第15話 未来と過去 翌日。通常通り営業を行うティンシア・ロレーンの手伝いをふたりはする事になった。 「折角此処に来た以上、それなりに手伝いはして貰うけれど、あたしは先生でも何でも無いから、教える事は出来ない。だから、勝手に見て勝手に学んで頂戴」 仕事の開始前、マデラはそう言い切った。そこでふたりは棚の整頓や資料等の纏め、指定された薬の準備などの雑用をしながら、マデラの動きを観察する事にした。 ふたりも一応店を任された身ゆえ多少なり経験があったが、それでも若くして個人店を切り盛りするマデラの手際の良さは目を見張るものがある。コルテスの名で知られているアルドバルドに比べたら客の数は少ないが、それでも年若い店主にしては町人達からの信頼も厚い様で、充分に成り立っていくだけの需要はある様だった。 「……わたくし達はまだまだ、お師匠様に頼っている所がありますわね」 実際にひとりで店を切り盛りしてみろ、と言われて出来るかと言われれば自信が無い。恐らく、今のままではやっていけないだろう。思わず呟いたマルセアだったが、流石のスゥイティアも同じ気持ちだったらしい。うんうん、と同意する様に頷いていた。 「あの店はお師匠様の名前があってこその客入りですけれど、もし本当にお師匠様が引退なされた場合、今までと同じ様にはいかないでしょうね……」 未だ、アルトバルトにはコルテスの調合した薬を頼りに訪れる物が多い。それを寸分の狂い無く引き継ぎ出来る様にならねば、完全な卒業とまではいかないだろう。気付かないふりをしていた現実を、意図せず見せ付けられた格好だ。それが良いか悪いかはさておき、認識を改める良い機会にはなったのかも知れない。確かに、勉強にはなっている。 「わたしは、ずっと今のままがいいなあ」 「その気持ちは分かりますけれど……いずれお師匠様も勇退せねばならない日が来ますわ。その時、わたくし達が胸を張って後を継げる様になっていなければ」 今の環境は、確かに心地が良い。けれど、人の生に永遠は無いのだ。いつかはコルテスも店に立つ事が出来なくなる。それが遠い未来だったとしても、避けられない事実だ。だからこそ、自分達が居る。それを、マルセアは実感した。 その現実を、のほほんとしている同輩が理解しているのかは甚だ怪しいが。 「今まで以上に、頑張らないといけませんわね」 「無理しすぎはよくないよ、今までと同じペースで、ゆっくりでも良いんじゃないかなあ」 「そんな悠長な事は言ってられません! 帰ったら出来る事をひとつでも増やしませんと」 「マルセア頑張りすぎだよー」 「何を呑気な事を言ってますの。勿論スティ、貴方もですわよ」 「ええ……」 決意を新たに張り切るマルセアとは対照的に、沢山の宿題を目の前にした学生の様な顔をして、スゥイティアは呆然としたのだった。 「リルムラの薬師祭?」 かくん、と首を傾けて、スゥティアは耳にした言葉を復唱した。 「…………この子、本当にコルテス・ゲルトの弟子なの?」 呆然とした顔で、マデラが呟いたのは無理も無い事かも知れない。弟子入りから数年、常に隣に居たマルセアはすっかり慣れてしまったが、スゥイティアの物事の知らなさは異様な程であった。常識的な知識の範囲は勿論、薬師ならば知っていて当然の事も知らなかったりするのだ。よくそれで、コルテス・ゲルトの一番弟子という肩書きを持てたと感心する程に。 ――――いや、感心よりも疑問の方が強いかも知れない。 「気持ちは分かります。でも、残念ながら事実ですわ」 「……ちょっと、理解が追い付かないかも知れない」 ぼそりと、マデラが呟いた。彼女の想像とは、恐らく天と地程にかけ離れていたのだろう。薬師のカリスマと呼ばれるコルテス・ゲルトが弟子と認めた者ならば、さぞ優秀で有能な人間なのだろう――――そう考えていたに違いない。気持ちは分かる。マルセアも、第三者の立場なら全く同じ事を考えていただろう。 