第14話 紐解かれる昔日


「まさか、貴方だとはね」
 涼やかな声が、少女の口から零れた。動揺の色を隠せないマルセアに対して、彼女の表情は落ち着いている。それは、見ようによっては何処か冷たさすら感じる程であった。
「コルテス・ゲルトからの連絡、という時点でもしかしてとは思っていたけど」
「…………貴方は、自身の店を持ちましたのね」
「ええ。あたしより先に弟子入りした貴方よりも、早くね」
 それは皮肉と捉えるべきか、嫌味と捉えるべきか。僅かに逡巡したマルセアは、考える事を放棄した。恐らく、其処に意味など無いのだろう。
「マルセアのお友達?」
 様子を窺っていたスゥイティアが、痺れを切らして口を開く。瞬間、張り詰めていた空気がほんの少し変わった様な気がした。空気を読むのが下手な同輩だが、今回ばかりは感謝したい気分だ。タイミングは、些か唐突だったかも知れないが。
「え、ええ。まあ」
「昔、同じ学び舎にいた間柄よ」
 歯切れの悪いマルセアに対して、さらりと少女が言う。
「そうなんだ。あ、わたし、スゥイティア! 色々教えて貰えたら嬉しいな。宜しくね」
「あ……あたしはマデラ・エルフォート。ここの店主よ。数日の間だけど、よ、宜しく」
 スゥイティアの真っ直ぐな挨拶に、少女――――マデラは戸惑いつつも応じる。満面の笑みで差し出された手をマデラが握ると、スゥイティアは嬉しそうな顔でぶんぶんと振った。物怖じしない彼女の性格は、最強の武器なのかも知れない。そう、マルセアは思う。
 自身が抱え込んでいる悩みなど些細な物だと思わせてしまう様な、懐の広さ。自分には到底真似出来ない、天性の素質。その威力を、改めて実感した。
 ――――彼女が居てくれて、本当に良かった。
 内心そんな風に感謝して、マルセアはマデラに向き直る。これもきっと、何かの縁なのだろう。蓋をしようと努力して、けれど出来なかった苦い記憶。それと向き合って、乗り越える為のささやかな壁。それが、現状なのかも知れない。
「短い間ですけれど、お世話になりますわ」
「……別に、大した事はしないわよ。貴方達の師匠からは、普段通りの姿を見せて欲しいって言われただけだから。其処から何を受け止めるかは、貴方達次第だし」
 返って来た言葉からは、それまで纏っていた茨を解いた様な柔らかさがあった。真正面から、向き合おうとしたが故だろうか。或いは、自身の気持ちの変化に応じて、相手の言動の捉え方が変わっただけかも知れない。
「今日の所は休むと良いわ。部屋は二階に用意しているから。ふたり一部屋で悪いけど」
「ううん、そんな事ないよ! お泊まりみたいで楽しそう!!」
「……遊びに来た訳じゃありませんのよ」
 途端に目を輝かせたスゥイティアに溜息ひとつ零して、マルセアは釘を刺す。気付けば日常的になりつつあるそんな遣り取りも、マデラには新鮮に映ったのだろうか。
「貴方がそんな顔をするなんてね。知らなかった」
 呟いた声は小さくて、マルセアにまでは届かなかった。


