第16話 リルムラの薬師祭


 翌日。リルムラの町は大変な賑わいに包まれていた。
 至る所に簡易的な店が広げられ、町中を埋め尽くしている。行き交う人々はこの町を訪れた際に見掛けたよりも多く、王都にも引けを取らないとさえ感じる程であった。
 マデラは自身の店の前に簡易的なスペースを作り、調合した薬を中心に薬師祭特価で販売するのが常だという。まだまだ名を売る必要がある身としては、まずはお試しとして手に取って貰う事が必要なのだとマデラは語った。マルセア達にとっても、今後は同様の努力が必要になって来るだろう。今は師匠の名の威光を借りているに過ぎず、現状のままではその庇護から完全に外れた時に無力になってしまう。
 準備だけで良い、とマデラは言ったが、マルセアは少し接客の様子を見させて欲しいと頼み込んだ。じっと眺めていられるのもやりにくい、と少々抵抗がある様だったが、繰り返しのお願いにマデラも「その為に来たんだしね」と零してしぶしぶ頷いた。
 薬屋で働く以上、通常は店舗に滞在して客の来訪を待つ身であるが、今回ばかりは状況が違う。自らアクションを起こして人を呼び寄せる事が可能なのだ。通行人への声の掛け方、商品の勧め方、それらが上手く噛み合わないと商品を手に取る事はおろか、誰も店そのものに気を留めてくれない。アピール力の重要性が、其処にはあった。
(それについては、他の店も参考にすると良さそうですわね)
 心の中のメモ帳に書き留める。
 通常業務ではあまり発揮する事の無い手法ではあるが、名を売っていくには様々な挑戦が必要だ。来年は自らも薬師祭に出店する事を検討しても良いだろう。現状に胡坐をかかず、未来の為に出来る限りの事をしたい。マルセアは、そう強く感じる様になっていた。
 師匠が何処までを見越して、そして期待していたかまでは分からないが、今後についての認識を改める事が出来ただけでも彼女の期待に添えていると信じたい。そう願いつつ、マルセアは限られた時間で出来る範囲の学びを刻もうと奮闘した。
 正直なところ同輩が何処まで現状を理解して考えているかは未知数だが、何も敵対する関係性では無い。同じ店を任された者同士、互いに補い合えば良いのだ。マルセアの知識を彼女に分け与えたとて、問題は無いのだから。
(一方的に与えるだけ、というのも釈然としない物がありますが……まあ、少しずつですわね)
 ぼんやりと湧き上がる懸念は頭の隅に追い遣って、マルセアは気持ちを切り替える。
 そうして幾分か時が経った頃、客の波をある程度捌き切ったマデラが口を開いた。
「こっちは少し落ち着いたし貴方達、他の場所も見て回ったら? 薬師祭は基本的に薬剤の店が中心になるけど、健康を保つ事を重視したお祭りだからヘルシーで美味しい物を扱ってる店もあるわよ。時間とかは気にしなくて良いから、心残りの無い様に好きに回って来て」
「美味しいごはん! 素敵!!」
 スゥイティアが「美味しい物」の単語に目を輝かせる。その喜び様と言ったら、此処に来た意味を本当に理解しているのか首を傾げたくなる程だ。
「目的が違います、と言いたい所ですが……確かにお腹が空く頃合いですわね」
 気付けば太陽は天頂に差し掛かろうとしていた。
「マデラさんは? お腹空かない?」
「あたしは大丈夫。自分の分はちゃんと準備してるから、心配しないで」
「……そう?」
 かくんと首を傾けながらスゥイティアは言うと、遠慮がちに頷いた。自分の欲には忠実で、周囲を顧みない様な印象を受ける事もあるが、彼女はこういったささやかな心配りが出来る人材なのだ。根っからのお人好しと言っても良い。それが、彼女が憎めない要因のひとつなのかも知れなかった。――――それでも、勉強くらいは真剣に取り組んで欲しいが。
 マデラの好意に甘える形で、ふたりは賑わう町の中に飛び込んでいった。興味の惹かれた店に迷わず突撃していくスゥイティアの手綱を握るのは、そう簡単な事では無かったが最早慣れた物だ。まずは彼女の好きにさせる形で、軽い腹ごしらえを終える事にした。
 食べ歩きが出来る様に加工されたチキンは香草を使って風味が際立たせてあり、調味料は最低限に抑えていると店主は説明してくれた。そういった健康的な食に対しての追求を主とした店も幾つか存在していた。文字通りの「薬」だけが人の健康を作る物では無い、という考えは大いに理解出来る。乱れの無い食生活もまた、健康に直結する要素だ。そう考えれば食もまた、薬の一種と言えるのかも知れない。
 食事をしながら辺りを見回す。数年の間触れる事の無かった空気に、マルセアは目を細めた。懐かしい空気感は、変わっていない。けれど数年の間に変化した物も確かにあって、それらが混ざり合う様は何処か新鮮で、不思議な感覚であった。
「良かったねえ、マルセア」
「――――え?」
 不意に投げられた言葉に、マルセアは目を瞬かせた。突然何を言い出すのだろう。困惑して二の句が継げないマルセアに対して、スゥイティアは笑顔で言葉を重ねた。
「だってマルセア、楽しそうだから。マデラさんと仲直り出来て、久し振りにお祭りに来れて、嬉しいのかなあって。思って」
「……本当に、貴方と言う人は」
 ぽつり、呟く。変な所で観察眼の鋭さを見せるのも、相変わらずだ。
 そんなに笑っていただろうか。自分は。自身ではやや疑問にすら思ってしまったが、彼女が言うのなら事実なのだろう。純粋の塊の様な同輩は嘘を吐かない。嘘を吐くという行為そのものを知らないかの如く、彼女の発する言葉はどこまでも真っ直ぐだった。
「でも、そうですわね。今は、とても楽しい気持ちでいっぱいですわ」
 知らず知らずのうちに、此処へ来る事を心の何処かで拒んでいた。数年の間、実家に帰ろうとしなかった事も事実だ。実家に帰る事自体は別に苦でも何でも無い。だがその道中もし町中で偶然にマデラと出会ってしまったら――――胸の奥に刺さった小さな後悔が、そんな可能性を少しでも消そうとしていたのだろう。
 数年越しにそれが払拭出来た今、この場にいられる事を心から楽しめている。その喜びが、表情に現れたのも当然なのかも知れなかった。
「さ、食べ終わったら祭りを見て回りますわよ」
 照れ隠しをする様に、切り替える。慌てたのはスゥイティアだ。
「え。まだいいんじゃないかなあ……もうちょっと、ゆっくりしてても」
「何を言ってますの。時間は有限です、出来るだけ多くの場所を見て見聞を広めませんと。わたくし達は、勉強の一環として来ているのですよ? 遊びではありません」
「えー。マルセア気合い入りすぎだよぉ」
「ほら、さっさと食べてしまいなさい。早くしないと置いて行ってしまいますわよ」
「マルセアお母さんみたいー」
「だれがお母さんですか!」
 文句を言いながらもスゥイティアは残りのチキンを口に放り込み、それを確認したマルセアは問答無用とばかりに彼女の手を掴んで歩き出す。
 そうしてふたりは、時間の許す限り祭りを見て回ったのであった。


