第5話 語られる追憶


「そう、提案。ま、結論は決まってるし勿体ぶる様な話じゃ無いんだけど」
「つまり、その提案というが眠る事……なんですね?」
「うん。ただ休暇を取ってのんびり過ごした所で、置かれている環境は変わらない。僕が放棄した仕事の事は、嫌でも頭の何処かに残るだろうね。でも眠ってしまえば全ての重圧から逃れる事が出来る。そんな考え方、面白いじゃない? それが僕には、魅力的な提案に見えた。だから心を決めたんだ」
 何処か懐かしむ様な口調で、シリウスは言った。アトリアが深々と溜息を吐く。
「シリィからその話を聞いた時は驚きましたよ。唐突にそんな突拍子もない事を言い出すんですから」
「え。貴方が提案したのでは?」
「まさか。そこまで飛躍した考えは、私には出来ませんよ」
 アトリアは首を振った。先刻の発言からするに休養を進言したのは確かに彼の様だが、其処に口を挟んだ人物が居るらしい。眠るなどという考えは、そう思い付く事では無い。一体どんな人物がそれを口にしたのか。そう考えてしまうと無性に気になってしまうのは仕方の無い事だろう。しかし、それを問うて良い物か。スピカが頭を悩ませていると、シリウスがのほほんとした口調で言い切った。
「今思えば斬新なアイデアだよね。僕ですら思い付かなったんだから。ま、何処の誰かは覚えてないんだけど」
 スピカはぽかんとした。覚えてない? そんな衝撃的な発言をした相手を?
「待って下さい、誰が提案したのか覚えて無いんですか?」
「うーん、覚えてないねえ。正直他人にはあまり興味無かったし、面白い話を聞いたって舞い上がってたから」
「私はシリィから決定事項として話を聞いただけですから。その相手とやらには直接お会いしてませんので」
 次々と返る言葉は何とも呑気な物で、聞いているスピカの方が困惑を隠せずにいた。些細な事を気にしない、あまりにも無頓着すぎる思考の理由は自分と生きていた時代が違うから、なのだろうか。
「疑ったりはしなかったんですか? 少しも?」
「うん。こうして振り返れば、其処に何らかの思惑や意図が絡んでいたのかも知れない。でも、其処に含まれていた感情は悪意では無いと思ったからね。僕からしてみれば好意だよ。素直に受け入れて当たり前さ」
 考え方が飛躍している。最高峰の魔術師と呼ばれる人間の思考回路というのは、こうも斜め上の考えを生み出す物なのか。考えれば考える程、スピカの頭は混乱してゆく。
 しかし考え方を変えてみれば、違った物が見えてくるのかも知れない。
 例えば、そんな突拍子も無い様な意見を鵜呑みにして受け入れてしまう程、シリウスが現実逃避を求めていたのだとしたら。それが最善の道だと錯覚してしまう程、現状に追い込まれていたのだとしたら。
 当時を語る彼の口調は穏やかでこそあったが、それは過去を懐かしむ感覚に似ている。当時がどんなに苦しくとも、それを笑って話す事が出来る未来は有り得るのだ。
 ぼんやりとそんな事を考えていると、シリウスが突然困惑の表情を見せた。
「え、ちょっと、どうして君が泣いているのさ!?」
「…………え?」
 言われて、頬に触れる。その指先を小さな雫が濡らすのに気付いて、スピカ自身が驚いた。自分が涙を流している事に、全く気付いていなかったのだ。シリウスに指摘されなければ、自覚しないままだっただろう。
「ご、ごめんなさい! 私も、どうして泣いてるのか分からなくて!!」
 スピカは慌てて両目を袖でごしごしと擦り、涙を拭った。
「た、ただ貴方が追い詰められてたのかも、って思ったら……」
「馬鹿だなぁ君は。他人の事をそこまで自分に寄せる必要なんて無いんだよ」
 困った様な顔で溜息を吐いて、シリウスは笑う。聞こえ様によっては強い否定の言葉であったが、彼の声には優しさがあった。泣きじゃくる子供をあやす大人の様に。大切な物を慈しむ様に。
「僕の過去なんて、君が心配する事じゃない。もう過ぎた事だしね。それに、君が思っている程悲観的な状況じゃ無かったつもりだよ、僕は。ま、確かに色々抱え込みすぎた所はあるけどね」
「そうです。貴方が気に病む必要はありません。シリィは昔からこういう人でしたから」
「そう、なんですか?」
「ええ。誰かの意見をすぐ鵜呑みにして受け入れてしまう。彼の悪い癖です」
「失礼な、自分の意思くらい、僕にだってあるよ」
 シリウスが不服とばかりに唇を尖らせる。しかしアトリアはそれを一蹴した。
