第13話 町を越えて


「うわぁ……町の外にお出掛けなんて、久し振りだなぁ」
 窓の外に張り付いたまま、流れていく景色を眺めていたスゥイティアが、わくわくと弾む声でそう口にした。そんな彼女を引き剥がしながら、マルセアは深く溜息を吐く。
「みっともない真似はお止めなさいな。わたくし達は、コルテス・ゲルトの名を背負って行動せねばならないのですから。あの方の名を落とす様な真似は出来ないんですわよ」
「分かってるよぉ……でも、マルセアだって嬉しいでしょ?」
「それは……確かに、町を出る機会は久々の事ですけれど……」
 マルセアは言葉を濁した。
 彼女達は今、列車に乗って移動している最中であった。目的地は、隣町リルムラにある薬屋「ティンシア・ロレーン」。スゥイティアやマルセアと同年代の少女が構えているという店らしく、今回縁あって勉強に行かせて貰う事になっているのである。
 試験を経て正式に店を継ぐ事が決まったとは言え、両者ともまだまだ名目的な意味合いが強い。店には師匠であるコルテスが常駐しており、店に関する全てをふたりに引き渡したという訳では無かった。とは言え以前よりはふたりに任せてサポートに回る事も多くなったが、それでも彼女への依頼を目的に店を訪ねる者も多い。
 薬屋「アルトバルド」はコルテス・ゲルトの店。長年培って来たその印象は、そう簡単に拭えないのである。それを理解していたからこそ、彼女は完全な譲渡をしなかったのかも知れない。時間を掛けて、彼女達の店に変わった事を周囲に伝えていく為に。
 そういった事の一環として、今回の派遣が実現したのである。
「あ。そう言えば、リルムラってマルセアのおうちがある所だよね?」
「え、ええ。まあ」
 自分でも歯切れが悪い事を自覚しつつも、どうにも出来ないままマルセアは頷く。
 正直な所、故郷には苦い思い出があった。いつまでも引き摺る訳にはいかないと思いながらも、どうしても考えが其処に至ると目を背けてしまう。それが実家とは無縁の出来事であるという事実だけが、せめてもの救いだったかも知れない。
「おうち、帰るの? わたし、マルセアのおうち行ってみたいな」
「残念ですけれど、今回はそんな余裕はありませんわよ」
「えー! 同じ町なのにー!!」
 ぷっくりと頬を膨らませながらぶうぶうと不満を口にする同輩を、マルセアは諭す。歳もそう変わらない筈なのに、どうして彼女はこうも子供染みた言動が多いのだろうか。
「同じ町と言っても、目的地とはそれなりに離れていますわ。それに、帰省するならばゆっくりとしたいでしょう。いつか、機会を作って差し上げますわ。その時に、いらっしゃいな」
「やった! そうする!!」
 未来の約束を素直に喜んで、スゥイティアは大人しく座席に座った。
「そしたらマルセアも、今度わたしのおうちにも遊びに来てね。家族みんなに、マルセアの事ちゃんと紹介したいな」
「貴方のご実家は、確かウェルドでしたっけ」
「うん、そうだよ」
 ウェルドは普段住んでいるアルベデリアの町から、現在向かっているリルムラを挟む様な位置にある町だ。さして遠い場所でも無い為その気になれば日帰りも出来るが、列車に乗る事も冒険に近い感覚を持つスゥイティアが気軽に行き来出来る様な距離では無いのだろう。弟子入りの為に家を出た時もかなりの冒険だったらしい。
「……とても、良い所なのでしょうね」
「もちろん! マルセアも、絶対気に入るよ」
 そんな他愛ない話をしているうちに、列車は駅に到着しようとしていた。


 町中に降り立ったふたりは、渡されていた地図を頼りに目的の店へと向かう。
 マルセアの故郷という事もあり、土地勘も手伝ってそう迷う事は無かった。道中、町中の色々な物にスゥイティアが引き寄せられて迷子になり掛けたが、それ以降は絶対に離れない様手を繋ぐという最終手段に出る事で阻止した。
 そうして辿り着いたのは、真っ白な外壁が目に眩しい小さな店だった。まだ真新しい看板には「ティンシア・ロレーン」の文字。間違いない。
「着きました。此処ですわ」
「わぁ。可愛いお店だね」
「行きましょう。予定の時刻より少し遅れ気味ですし、お待たせ出来ませんもの」
「はーい」
 どうにも気楽な反応ばかりの同輩に頭を痛めつつ、店の戸を潜る。
 店中は綺麗に整頓されており、薬草や調合薬などが分かりやすく種類別に並べられていた。店主はきっちりとした性格なのだろう事が、容易に見て取れる。
 しかし其処には、誰の姿も無かった。ふたりの来訪は事前に話を通してある筈なので、奥にあるだろう倉庫にでも居るのだろうか。マルセアは店の奥に向かって、呼び掛ける。
「誰か、いらっしゃいまして? わたくし達、『アルトバルド』の者なのですが」
「はい、少々お待ちを」
 遠くから、返る声があった。反応があった事に安堵しつつその場で待っていると、店の奥からぱたぱたと足音が聴こえて来る。姿を見せたのは、肩口まであるマロンブラウンの髪を低い位置でふたつに縛り、服と同じ落ち着いた色のリボンを結んだ少女だった。
 瞬間、マルセアの表情が一変した。かと思うと、少女もまた顔色を変える。
「…………マデラ」
 震える声で、マルセアは少女の名を呟いた。


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