「短い間でしたが、お世話になりました」
「えっと、ありがとうございます! とっても楽しかった!!」
 期日が終わり、別れ際。思い思いに感謝の念を言葉にすると、マデラは小さく頭を振った。
「あたしの方こそ、良い勉強にもなったわ。最初にこの話が来た時は、正直戸惑ったりもしたけれど。それでも、請けて良かったって思ってる。ありがとう」
 言って、マデラは片手を差し出した。スゥイティアが迷わずそれを握り、ぶんぶんと振る。初めて出会った時と同じ光景ではあったが、この数日でマデラの方も多少はスゥイティアの行動に慣れたのだろう。格別驚く事はせず、好きにさせている様だった。
 スゥイティアが満足して手を離した後、漸くマルセアはマデラの手に触れた。固い握手と共に、真っ直ぐに視線を交わす。もう、互いに相手から目を逸らす事は無い。
「あたしは、あたしのやり方で立派な薬師になってみせるわ。コルテス・ゲルトの弟子じゃなくても、充分に実力のある薬師になれるって事を、証明するんだから」
「わたくしも、負けません。これから益々努力を重ね、確かな実力をつけて、ゆくゆくはお師匠様の名に恥じぬ様な一人前の薬師になってみせますわ」
 互いに宣言するは、未来の理想。それを実現する為の覚悟を胸に、ふたりは誓い合う。
 それは、ほんの数日の間の出来事。そのほんの些細な日々がもたらしたのは、少女達の心持ちを少しだけ変化させるに充分な時間であった。


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