「無自覚、というのも困り物ですね。相手から強い感情を見せられると、それに同調して自分の意思と誤認してしまう。私から見れば、その様に見える事がしばしばありましたが。『クローネ』の座を受け入れた時が良い例です。興味は無いと言いながらも、是非にと頼み込まれて仕舞いには頷いた訳ですから」
 ハッキリと断言されて、シリウスはそれ以上の反論を諦めた様であった。そんなふたりの様子を見ていて、スピカは訊きそびれていた事を不意に思い出した。
「あの……ひとつ、良いですか?」
「何でしょう?」
「貴方とシリウスの関係というのは、何なのですか?」
「あぁ。そう言えば我々の関係性は説明していませんでしたか。簡潔に言えば、私はシリィの幼馴染みです」
 言われてしまえば納得出来なくもない。互いの信頼感や、ハッキリと意見出来るだけの間柄なのだから。しかし、それだけでは引っ掛かりを覚えてしまうのも仕方の無い事だった。
「でも、それにしては、何だか」
「まるで主従の様だ、と仰りたいのでは?」
 濁した言葉は、あっさりと見破られた。戸惑いを覚えつつも、スピカは頷く。
「シリィが『クローネ』として就任した際に、私は世話役の任を与えられたのです。幾ら馴染みがあると言えど、シリィは魔術師の頂点たる『クローネ』となった身。そんな彼に、不躾な対応は出来ないでしょう? その頃から私はシリィを自らの主として位置付け、接する様にしていたんです」
「なるほど、スッキリ……したんですけど、もうひとつ、良いですか」
「ええ、この際ですからお答え出来る事には回答させて頂きましょう」
「シリウスが眠ったのは、今から百年前なんですよね? 貴方はどうして今、此処に? こういう言い方をするのは失礼だと思うんですけど、シリウスと同じ時代を生きて来た人なら、今の時代には居ないのでは……」
「あぁ、その問題もありましたね」
 何の事は無い、という風に頷いて、アトリアは口を開く。
「かつての同胞に、生命魔術の研究をしている方が居りまして。彼の手を借りて魂を人形に移して貰ったんです。それならば、寿命は関係ありませんからね。幸い、シリィが置き土産を残してくれましたし」
「気付いてたんだ、やっぱり」
「こうなる事を見越して準備していた癖に、白々しいですよ」
「僕の意見を押し付ける気も無かったし、一応隠しておいたつもりなんだけど」
 百年越しの答え合わせをする様なふたりを余所に、スピカの頭は更なる混乱に襲われた。さらっと言われたが、同時にとんでもない事を言っていたのではないだろうか。天候について会話をするかの様な気楽さで、こんなにもあっさりと口に出来る様な内容では無かった様な気がするのだが。
「ちょっと待って……待ってください……凄い混乱してるんですけど……人形? え、人形って言いました?」
「ええ。本人はこの通り嘯いてますが、用意がされているのを見付けまして」
「用意……人形、の?」
「はい。魔術的付加がありましたし、十中八九シリィの残した物だと察しが付きました。私が乗せられたのか、それともシリィが先読みしていたのかは分かりませんでしたが、これ以外に道は無いと判断しました」
「で、でも、どう見ても人間と変わらない……です、よね?」
「そうですね。確かに今の私は人形の身体ですが、人間として生きていた時と何も変わっていませんよ。傷が付けば血も出ますし、食事せねば栄養も摂れません。嘘の様な話ですが、これが魔術という物ですよ。それも、かなり高度で扱いが難しい魔術です」
「人形に魂が入れば、付加された魔術が起動して人間と等しい生命活動を維持する。依代魔術の応用と進化系、って感じかな。少し不安要素はあったけど、その辺りはアルが上手くやってくれたみたいだ」
「ええ。随分と助けて頂きました」
「……………………頭がパンクしそう」
 それだけ呟いて、スピカは文字通り頭を抱えた。人形に魂を移す、などという行為が無謀に近い所業だというのに、人形を人間と同じ状態に変化させるなど奇跡の域だ。そんな事が出来れば、魔術師としての将来は約束された様な物だろう。いや、だからこその『クローネ』だったという事か。
「意識を飛ばすのはまだ早いよ。君には、頼みがあるんだから」
 笑顔で言われ、スピカは急速に意識を引き戻した。
「え? 頼み? 私に?」
「そう。無茶なお願いなんてしないよ。簡単な事だから、そう身構えないで。僕に、町を案内して欲しいんだ。現代がどうなっているのか、知る為にね」
「――――はい?」
 告げられた言葉に、スピカは何度も瞬きを繰り返した。


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