だが奇しくもスウィティアの存在は、コルテスが弟子を選ぶ判断基準が薬師としての能力値だけでは無い事を、ある種証明した形にもなっていた。マルセアがかつて説明しようとして出来なかった事実を、存在ひとつで語ってくれている形になろうとは。予想外だった。 「何だか、拍子抜けだわ。現実って、案外こんな物なのかも知れないわね」 そう口にしたマデラの表情は、何処かすっきりとした穏やかさを纏っていて。まるで憑き物が落ちたかの様な、などと評したら彼女は怒るだろうか。けれど、そう形容したくもなる程に、マデラの雰囲気は変わりつつあった。 「あの方の考えは、わたくし達にも分かりませんから」 「だから、貴方が弟子入り出来てあたしが出来なかった理由も、分からないわね」 「マデラ……」 今まで触れられなかった、触れようとしなかった所に、マデラの方から踏み込んで来た事にマルセアは驚く。その距離を縮めるのは、マルセアの側がやらねばならない事だと思っていた。 「貴方の弟子入りが決まって、この町を離れて……それからも、貴方の事は、一度足りとも忘れた事は無かったわ。ちゃんと話も出来ないままだった事も、本当は後悔してた」 ぽつりと呟いたマデラが、真っ直ぐにマルセアを見据える。来訪時から何処か気まずくて、お互いに直接視線を合わせる事を避けていた。それが今、数年の時を経て再び交わる。それは何処か気恥ずかしくて、嬉しい瞬間であった。 「それは、わたくしもですわ。いつかちゃんと、話をしなくてはと思っていました」 「えっと……ふたりとも、仲直り?」 きょとんとした顔でふたりの顔を見比べたスゥイティアが、首を傾ける。そこで漸く第三者の存在を思い出したふたりは、苦笑しながら答えた。 「仲直り……ええ、そうね。そうなのかも」 「喧嘩をしていた、という訳ではありませんでしたけれど、でも。そうですわね」 「うん、やっぱりその方がいいな。笑顔が一番だもの。みんなで仲良く出来たら……そしたらきっと、絶対楽しいよ? だから、仲直りおめでとう、だね」 「ええ。ありがとう、スティ」 同輩の心根の優しさは、筋金入りだ。他人の幸せがそのまま自分の幸せになる様な、そんな人間性を秘めている。その言動には少々悩まされる事もあるが、それでも愛おしく思えるのはその性質ゆえだろう。少しは物事を覚えて欲しいものだが。 「ひとまず話を戻しますけど。リルムラの薬師祭は明日、でしたわね」 「ええ。ウチも出展予定なの。だから準備を手伝って貰いたいのだけど、それが終わったら自由に見て来て構わないわ。貴方も、薬師祭は久し振りでしょう?」 「そう、ですわね……スティにも案内してあげたいし、お言葉に甘えますわ」 「えっと、薬師祭って?」 相変わらず内容を理解出来ていないスウィティアだけが、眉をひそめて難しい顔をしている。マルセアは溜息ひとつ零して、簡単に説明を始めた。 「リルムラは、薬師という職業の発祥の地と言われていますの。それを記念して、毎年この時期に祭りが開かれているのです。薬師達が自慢の薬品を売ったり、調合方法などを教えたり……簡単に言えば、薬にまつわるお祭りと言って差し支えないかも知れませんわね」 リルムラでは、その特性もあって薬が常に身近にあった。だからこそマルセアも自然と興味を持ち、薬師を目指すまでになった。毎年祭りには欠かさず参加し、新しい薬を調達したり調合方法を学んだりと励んだものだ。町を出てからは、一度も顔を出す事は無かったが。 このタイミングで此処に派遣された事も、恐らくはコルテスの狙いなのだろう。久し振りに参加して純粋に楽しんで来いと言う、暗黙のお達しだった可能性は高い。 (お師匠様にまで、気を遣わせてしまいましたかしら……) ぼんやりとそんな事を思いながら、マルセアは少しだけ軽くなった心を躍らせるのだった。 |
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