に続き、そうして宴会がスタートする。
 ささやかな、けれど幸せに満ちた時間は、遅くまで続いた。


 騒ぎ疲れたスゥイティアは宴が終わる頃には夢の中へと旅立ち、片付けに勤しんでいたマルセアも気付けばソファーの上で眠りについている。ロザリーも手伝うと申し出たのだが、主賓なのだからとやんわり断られてしまった。仕方が無いので窓辺の椅子に腰かけ、ロザリーは静まり返った夜の街に視線を向けている。
 窓の外は既に漆黒の闇に包まれ、天に浮かぶ月が柔らかな光を地に落としていた。それをぼんやりと眺めていたロザリーは、近付く気配に視線を動かす。視界に入ったのは、師匠と仰ぐ事になった婦人の姿。彼女は手にしていたカップを差し出しながら、穏やかに笑った。
「少し、騒がしかったかしらね?」
 ロザリーはカップを有り難く受け取りながら、首を小さく横に振った。
「いいえ。とても素敵な時間でしたわ。わたくしも、楽しい時間を過ごせました」
「そうですか。それならば良かったわ」
 安心した様に呟いたコルテスは、ロザリーの正面に腰を下ろした。
 先刻までの喧騒が嘘の様に、静まり返った室内。ふたりだけの空間に、ロザリーは僅かな緊張を覚えた。誤魔化す様に、手にしたカップの中身に口を付ける。甘みのある紅茶は、適度な温かさを保ったまま身体の中に溶けていった。
「……私は、貴方を知っています」
 ぽつり、と漏らされた言葉。それが意味する物を、ロザリーも承知していた。
 否、ロザリーが全て気付いている事を読み取って、コルテスは自ら口火を切る事を選んだのだろう。ロザリーが自分から切り出す事は出来ないだろう事も、悟った上で。
「貴方を治療したのは私です。それを知った上で、貴方は此処に来た。違いますか?」
「正直な所を申しますと、確信はありませんでした。わたくし自身も記憶が曖昧でしたし、誰に尋ねても、治療して下さった方の名を明かそうとはしてくれませんでしたから。ですが様々な話を聞く限り、貴方である可能性が最も高いのではないかとは思っておりました。ですから、半分はその通りです。ですが、貴方にお会いして漸く確信出来ました。わたくしの命の恩人は貴方である、と。やはり、間違ってはおりませんでしたのね」
 推論が当たっていた事は、先刻の彼女の告白が証明している。
 漸く判明した恩人がコルテス・ゲルトであった事が、ロザリーにはただただ嬉しかった。半ば希望にも近い心で、この店の扉を開いたのだから。
 ロザリーは中身の消えたカップをテーブルに置いて立ち上がると、丁寧に頭を下げた。
「その節は、本当に有り難うございました。貴方のお陰で、わたくしはこの場に居る事が出来ております。こうして直接お礼申し上げる事が出来、心より嬉しく思いますわ」
 それは、精一杯の感謝。長き時を経て、漸く届ける事の出来た言葉だった。
「それが、貴方の本当の目的……なのですね」
「ええ。ですが、薬師としての知識を学びたいという思いに偽りはありませんわ」
「でも、それが難しいという事も、貴方は理解している。そうでしょう?」
「本当に、貴方は何でもお見通しなのですわね。ええ、このまま貴方の弟子として過ごす事が出来れば、どれだけ幸福か知れませんわ。けれど、わたくしにそれは許されない。それも、ちゃんと理解はしています」
 一度本音を声にしてしまえば、流れる様に続いてゆく。止める事など、出来なかった。
「ですから、此処へ参りました。願いが叶わないのならばせめて……この命を救って下さった方に、ちゃんとお礼を伝えたいと思ったのです。ただ助かった事に満足して、恩人が誰であるかも知らぬままに生きていく事など、したくありませんでしたから」
「では、私に会った事で、貴方の本来の目的は果たされた訳ですね」
 静かに零された声は、幕引きを意味していた。少なくとも、ロザリーはそう捉えた。
「ええ、そうですわね。貴方にお会い出来ただけでも、意味のある事でした。ですから、わたくしは明日、大人しく戻ります。貴方に師事出来ない事は本当に残念ですけれど……」
「急ぐ事は無いでしょう。貴方にはまだ沢山の時間があります。今がその時では無いだけ。可能性が消えてしまった訳では無いのですから」
「その時が来るまで、わたくしはわたくしの為すべき事を致します。そしていつかその時が来ましたら、その時は今度こそ、貴方を師匠と仰いで宜しいですか?」
「ええ、勿論。その時は私も、貴方を弟子として迎え入れましょう」
「そのお言葉を頂けただけでも、本望ですわ」
 叶わぬ夢。その一端に触れられただけでも幸運だろう。本来ならば、こうしてこの場に居る事さえも許されぬ身には。だからこそ、あと僅かのひとときを噛み締める。
「……こうなる事も分かっていて、歓迎会まで開いたんですの?」
 ふと湧き上がった問いを口にすれば。
「さあ、それはどうかしら」
 御想像にお任せします、とコルテスは笑った。
「やはり、貴方は噂に聞いた通り、不思議な方ですのね」
 呆れた様に呟いて、ロザリーは口の端にふと笑みを浮かべるのだった。


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