第12話 グランディルスの姫君


 寝ぼけ眼を擦りながら寝間着のまま広間へとやって来たスゥイティアは、ロザリーも含めて皆が勢揃いする様に焦りを覚えた。コルテスにマルセア、そしてロザリーが真剣な面持ちで集っていては、妙に動揺してしまうのも無理は無いだろう。
「え、と、今日っておやすみ……だよね?」
 恐る恐る同輩に問いを投げ掛けると、マルセアは首を縦に振った。
「ええ。確かに今日は休業日です。ですがスティ、少々気を抜きすぎではありませんこと? 幾ら休日とは言っても、わたくし達の様な若輩者の身では本来休んでいる暇など無いくらいですのよ。こうしている間にも知識を蓄え技術力を磨き、それから」
「まぁまぁ。今はそれくらいにしておきましょう」
 そのまま小言に流れ込む勢いのマルセアを制し、コルテスはスゥイティアに向き直る。
「ロザリーから、話があるそうです。そのままでも構いませんが、どうします?」
「え、あ、着替えて来ますっ!」
 一瞬何を言われているのか分からなかったが、視線を落として目に入った服にハッとした。確かに話を聞くだけならば寝間着のままでも不都合は無いのだろうが、三人の間に流れる空気は談笑とは違う様だ。ロザリーからの話というのも、多少なりとも畏まった物なのだろう。だとすれば、きちんとした格好は必要だろう。
 慌てて階段を駆け上がり、自室に飛び込み、手早く着替えを済ませて戻るまで数分。広間に再び足を踏み入れた時には、スゥイティアの分も含めた飲み物がテーブルの上に並んでいた。コルテスが淹れたのだろう、それぞれの好みに合った中身になっている。
 空いているマルセアの横にちょこんと座り、スゥイティアは飲み物に口を付ける。ほっと気持ちを落ち着かせる様な温かさを感じながら、話が始まるのを待った。
「昨晩は、宴の席を有り難うございました。とても楽しい時間が過ごせましたわ」
 最初に告げられたのは、感謝の言葉。穏やかに微笑むその顔からも、彼女が心からそう思ってくれている事が伝わった。少しでも楽しんで貰いたいと、精一杯の持て成しをした身としては嬉しい事この上ない。
「コルテス・ゲルトの弟子の末席に加えて頂けた事、心強い姉弟子のおふたりに出会えた事、わたくしにとって身に余る光栄です」
 次々に述べられる言葉は嬉しくもあり、むず痒くもあったが、何処か一抹の不安を覚える。改まってお礼だなんて、まるで――――。
「ですが、わたくしは本日をもって此処を離れる事に致しました」
 まるで、お別れの挨拶の様ではないか。そう気付くのとほぼ同時。ロザリーは真っ直ぐにそう言い切った。どうして、と問いたかったが言葉にはならなかった。彼女の瞳が、決意に彩られていたから。覚悟を決めた者だけが出来る、そんな顔をしていたから。
「……わたくしは、家を飛び出して此処に参りました」
 スゥイティアの思いが届いたのか否か、ロザリーはゆっくりと言葉を重ね始めた。
「此処へ来る事を父に止められ、それが許せず勝手に来てしまいました。無謀……だったのかも知れません。ですが、恩人と分かった以上は直接お礼を言わねば納得出来ません。ですから、此処へ来た事が間違いだとは思っていません」
「お師匠様は、ロザリーちゃんの恩人?」
「ええ。幼少期の病を治してくださった方ですわ。昨晩、その件に関して直接お話をする事が出来ました。ですから目的を果たした今、わたくしは戻らなくてはなりません…………城へ」
「ほえ?」
「……し、城……?」
 唐突に出て来た単語に戸惑ってマルセアに視線を投げると、彼女も複雑な表情を浮かべていた。困惑という表現が相応しいのかさえも分からない、戸惑いの表情だ。
「素性を偽り、真実を黙ったままで申し訳ありませんでした。わたくしの正式名はロザリー・クレスタイン・グランディルス。この国の第一王女です」
「お、おひめさま……」
「高貴な出の御方だとは推察していましたけれど、流石に王族の方とは……」
 ぽつりと呟くマルセアの声は、僅かに震えていた。彼女の実家もそれなりに裕福らしいと聞くが、王族が相手では敵わない。ましてや平凡な一般市民でしかないスゥイティアからすれば天と地よりも大きな差がある立場だ。本来、言葉を交わす事も許されない。
「そんな畏まらないでくださいませ! わたくしにとっておふたりは、大切な姉弟子ですから」
「し、しかし……」
「せめて今だけでも構いません。此処に居る間は、わたくしもただのロザリーなのですから」
 言って、ロザリーは微笑む。その穏やかでありながらも何処か無邪気さを秘めた笑顔は、何処にでも居る普通の少女と変わらない物で。身分は違えど、それでも彼女がひとりの人間である事には変わりないと気付かされた様な、そんな感覚を覚えた。
「勝手に押し掛けて、勝手に去る無礼をどうかお許しください。今はただの娘として此処に残り、薬師としての道を歩む事は出来ませんが、いつか……いつの日か、此処に再び戻る事が出来ましたら、その時は迎えて頂けますか?」
「もちろん! その時までに、わたしもいっぱい勉強して立派になれる様に頑張るから!」
「そうですわね。姉弟子として、負けられませんわ」
「有り難うございます……! おふたりと出会えて、本当に良かった」
 瞳を潤ませながら、ロザリーはスゥイティアとマルセアの手を取って頬を寄せた。それは感動の涙か、惜別の涙か。それとも別の何かだったのだろうか。
 ロザリーとは昨日初めて会ったばかりで、先刻初めて素性を知らされたばかり。まだ親密には程遠く、互いの事を何も知らないのかも知れない。しかし、共に過ごしたこの数時間は確かに、少女達の心を近付けるには充分だったのだろう。
「……そろそろ、行きませんと。もう、わたくしが城に居ない事は伝わっているでしょう。捜索の手も出ているでしょうし、此処に居る事を知られると、余計な火種を生みかねませんので」
 躊躇いがちにそう呟くと、ロザリーはふたりから手を離した。ソファから立ち上がると、優雅な仕草で一礼をしてみせる。育ちの良さを感じさせる、見事な振る舞いだった。
「本当にありがとうございました、皆様。このご恩は、決して忘れません」
 謝辞を残して、ロザリーは皆に背を向ける。しかし入口まで歩みを進め、ノブに手を掛けた所で、唐突に振り向いた。コルテスを真っ直ぐに見据え、口を開く。
「わたくしは、何があろうと貴方の味方でおりますわ。わたくしにはまだ何の力もありませんが、それでも。その心だけは常にわたくしの胸にございます。ですからどうか、お元気で。必ずや、またお目に掛かれます事を願っております」
「貴方がそう言ってくれるだけで、充分に心強いですよ」
 コルテスの言葉に、ロザリーは華やかに微笑んだ。そうして、嵐の様にやって来た少女は颯爽と去っていったのだった。


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