 案内されたのは、小さな一室だった。建物は店と住居を兼ねているらしいが、ひとりで切り盛りする個人店である事からも部屋数が限られている事は理解出来る。数日の間厄介になるふたりが、顔を突き合わせて過ごすの事になるのは当然だった。
 スゥイティアは通常と違う環境に浮かれていたが、マルセアにはそこまで気楽に構えられる程の余裕は無い。荷物を下ろしてベッドに腰掛けると、無意識に溜息が漏れていた。気付いたスゥイティアが、眉根を寄せて顔を覗き込んで来る。
「マルセア、元気無いよ。大丈夫?」
「ええ、大丈夫ですわ。貴方には、要らぬ心配をかけていますわね」
「そんな事ないけど……此処に来てからマルセア、ちょっと変な気がする」
 ぽつりと零された一言に、マルセアはハッとした。鈍いスゥイティアにさえ気付かれる程、自分は過去の感情に縛られていたのだと、気付く。
「本当に、わたくしは駄目ですわね。昔の事に囚われてばかりで」
「マルセアはマデラさんと、お友達なんだよね? でも、何か変な感じだった」
「友達……今はどうなのでしょうね。そう、胸を張って言えれば良かったのですけど」
「何か、あったの?」
 不安そうな表情をして、スゥイティアが問う。まるで自分の事の様に受け止めてくれるのは、彼女の優しさ故なのだろう。だが何の関係も無い同輩にそんな顔をさせてしまうのは、心苦しくもある。全ては自身と彼女の問題なのだ。それを解決する術は、まだ見付からないが。
「わたくし達は、同じ学び舎で薬師になる為の勉強をしていましたの」
 ずっとひとりで抱え込んでいた事を、気付けば口にしていた。スゥイティアは隣に座ると、神妙な顔をして耳を澄ませている。
「憧れはやはり、コルテス・ゲルトでした。薬師の頂点と言って差し支えない方ですもの、当然ですわ。叶う事ならば、弟子として技術を学んでみたいと……そう思っていました」
 それはマデラとて、同じ事だった。ふたりだけでは無い。薬師を目指す者の大半は、コルテス・ゲルトの知識と技術に敬意の念を抱き、目標にしていた。しかしコルテス・ゲルトは、簡単に弟子を取る事は無く、何人もが頼んでは玉砕していったという。
「ある日、彼女……マデラから、コルテスへの弟子入り依頼を考えていると、話を貰ったのです。わたくしは、考えあぐねていました。自己判断では、わたくしが弟子になれる様な素質があるとは思えませんでしたから」
 成績は決して悪くなかったが、特出して何かに優れていた訳では無い。誇れる何かがあってこそ、弟子入りという門を叩けるのだと思っていた。
「そのわたくしが、結果として弟子入りを認められたのですから、周囲の反応は様々でしたわ。素直に喜んでくれた人が居た一方、何かの間違いだと言う人も居ましたわ。正直、どうしてお師匠様がわたくしを選んだのか……それをちゃんとは聞いていませんの。わたくし自身が分からないのですから、間違いと言う人の気持ちも理解出来ました」
 弟子入りの条件が何なのか、未だにマルセアは分からない。問い掛けた事もあったが、明確な返答は貰えなかったのだ。理由を説明出来ない事が、噂の発信源にもなった。
「弟子の座を金で買った。そんな噂もいつしか聞く様になりました。殆どの人はそこまで信憑性がある話とは思っていなかったみたいですけど……」
 事実、マルセアの実家はそれなりに裕福とされている。事実はどうであれ、それらしく見えてしまう状況にあったのだ。釈明しようとしても、説明が難しい。
「現状から分かるかと思いますけど……結果としてマデラは弟子になる事は叶いませんでした。とても熱心でしたから、相当に悔しい思いもしたのでしょう。そこに躊躇っていた筈のわたくしが弟子入りしたという話を聞けば、疑いたくなるのも当然の事でしょうね」
 自身が努力しても届かない所に、容易く到達出来る別の誰か。そこに抱く複雑な感情を、マルセアとて知らない訳では無い。マデラの気持ちは痛い程に良く分かる。
「何だかお互い顔を合わせ辛くなってしまって。そうこうしているうちに、わたくしが弟子入りの為に故郷を発つ事になり……結果として疎遠になってしまった、という訳です。それがこうして再会する事になるなんて……何かの巡り合わせなのかしら」
「そうだよ! きっとそう!!」
 大人しく話を聞いていたスゥイティアが、勢いよく頷いた。
「きっとちゃんとお話しして、また仲良く出来る様にって機会を作ってくれたんだよ!」
「作ってくれた、って……誰がですの?」
「え? ええと……神様みたいな人? あ、もしかしたらお師匠様かも」
「そんなまさか」
 言いながらも、可能性がゼロとは言い切れない気がして来るから不思議である。それが、ふたりの師匠であるコルテス・ゲルトなのだ。穏やかな物腰でありながらも、的確に物事を見ている。全てを見透かしている様な素振りを見せる事も、一度や二度では無い。
「でも、ありがとうスティ。貴方が聴いてくれたお陰で、わたくしも気持ちが落ち着きましたわ」
 誰かに話を聞いて貰うと楽になる、というのは本当だったのか。そんな事をぼんやり思いながら、マルセアは明日以降の事に思いを馳せるのだった。


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